2010年9月2日木曜日

白山の(夏山)閉山祭

 白山の閉山祭というものに一度は立ち会ってみたくなった。閉山祭は7月1日の開山祭(山開き)に対するもので、例年8月31日に挙行される。また開山後の7月15日過ぎの日曜日には、奥宮大祭が行われるが、今年は18日だった。これまで開山祭に出たことも、奥宮大祭に出くわしたこともあるが、閉山祭にだけは30年来出たことがない。この祭事、私はてっきり頂上の奥宮でするものとばかり思っていたが、実は室堂平にある奥宮祈祷殿でするのだということが直前になって分かった。この日は富士山でも閉山祭が催され、富士山では事実上山は閉められる。また立山は1ヵ月遅れの9月30日に雄山頂上の神社で閉山の神事が執り行われる。
 今年の8月31日は火曜日、月・火と休みを取っての山行となった。ここ暫くはお天気続きなのだが、天気予報では火曜日には生憎天気が崩れる予報となっていた。朝4時過ぎに自宅を出て登山口の別当出合へ、夏の繁忙期だと月曜日は正午までは市ノ瀬までしか自家用車は入れないが、この日は規制が外れていた。平日とあって、車は20台ばかり、シーズンも後半ということで多くはない。用意して歩き出したのが6時、当初は上りを観光新道にしようと思っていたが、天気が良いのと、観光新道は途中で水が全くないので、この前と同じく砂防新道にした。登り出して暫くすると、砂防新道の上をしょっちゅうヘリが飛ぶ。真上を通る時は正に轟音で、落ちてくるような錯覚に陥る。1台で市ノ瀬とを往復しているようだが、上がってくるのは10分おき位、何かあの轟音が間近になると、コワイという感じがする。高飯場(正確には高飯場跡)まで来ると、ヘリが来るので登山者は暫くここで止まってほしいと係の方が皆を止めている。暫くしてヘリが、見るとバケットにセメントを入れて運んでいるようだ。この場所には元飯場があっただけに平で、工事関係者の宿舎が建てられている。聞くと全員ではないが、一部は泊まるとかだった。
 ヘリが下りていって通れるようになり、甚之助小屋へ。ヘリは新しい甚之助小屋の新築工事のためのもので、請負しているのは清水建築、甚之助小屋のすぐ下の台地が新しい甚之助小屋の現場、ヘリが上がってきて、着き、ホバーリングしてミキサーに流し込んで下りるまでの約3分間は登山者の上り下りが制限されるが、それを指示している若者がいた。私が「清水建築というのは野々市に本社がある清水さんですか」と言うと「そうです」と言う。「じゃ、南竜のケビンもお宅でされましたね」と言うと、「あれは10年前のこと、一昨年は改修をしました」と。また昨年は南竜山荘の外壁外壁補修も手掛けたと聞いている。「私の家の新築も清水さんのお世話になりました。私は新町の木村です」と言うと、「私は清水です」と。両親を亡くし、今は西村さんという方が社長をされているが、ゆくゆくは跡を継がれることになる若者だ。へりのホバーリングの時間は30秒位、正確で早いのに感心する。こんな近くで見たのは初めて、登山者の何人もがその状況を撮っていた。
 別当出合から、山は初めてという坊やを連れた親子連れと、75歳という山岳会関係者と中年の女性とカメラマンの連れの2組とずっと相前後する。このことは砂防新道と南竜水平道の分岐での会話で分かった。75歳の方は、今日が白山登山199回目とか、来週は200回目登山をしますとか、私の歳は言い出せなくなってしまった。別山の方は雲で見えないが、こちらはカンカン照りで暑い。昔の二ノ坂、三ノ坂を経て十三曲りの急登へ、延命水は沢山の人がいたのでパス、黒ボコ岩、弥陀ヶ原、五葉坂を経て室堂に着いた。時間は10時過ぎ、4時間少々を要した。昔の3時間が信じられない歳になってしまった。食事をしてから、約束に従って家内に電話した。以前の携帯ならOKだったが、機種を換えたら圏外とのことで公衆電話での連絡ということに。空身になって御前峰頂上へ、少しガスがかかってきた。でも天気は良く暑い位だ。今日は室堂泊まりなので、時間はゆっくりある。上り45分、下り23分とは、衰えも甚だしい。どうも朝のウォーキングはメタボ解消には役立っても、筋トレには全く役立ってはいないことが判明した。
