2010年9月21日火曜日

2年ぶりの南竜山荘

 8月31日の白山閉山祭で、列席した南竜山荘の主任の方に一度は来て下さいと言われ、9月には訪れますと言った手前、行かざるを得ないと考えていた。そこで2年前に乞われて白山登山をした姉妹に家内から打診してもらったところ、9月14日15日なら休暇が取れるとか、それではと14日に南竜山荘に宿泊予約をした。曜日は火曜と水曜。ルートは砂防新道から登って南竜山荘に寄り、ザックを置いて御前峰に登り、南竜まで下り、翌朝は展望コースのアルプス展望台で御来光を見て、朝食後下山するというものである。家内とは二人で山歩きしようと話していたが、登山すると浮腫みが出るということもあって、一緒に山へ出かけることは難しい状況にある。私も73歳、何処へでも独りで出かけるには抵抗を感じる年齢になった。
 週間天気予報では、予定の日は天気が安定しているような雰囲気、彼女たちも楽しみにしているという。ところで彼女たちは2年前より体力が衰えて心配だと話すが、こちらの方はもっと衰えが著しい。午前4時半に小生宅出発、1時間20分ばかりで駐車場に着く。別当出合の駐車場は舗装線引きが終わってきれいになっているが、今朝はまだ進入禁止、係員が来て、今日は平生は駐車禁止の道路脇に止めてほしいと、指示に従う。駐車場から別当出合の登山口までは60mの高度差、この分がなく助かる。食事を済ませ出発する。
 大柄な姉と小柄な妹、どちらも足は達者、マラソンや自転車レースをやっているという。出で立ちはスポーツタイツに半ズボンの流行スタイル、本格的だ。そこで彼女らを先行させ、待機場所を指示する。とても彼女たちの歩に合わすことは無理で、マイペースで進む。曇り空から雨が落ちてくるようになり、中飯場で彼女たちには雨具を着用させる。とはいってもビニール製のポンチョである。私はザックカバーのみ被せ、少雨なので雨具は着けなかった。甚之助小屋まで来ると、新小屋建設の現場監督をしている清水建築(本社野々市町)の清水さんに会った。ガスが濃くて視界が悪く、ヘリが飛ばないので仕事にならないとボヤく。此処で泊り込みですかと聞くと、何と野々市町の自宅からの通勤とか、これには驚いた。もっとも中飯場まで車で入り、甚之助の現場まで登るのだが、でも超人的だ。若い者は長靴履きで20分で上がって来るが、私は35分かかりますと。まるで庭のようなものだ。この間は気が付かなかったが、工事に永井建設の名が載っている。この標識は登山路の工事箇所には名が出ているが、甚之助では初めて、聞くと小屋周辺の整備をしてもらっているとか。この会社は白峰だが、社長は野々市町の住人で町の体協の会長、家内も長く副をしていて親しい仲、開山祭にはどんな天候であろうと毎年必ず出席の御仁、よく現場見回りに直々おいでるとは清水さんの言。
 この間10分ばかりだったが、この時下から二人の若者が、やはりビニール製のポンチョを着用、ザックも登山用のものではなく、重心が下になっている代物。今日はお休みですかと聞くと、火水が定休だという。変わった会社もあるものだ。今晩は南竜山荘泊まりだというから、じゃまた後で会いましょうと別れる。私たちは水平道を通って南竜山荘へ向かう。山荘に着いたが彼らの姿はなく、どうも直接室堂へ行ったようだ。久しぶりの山荘、主任さんもいるし、オバちゃんも元気だった。天気のせいでキャンセルの電話が入っている。室堂では宿泊の受付は午後1時以降なのだが、ここではこの時期午前でも受付してくれた。食事をし、指定の部屋に荷を置き、室堂へ向かう。ルートはトンビ岩コース、古くは美濃禅定道、昨年登山路の補修工事をしているとかだったが、きれいになっている。彼女たちに先行させても間違うことはない。ガスの中だが、トンビ岩では立ってもらっての記念写真を撮る。彼女たちの西側から間近に見た印象では怪獣だと言う。
 トンビ岩から室堂へは緩い登り、万歳谷を渡ってからは礫が多く歩き辛い。途中彼女たちは御前峰への登拝路を見上げて、件の若者二人が下りてくると言う。大変な視力だ。事実彼らとは室堂で再会した。食事をしてからトンビ岩コースを下るのだと。私たちは頂上へ向かう。頂上にはガスの切れ間に十数人の人が見える。ガスは時間とともに薄くなる感じ、時折青空も覗く。登りの途中、中年の小父さんたちが下りてきて、彼女たちのスタイルに共感し、来週奥穂高へ行くときはぜひそのスタイルで行きたいと言う。彼女たちに遅れること3分、奥宮に着いた。お参りして御前峰に上がる。頂上から大汝峰は見えないが、剣ヶ峰は時折見える。方位盤にも寄り、暫し滞在する。寒くはない。
