2011年9月28日水曜日

ふたたび下呂市の蕎麦料理「仲佐」へ

 探蕎会の平成23年(2011)後期行事のトップは「仲佐」、探蕎会では結成2年目の平成11年(1999)11月に「飛騨そば探訪」として「仲佐」を訪れている。私はこのときは参加できず、噂では大変好評だったとか、特に蕎麦掻きが秀逸だったと聞いた。私はこれまで一度も訪ねたことはなく、その一因は何故か遠いという印象からだった。しかし家内に話すとぜひ行きたいとのこと、それではと今年の4月29日の祝日に長躯下呂温泉の「仲佐」へ出かけた。私は「蕎麦三昧」、家内は「天ざる」、二人で「蕎麦掻き」も食した。噂に違わず、全てに感動して帰ってきた。そしてこの度は、会でも二度目、私も二回目の訪問となった。
 訪れたのは9月26日(月)、事務局では超有名店なので土日を外したとの配慮だった。高山まで高速道と専用自動車道で約1時間半、そこから下呂温泉まで国道41号線を1時間ばかり、開店は11時半、それまでには着いて下さいとのことだった。参加者は10名、和泉さんと前田さんの車に分乗して、金沢を午前8時半に出発した。天気は曇り、途中高速道の飛騨河合PAで休憩し、下呂へ向かう。途中41号線で長い片側交互通行があり、やきもきしたが、どうやら定刻5分位前に着くことができた。既に駐車場には3台の車がいた。
 もう店の戸は開いていて、12名の畳の部屋は既に埋まっていた。私たちは小上がりの4人定員の座机2卓に5人ずつ座ることに。事務局に予約してもらって助かった。お客さんが次から次へと、今日は月曜なのにこの有様、待っている人を見ると若い女性の方が多い。この前来たときは、奥さんとほかに女性が二人だったが、今日は一人、てんてこ舞いである。

 私達5人は「蕎麦三昧」を予定していたが、生憎付箋がしてあり、ではと「天ざる」を、それに10食限定の「蕎麦掻き」を二人に一つ、お酒は取り合えず天恩古酒を3本、それと酒のツマに「茸四種盛り」をお願いした。銚子とぐい飲みは黒の釉薬がかかった手捻りのセット、好い感じだ。付き出しには茄子の一夜漬け、中々酒に合う。そして茸盛り、訊ねると、カラスタケ、ムラサキアンズタケ、チチタケ、ショウゲンジ、聞いたことのない茸、でも飛騨ではよく見られる茸らしい。皆炊いて和え物に、若干味付けしてある。中でも烏茸は歯ごたえがあり、ヒジキやするめを噛んでいるようだった。時節もので珍しかった。次いで「蕎麦掻き」、二人で取り分けて食べる。粗挽きでホシが点々、香りも強く、温かいうちに召し上がって下さいとのこと。初めはそのまま、後は軽く醤油を付けて食べる。蕎麦の原点ともいうべき食べ方、堪能する。そして「天ざる」、天ぷらは車海老二尾にムラサキササゲに茄子、紫ささげの紫色は、お湯にくぐらしたり、油で揚げると鮮やかな緑色になることから、湯上り美人ともいうと教えられる。塩で頂く。「ざる」は二段になった鼓型の渋い濃い茶色の細い竹の編み笊、それに濃いホシのある透明感のある粗挽きの細打ちのそばがこんもりと、白い粒が見えているのは挽き割りか、こんな「そば」には中々お目にかかれないのでは。手繰ると蕎麦の香りと個性ある食感、そばつゆは辛いのでほんの少し浸して食する。こんな粗挽きで細打ちなのは、つなぎの威力なのだろう。店主は切れ切れのは「そば」じゃないと仰る御仁、だからこんな「そば」は此処以外ではお目にかかれないだろう。ここで扱っている蕎麦は、旧稲核(いねこき)村在来の「こそば」で、手刈り、天日干しにこだわり、自前目立ての大きな石臼での手挽き自家製粉、これ以上の「そば」は望めない。蕎麦湯は茹で汁、この方がナチュラルでよい。十分に堪能した。
 どなたかの発案で、下呂市萩原上村の鮎の里にある観光ヤナへ向かう。国道41号線沿いで、下呂温泉から車で10分ばかり、帰り道にあたる。着いて観光ヤナに案内してもらう。飛騨川左岸寄りに設けられているが、設備は鉄製でしっかりしたものだが、先の台風12号と15号のダブルパンチの増水でヤナは水没、今は水は引いてはいるものの、ヤナには草や木の枝やゴミがかかったままになっていて、もちろん魚影はない。通常なら10月中旬まで行なうようだが、落ち鮎も予想を超える濁流で流され、ヤナ漁は見込めないとかだった。戻ると大場鰯大の鮎が串に、これから焼きに、頼んでからヤナへ行くのが正解だった。遠火で焼くので30~40分はかかるという。お酒と鮎の刺身をつなぎにして待つ。両面が焼けて塩焼きが完成、鮎は養殖だろうが、熱々は美味しい。
 いつもの探蕎行だと、小矢部SAで総括を行なうのだが、今回は次に寄った高山市久々野町渚の道の駅「飛騨街道なぎさ」で流れ解散となった。帰着は午後5時だった。

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