 室堂宿舎の受付は午後1時から、早々に済ませる。済ませて前の広場で、神の河と室堂の水とで一杯やる。すると1時半から2時半にかけて、100名位の団体と40名位の団体が二つ、相前後してセンター前の広場に到着、一気に賑わしくなった。100名と40名は高校生、40名のもう1つはツアー団体。ほかに30名位の大学生の団体も、彼らは着くなり早速ワイン20本位空けて乾杯してクライマックス、実に楽しそうだ。団体さんは皆さん頂上へは明朝ご来光を見に登るのだそうだ。夕食は私は5時から5時20分の入場、早々に済ませて、一緒になった福島の夫婦と駄弁る。今回は1週間の旅行、月に一度は遠出するとか、カミさんの方がよく山へ行っていて、目的は百名山ではないと言うが、実にあちこち出かけている。実に羨ましい。
 夕方からガスが立ち込め、明日もこうだったらご来光はパスしようと決める。7時半に就寝、温かい夜、11時半に一度目が覚め、外へ出る。するとガスは消え、月齢20.5の月が煌々と輝いている。正しく快晴、この分だと明朝はご来光が拝めそうだ。日の出は5時23分、ご来光が拝めそうなら、1時間前に太鼓が鳴らされる。しかし0時を過ぎ、日が31日に変わったその時、頂上に現れた白いガスの帽子が瞬く間に下に駆け下り、月の光を遮り、辺りは白い闇に包まれた。そしてガスはその濃さを増し、視界は30米ばかりに、寒くはないが、何も見えず、宿舎の小桜荘へ戻る。朝4時、ガスはやはり濃く、太鼓も鳴らされなかった。でも高校生達は予定の行動なのだろう、頂上へ向かって行った。しかし驚いたことに電灯は5人に1個、でも闇の中元気に出かけていった。私は気が萎え、また寝てしまった。食事は6時から8時の間、6時には高校生達は戻ってきた。やはり頂上はガスで何も見えなかったが、日の出とともにガスが金色に輝いて素晴らしかったと話してくれた。高校生は石川と静岡、皆若くて元気だ。
 食事を済ませて、あと8時まで1時間半、前の広場で待つことに。室堂センターの前にある奥宮祈祷殿の戸が開いた。30分前に室堂のアナウンスがあり、夏山閉山祭を8時30分からしますので、登山者の方もお参り下さいと。この間にも宿泊者は次々と室堂を後にして下山していく。下から長靴を履いた方が、私なりに工事の関係者で閉山祭に来られたとの印象を受けた。でも登山者で閉山祭に参加されそうな人は居ないような雰囲気だ。時間が来て祈祷殿に入ると男性二人に女性が一人のみ、ずいぶん少ないのに驚く。修祓、降神の儀、献餞、祝詞奏上、玉串奉奠、巫女舞奉納、撤餞、昇神の儀、直会の順で式が運んだ。途中で女性数人が入って来たが、閉山祭には興味がなかったようだ。式は約30分かかった。祝詞では夏山が安全に閉じられること、続く秋山も安全であるようにと、また宿泊施設の白山室堂と南竜山荘の繁栄、そして白山観光協会と金沢大学白山診療班の尽力への感謝等が祝詞で奏上された。男の方二人は室堂と南竜山荘の主任の方だった。女の方も南竜に関係する方だったらしい。彼女も私も玉串を捧げさせて頂き、さらにお神酒まで頂戴し、式は終了した。写真を撮っても宜しいですかと彼女が言うと、どうぞと言われ、神主さん二人と巫女さん二人が座られて写真を撮らせて頂いた。霊峰白山と揮毫された扇子があり、私はてっきり飾りだと思っていたが、彼女はお分け頂けますかと尋ねると、1,800円でお分けするとのこと、私も頂戴した。辞そうとして去ろうとすると、あの長靴の御仁に、もしや貴方は木村さんではと言われ驚いた。昨年は南竜には泊まっていないのに。帰りに寄っていかれませんかと言われたが、観光を下ることにしていますのでとお断りした。また9月にでもお寄りしますと言って別れた。多い年には3回も4回も泊まったものだ。でも近頃は人気があって、土日はいつも一杯らしい。トイレも食堂も同じフロアなのがいい。肝っ玉カアさんは元気だという。団体さんも全部出払ってしまって、もうこの時間、下から登山者が上がってくる時間になってしまった。勤務している家内に、これから観光新道を下ると電話して、室堂をあとにした。
 天気はよく暑い。越前禅定道(観光新道)の尾根には、下る登山者が点々と見えている。100名の石川の組は砂防新道を下りたようだ。40名の静岡の組は観光新道、かなり列がバラけている。ザックを2個持った若者がいる。尾根筋とて陰が少なく、暑い下り、私も別当坂の下り口(林檎の樹のテラス)で食事をした。これから急な大きな下りが4カ所、それに備えての腹ごしらえというわけである。暑い中やっとの思いで駐車場に辿り着いた。駐車場には静岡ナンバーの大型観光バスが、予定の時間を過ぎているがまだ来ないと言っていたが、もう少しかかりそうだ。かくいう私も4時間5分を要した。

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