2011年9月7日水曜日

ノロノロ大型台風来襲の日、展覧会とそばと音楽会と(その1)

● ノロノロ大型雨台風
 平成23年(2011)8月下旬、フィリピン東方海上に台風11号、小笠原南方洋上に台風12号が発生していた。いずれも当初は西へ移動していて、一時は両台風が揃って日本へ訪れるのではという危惧があった。ところが11号は向きが北西に変わったものの、更に北寄りに進路を取ることなく、台湾から中国へと行き、熱低になった。一方の12号は大型に発達し、目の径も50kmとバカでかい台風に成長した。でも進路は相変わらず西もしくは西北西、しかしいつ北方向へ転向するかが問題だった。当初の予報では、石川県への影響は、2日には通り抜けて、3日には天気は回復するとのことだった。ところが後々の弁明では、北太平洋とモンゴルに高気圧があって、行く手を阻まれ、かつ偏西風の流れが悪くて北へ転向できず、四国南洋上でようやく北北西に向きを変えたと。でもこの時暴風域は径500km、強風域は径1,200kmもの大型台風に、中心気圧も960hPaに発達していた。しかも速度は10~15km/hと自転車並み、そのことでこの台風はとんでもない土産をもたらすことになった。
 紀伊半島の中央に位置する紀伊山地のうち、奈良県南部を南北に大峰山脈が、それに平行して三重県との県境には台高山脈が走り、前者を源として十津川(上流は天ノ川)が、後者を源として北山川が流れ、いずれの谷も深く、谷筋にはダムが多い。十津川は奈良県から和歌山県へ入り新宮市宮井で、北山川は奈良県から三重・和歌山の県境から「トロ峡」を経て宮井で十津川と合流し、和歌山・三重県境を熊野川(旧名新宮川)となって太平洋の熊野灘に注ぐ。このうち台高山脈の盟主大台ヶ原山は、日本で最も降雨量が多い、世界でも有数の多雨地域として知られている場所である。
 台風の四国への上陸は9月3日だったが、南洋上にあるときから進行方向東側に、南から反時計回りの大きな温かい流れがあり、かつ北太平洋の高気圧の縁からも同様に時計回りに吹き出す流れがあり、この二つがぶつかり合って、台高山脈を中心に史上空前の降雨量が記録された。大台ヶ原山の東に位置する三重県大台町(旧宮川村)と西側に位置する上北山村では特に顕著で、後者では年間降雨量2,700mmのうちの2/3にあたる1,800mmが5日間で降ったという。大台町でも1,600mm、十津川村でも1,200mmが降った。そのため山間部では降雨による土砂災害、下流の熊野川では堤防決壊による浸水被害が起きた。この台風の特徴は、大型で速度が遅く、風害よりも台風の進行方向東側の雨雲の異常な発達による猛烈な降雨、時に時間当たりにして100mmを超す降雨が長時間続いたことによる。そして、この降雨は台風が日本海へ抜けた4日にも更に続いたという。被害は近畿南部で特に甚大であった。
 
