2013年12月18日水曜日

とある会の旅行にまつわることども(その2)

3. 外泊許可が出て、清酒「晋亮」でささやかな乾杯
 11月22・23日の外泊と23・24日の外出は、9階の病室にいる時からお願いしてあって、主治医の先生にも了解を得ていたが、6階へ移って主治医の先生が代わるに及んで不安が過った。しかし9階の私の担当の受持ち看護婦さんと6階の主任看護婦さんの絶妙の連携と尽力で、6階に移った当日の22日に許可になった。本当に感謝・感激だった。しかし治療とインシュリンの自己注射の確認があったために、外泊と外出の許可は、22日の午後8時から24日午後5時までとの制約が入った。それにしても快哉。
 私が入院して以来、家内は酒断ちをしていたという。勿論私も隠し酒などしていない。不思議なもので、入院していると、特にお酒を欲しいと思うことはなかった。また禁断症状なども全く出なかった。家内に迎えに来てもらい、久しぶりに我が家の敷居をまたいだ。病院ではシャワーなどはしたが、入浴はなく、家では先ずゆっくりと風呂に入りたく、ゆったり浸かった。久しぶりに家内に背中を流してもらったが、垢がボロボロ、実に爽快だった。風呂から上がると無性に一寸一杯欲しくなった。病院にいる時、担当の看護婦さんに、恐る恐る外泊の時の飲酒について尋ねると、飲みなさいとは言えないけれど、飲んではいけないとも言えませんとのこと、家内も少しならと言う。ではと私は小さなワイングラスに、とっておきの清酒「晋亮」を半分位、家内はビールで、ささやかな乾杯をした。この清酒は長男が私に送ってくれたもので、福島喜多方の笹正宗、ラベルには和紙に「晋亮」と墨書されている。久しぶりに家内と談笑できた。やはり我が家に優るものはない。
 夜眠っていて、夢で、旅行の間、1日1回朝食後に飲む糖尿病治療薬が2日分必要なのに1日分しかないのに気付き、起きて確かめるとやはり1回分しかなく、翌朝旅行に出る前に病院へ取りに行くことにする。

4. 先ずは病院で薬を調達、そして飛騨の旅へ出立
 翌朝7時半に家を出る。忘れた糖尿病薬、1日1回なだけにどうしても持参しなければならず、朝食の配膳の少し前に病室に戻り、薬を持って出た。家内からは、旅行の時などは必ず余分に持ちなさいと注意された。納得。
 この日の朝は休日とあって、内灘町にある病院まではスイスイ、とはいっても 20km の道のり、順調でも40分はかかる。家内は私の我侭を聞き入れてくれて、朝と晩との2回、この道のりを毎日通ってくれた。往きか帰りかのどちらかにはラッシュにあうから、私のために毎日3ー4時間費やしてくれたことになる。巷の雀たちは、1日か2日に1回で十分よと言っているのにも拘らずにである。病室でも多くて1日1回、中には週に1回の人もいる。本当に申し訳なく、感謝々々である。
 病院を出て、集合場所の金沢市上荒屋の宮田邸に行く。ここで歳頭のバア子ちゃんが前日急に体調不良で入院し、体調は復したものの、大事をとって参加しないと聞く。すると一行は9人ということに。私も入院していて参加が危ぶまれたが、入院のことは姪のマアちゃん以外には一切話していない。私は病院へ入って体重が4kgばかり減っていて、皆と会った折、少しスマートになったねと言われた以外は特に気付かれることはなかった。10時近く、2台に分乗して出発する。東京から来沢した石田夫妻を金沢駅近くのホテルへ寄って乗せ、いざ出発。

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