 室堂からはエコーラインを下る。五葉坂は登りも下りも好きになれない坂だ。今は通行禁止になっている水屋尻の坂の方がずっと歩きやすい。弥陀ヶ原の木道を通り、エコーのジグザグを下り、南竜山荘へ。丁度着いた際に、例の若者二人が展望台まで行くと出たところ、明日は別山までを往復するという。彼女たちの脚力では十分伍していけると思い、彼らに同伴をお願いする。明日は私はアルプス展望台で日の出、彼女らは油坂峰で日の出を拝むことに、彼らが出たあと、彼女らも展望台へ出かけた。私はビールと神の河で一杯、今晩の泊まりは9名とか、秋の平日はこんなもんですと言われる。
 山荘も昨年外装を施し、随分きれいになった。ベランダへも出られ、快適だ。ガスも引いて、チブリ尾根もくっきり見える。先ず彼らが帰着、程なくして彼女らも帰ってきた。明日は別山ということで、朝食を弁当に、出発は朝4時とする。私は4時半に出て、帰って山荘で朝食をとることに。アルコールも入って賑やかになる。私は酔って何時に寝たのだろうか、夜半に起きて外へ出ると満天の星、今日は天気が良さそうだ。
 朝3時半に目覚めたが、皆はまだ寝たまま。心配になったが、ちゃんと4時前には目を覚まし、4時には山荘を出て行った。そんなに寒くはない。山荘から見送る。柳谷を渡ってテント場の方へ上がって行くライトの列、別山道は橋を渡って直ぐ右だと言っておいたが見にくかったようだ。でも怪我の功名で、下道は帰りに通ったが、雨でぬかるんで大変だったとか、朝の暗がりではもっと大変だったろう。私も4時半に出た。行く先にライトが2つ、先行者がいる。今朝の日の出は5時27分、稜線に出ると油坂峰の頂に灯りが見えている。1時間もかからずに着いたようだ。アルプス展望台に着くと先行の2名がいた。テン泊の2人で、今日は御前峰を巡り、今晩もテン泊とか。ほぼ10分待っての日の出、東の空が赤くなってからが長い。太陽が昇るのは焼岳と乗鞍岳の中間辺り、方角は真東にあたる。やがて日の出、光は徐々に光度を増す。下は雲海、でも上にも高層雲が、それで太陽は真ん丸にならずに、下の雲と上の雲との間でのみ顔を覗かせることに。そしてやがて上の雲に隠れてしまった。でも視界はよく、北アルプスは北は朝日岳、白馬岳から、南は焼岳、霞沢岳まで、そして乗鞍岳、御嶽山、その間に遠く八ヶ岳連峰と南アルプスが見えている。先着のテン泊の2人は上に登って行った。そして私も山荘へ戻った。
 朝食を済ませ、帰り支度をして、4人の帰りを待つ。出たのは4時なので、往復5時間とすると9時、6時間とすると10時ということになる。食堂から油坂峰からの下り径をオバちゃんと凝視する。見えた地点からでも山荘までは20分以上かかろう。遅くてもよいが無事帰って来てくれることを祈る。もし泊まりの客がきたら、部屋の荷物を下へ下ろしてほしいと言われる。彼らは毛布も片付けずに出て行ったが、10時には掃除をされたようだった。ガスが湧いてきて遠方の山々も見えなくなり、やがて油坂峰も見えなくなった。アッという間の変化、でもまだ雨は降っていない。10時半、下の径に」4人の姿が見えた。安堵した。迎えに出る。よかった。男だちは女だちの足の強いのに感心したと言っていた。私が行っていたらもっとかかったかも知れない。
 帰り支度をして山荘を出たのが11時、見送って頂く。山荘を離れると、山荘の窓を開けて手を振ってくれる。こちらも応ずる。姿が小さくなったら「また来てね」との声が届く。こちらも「また来ます」と応える。嬉しかった。10月にはまた来ようと思う。雨が降ってきた。山荘からは山の鼻を曲がるまで見通せるが、もう声は届かない。彼らのうち足に疲れが出たという大将を先頭に私がシンガリ、時々休みをとりながら下る。お陰で私も助かった。車へ辿り着いたのは午後1時半、彼女たちにとっては別山行きというオマケがついた山行きは終わった。

〔付〕登りは彼女ら2人に、下りでは4人に、聞かれて教えた植物を次に掲げる。せめて3つくらいは覚えておいてほしいと言ったのだが。 〔食べられる実〕:(赤)ベニバナイチゴ、(紫)クロウスゴ。 〔食べられない実〕(赤)ウラジロナナカマド、(白)シラタマノキ、(稚児車様)チングルマ。 〔赤い花〕フジアザミ、タテヤマアザミ、ハクサンアザミ、カライトソウ。 〔紫色の花〕ハクサンカメバヒキオコシ、ノコンギク、オヤマリンドウ、タテヤマリンドウ、ハクサントリカブト。 〔黄色い花〕アキノキリンソウ、ミヤマアキノキリンソウ、キツリフネ。 〔白い花〕サラシナショウマ、ミヤマコゴメグサ。 〔枯れた茎が立っている〕 コバイケイソウ。

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