2013年12月17日火曜日

とある会の旅行にまつわることども(その1)

1.とある会のメンバー
 とある会とはとある会のことで、もうかれこれ数年は続いている。昨年の京都行きでは「京都へ行こまい会」という名称だった。ところで今年は幹事の高島夫妻の娘さんがまだ京都にいるので、てっきり今年も京都行きだとばっかり思っていたところ、案内では今年は飛騨の福地温泉だという。高島夫妻は揃って中学校の先生、とても世話好きである。この会のメンバーは10人、メンバーの選定には誰が当たったのかは定かではないが、これまでにも何回か温泉行きがあり、ほぼ顔ぶれは決まっている。
 メンバーは端的に言えば、宮田一統が中心と言える。その第一世代は旧西野三姉妹、長女のバア子ちゃん(私が勝手にそう呼んでいる)は現宮田姓、二女のおレイさん(前に同じ)は東京在住(現石田姓)、そして三女は私の家内(現木村姓)、この会にはその連れ合いも入会資格があるとのこと、ほかに西野姓の男の兄弟も2人いるが、この会のメンバーには入っていない。次の第2世代には、長姉の子の三姉妹の、マアちゃん(現宮田姓)、ミキちゃん(現早川姓)、ヨッコちゃん(現高島姓)とその連れ合いである。これで単純に計算すると、固定メンバーは12人になるが、バア子ちゃんの旦那(宮田家の当主)は今回も旅行には参加せず、またマアちゃんの旦那は既に他界していて参加はできない。ということで、このとある会のメンバーは10人ということになる。このうち石田さん夫妻は東京住まいだが、他は金沢やその近郊に住んでいて、連絡は取りやすい。
 それで今年の旅行は、11月23日 (土曜・勤労感謝の日) と翌24日 (日曜) にすると、高島夫妻から連絡があった。私は今年もぜひ参加したいと思っていたが、俄に暗雲が去来した。

2.思いもよらない入院で、参加が危ぶまれる事態に
 私は一度は郡上八幡の街をブラついてみたいと思っていた。それが実現したのは11月3日の文化の日 (日曜) 、ところがこの日の夕食後に吐き下して悪寒があり、暖房して一夜を過ごした。それで翌日は観光を止めて、早々に帰宅することに、来る時は私が運転してきたが、帰りは長いトンネルは苦手という家内も、勇をこして運転してくれ、帰宅した。
 この日は長男が泊まるので、次男も呼び宴を催すことにしていたが、とても飲み食いする状況でなく、私は風邪薬を飲んで臥せっていた。翌朝、帰浜する長男を小松空港にまで車で送る積もりにしていたが、長男に拒否され、休養することに。近医へ受診しようかと迷ったが、取り敢えずは風邪薬を飲んで様子を見ることにし、7日は年2回のペースメーカー外来(金沢医科大学病院)なので、そこで受診すればよいと思っていた。この頃には息づかいも荒く、深く息を吸うと咳き込んで、胸部レントゲン写真を撮るのに難儀した。担当の心臓外科の先生は、ペースメーカーには問題はないと言われたが、呼吸が荒いのには全く言及されず、その診断は他で診察を受けて下さいと。家内が思わずこの病院で他の科を受診できませんかとお願いしても、それは私からは出来ないとのこと、胸部レントゲン写真では素人目にも真っ白でおかしいのにである。失望して診察室を出て廊下を歩いていると、その科の外来の主任と思われる看護婦さんが小走りに追って来られ、同じフロアの呼吸器内科の外来に案内してくれた。嬉しかった。その外来担当の先生は診察して即入院と言われ、先ずは安堵した。それから10日後、両側肺炎は随分と良くなった。そこで心配になったのは、23日と24日にある旅行のこと、恐る恐る先生に訊くと、それまでには退院できるでしょうとのこと、事実前日の22日には退院許可が出た。
 ところが肺炎は良くなったものの、血糖値が異常に高く、主治医が呼吸器内科の先生から内分泌内科の先生へ変更になり、病室も9階の整形外科に間借りの病室から、内分泌内科の本来の6階の病室に移動となった。それも21日の予定がずれて22日に、さて旅行前日の22日と旅行当日の23日の外泊と、22、23日の外出は許可になるのか、雲行きが怪しくなってきた。万事休す。

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