2013年12月21日土曜日

とある会の旅行にまつわることども(その5)

9. 囲炉裏の間で、奥飛騨の田舎料理を盛り込んだ「ごっつぉ」を味わう
 大きな部屋に、テーブル式の囲炉裏が2基並んでいて、1テーブルに8人が座れる。足は下へ下ろせる。ところで我々一行は9人、8人ならば1テーブルに座れるのだが、生憎と9人、それで宿の計らいで,女5人と男4人に分断された。これは残念。囲炉裏には火が熾っていて、岩魚と五平餅が串に刺されていて、ほぼ焼き上がっている。料理の数は多い。「おしながき」は次のようだった。
 食前酒は、大女将手作りの果実酒。先付けは、山里の珍味盛りと銀杏餅の揚げ出しの二種。前菜は、季節の田舎料理。お造りは、河ふぐの重ね造りとあしらい一式。焼き物は、岩魚の塩焼き、飛騨牛の串焼きと五平餅。台の物は、飛騨牛と野菜色々の鉄板焼き。炊き合わせは、きのこ鍋。揚げ物は、野菜のかき揚げ。御飯は、五目御飯。香の物は、飛騨の漬物。水菓子は、アップルパイクリーム添え。
 お酒は、女性は清酒とビール、男性は焼酎、私が選んで芋焼酎の「蜜酒の杯」にする。それで飲むスタイルは、エイジはストレートと癒しの水、ユキオさんはお湯割り、ヒロシさんは水割り、私はオンザロック、全く四人四様である。談笑しながら、焼酎を飲みながら、料理も摘む。串に刺されている岩魚は7寸はあろうかという大物、私は頭が硬くて、骨を吐き出したが、全部すっかり食べた人もいて、目を見張った。熱い骨酒にしたら美味しいだろうと思う。五平餅も平生なら食べないのに、何故か抵抗なく食べてしまった。
 串焼きに飛騨牛がないと思いきや、程なく串に薄切りにした肉を巻き付けたのが現れた。火に翳して万遍なく適度に回して焼き上げて下さいと。私たちは忠告に従って忠実に焼いているのに、女性軍はと見ていると、我慢できないのか、そこそこに焙ったところで、かぶりついたようだ。きっとその方がレアで美味しいに決まってはいようが、男性群は実に律儀だ。焼き上がった頃に家内が来て、「あなたはこれを食べると食べ過ぎになるから」と、飛騨牛の串を取り上げていった。でも悔悟の念はなく、欲しければ呉れてやろうという寛大な気持ちになったから不思議だ。しかしその後、鉄板焼きで飛騨牛のコロ数個と野菜が出て、私も飛騨牛のお相伴にありつけた。
 ところで皆さんはほとんど刺し身の「河ふぐ」を残されていたが、今から思えば、鉄板の上で焼く手があったなあと思う。河ふぐとは鯰のこと、昔は川で捕まえて、虫がいるので生では食べずに、炊いて煮付けて食べたものだ。白い身で、こりこりとした食感で美味しかったことを覚えているが、生で食べたのは全く初めてだ。きっとどこかで養殖しているのだろう。でないと生では食せない。私は刺し身をすべて食べたが、味は淡白、柔らかくて、癖はないものの、そんなに旨いとは言えない代物、話の種だ。
 料理の量が多く、そのほとんどを平らげたが、お終い近く、茸が数種入った大鍋が出た。この辺りになると、焼酎はまだ飲めたものの、食べる方はお腹が一杯で一寸一服、当然のことながら、美味しく炊けた五目五版も、一摘み賞味したに止まった。それにしても、4人居たとはいえ、焼酎の 720ml の瓶を2本大方空けたというのには驚いた。私はそんなに飲まなかったような気がするのだが。

こうして夕食は終わった。食事では男性と女性が別々であったこともあって、皆さん部屋へ引き取る前に、皆で男性の部屋で炬燵に入って談笑しようということになった。蜜柑を食べながら、また残った焼酎を飲みながら、他愛もない会話をしながら、時間を過ごした。午後9時頃だったろうか、散会する。私も眠たくなって床に入る。残り3人は囲炉裏に陣取って、焼酎を飲みながら……。

0 件のコメント:

コメントを投稿