● 金沢賛歌!大滝由季生大作展 時空を見つめて大地に立つ
 表記展覧会が9月3日(土)~8日(木)の6日間、北國新聞交流ホールで開催されるという案内を大滝さんから頂いた。丁度台風が石川県へ最接近するという情報があり、心配していたが、台風はこの日の未明に高知県へ上陸したとか、金沢の天気は曇り、でも降水確率は50%ということで雨靴を履き傘を持って家を出た。当初の計画では、11時に「やまぎし」へ行きそばを食い、歩いて北國新聞社へ行き、とってかえして音楽堂に戻り、午後3時から今シーズン初のOEK第310回定期公演を聴くことにしていた。バス停は我が家の前にあり、10:19の金沢駅行きに乗る予定をしていた。バスが来て乗ったものの、このバスは遅れてきた小立野行きだった。仕方なく香林坊で下りて、北國新聞社に向かうことに。
 交流ホールは赤羽ホールの1階にあり、大滝さんほか20人ばかりの方々が見えていた。大滝さんは4年前に探蕎会で講演されたが、それによると、昭和40年(1965)に文化勲章を授与された田崎広助さんに師事され、薫陶を受けられた。大滝さんのその頃の絵の題材は「山」が多く、これは師の影響を受けてのことだったと思われる。ただ大滝さんの弁では、その絵の中には必ず生活の営みが見えることが大前提、だから純粋に山のみを描いた絵は大滝さんにはない。ずっと一水会に所属されていたが、会で大滝さんの絵を探すには山がターゲットだった。ところが師から、自分が最も愛している郷里の山河や風土を描くようにと言われ、アトリエが寺町のW坂上の高台にあることから、犀川を挟んで見える金沢の町並み、犀川上流に見える医王山や戸室山、そして金沢の街角など、金沢を題材とした作品に取り組まれるようになった。5年前にはそれまで描き続けてこられた「大作百二十点」が金沢21世紀美術館市民ギャラリーで開催されたが、今回は「金沢賛歌」と題して、金沢やその街角の風景を題材にした300号や200号の大作を中心とした絵の展示が主である。以下に展示された作品の名称と制作年をメモした。順は制作年順である。
 交流ホールの入り口には薔薇をあしらった画が4点置いてあった。 (1)「薔薇」(2007)6号F. (2)「薔薇の饗宴」(2008)120号. (3)「窓辺の薔薇」(2008)10号F. (4)「白い壷のばら」(2009)8号F.
 交流ホールの展示作品: (1)「鳥小屋のある露地」 (1965)50号F. (2)「屋台のある街角」 (1966)80号F. (3)「辰巳用水の雪」 (1967)50号F. (4)「ポスターの前」 (1967)100号F. (5)「犀川夕照」 (1987)100号P. (6)「桜坂の月」 (1989)50号F. (7)「けむる医王」 (1991)100号F. (8)「戸室への道」 (1997)100号F. (9)「五月の高台」 (2001)100号F. (10)「神苑」 (2002)50号F. (11)「浅野川の雪」 (2003)100号F. (12)「戸室山と街と」 (2005)150号F. (13)「県都悠久」 (2005)300号P. (14)「画室の桜」 (2008)50号F. (15)「街道筋の老舗」 (2006)60号F. (16)「初春の賑わい広場」 (2007)60号F. (17)「画室の窓」 (2008)50号F. (18)「杜の都」 (2008)300号P. (19)「いいね金沢」 (2009)60号F. (20)「森の都に虹」 (2009)200号P. (21)「坂の上のかざみどり」 (2010)60号F. (22)「六月の涼風」 (2011)60号F. (23)「卯辰山の華の宴」 (2011)300号P. 以上23点。
 この展示には、半世紀近く前の初期の作品も出品されているが、当初はモノトーンであった画が、次第に色彩が華やかになり、300号という大作でも細部にわたって筆を入れられ、金沢のエッセンスが凝縮されているというような印象を受ける。そしてここ3年位前からは、絵の具を盛る技法を用いることにより、より立体的な感覚を持たせた豪華な作品に仕上がっている。最後の300号の作品は、ミレー友好協会展での受賞作である。
 大滝さんは昭和4年(1929)生まれの81歳、これからも絵を描き続けると、そして特に変貌していく金沢の古き良さを画に残しておきたいと仰る。現在、石川県美術文化協会理事・日展会友・元一水会会員(平成20年退会)・ミレー友好協会委員である。

● 蕎麦「やまぎし」
 開店は11時半なのだが、いつも11時に入るようにしている。この時間だとまだお客は来ておらず、確実にジッツできるからである。新聞社を出たのが11:10、すぐにバスに飛び乗って「やまぎし」へ、11:25だった。バスを降りたら前の駐車場は満タン、これは遅かったか、もし一杯なら諦めようと思って入ったら、私が最初だった。もっとも開店時間には席は埋まってしまった。久しぶりである。券売機には焼酎、お酒、ビール、ノンアルコールの表示もあるようになっていて、こんなオプションも付加できるのだなと感心する。焼酎(100ml)2杯と「粗挽き大盛り」を求めた。満席の皆さんも粗挽きばかりなのには驚いた。奥さんはこれまでは水曜のみのお出ましの筈なのにおいでるので聞くと、開店時からおいでた女の方が辞められ、代わりの方の応援だとか。この焼酎には粗挽きが実に似合う。お客さんは大概30分程で回転するが、私は45分位だ。待つ人もあり、出ることに。演奏会は15:00から、音楽堂のカフェテリアで時間をつぶそう。

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