(承前)
・12月31日 大晦日に宮番
家のすぐ近くに白山神社がある。このお宮さんは旧新町の氏神様で、旧新町にいた人達は大部分が氏子になっている。そして今は他町へ移っていても氏子であることに変わりはない。ただ所帯出となると、氏子になっていない人もかなりいる。現在は7班40世帯が氏子で、お正月と春と秋の例祭には、内外の掃除と宮番を班単位で行なっている。それでこの正月は私たちの班の5軒が宮番の当番になった。当番は31日の午後2時からお宮さんの内の掃除と飾り付けをし、外回りの行灯の設置や飾り付けは各班の総代が行なう。しかしお宮さんの内と外に張る幔幕の取り付けには、勝手を知っている人が少なくてかなり手こずった。また内の飾り付けも、紅白の鏡餅、御神酒、お塩、お米、海産物 (干し昆布、干しするめ、干し魚 )、生野菜 (白菜,人参、蓮根、大根 )、干し椎茸などを三宝に載せて、二段に分けて所定の棚の場所に飾った。
さて宮番は、大晦日の午後11時から元旦の午後3時まで、5軒で3時間ずつ担当する。私は最も希望が少なかった大晦日の午後11時から翌元旦の午前2時まで宮番をすることにした。
午後5時近く、掃除と飾り付けを終え、一旦施錠し、夕食後、まだ紅白歌合戦の最中の午後11時少し前に神社に出向いた。家内が付いて来てくれたが、これには大変助かった。とにかく最初の当番とあって暖房、記帳の用意からしなければならない。神社の表の戸は開けっ放しということもあって、暖房は大きな石油ストーブに炬燵、それにファンヒーター、これら全てを全開にすれば寒くはないという戦術だ。ところがこれらを全開したところ、ブレーカーが下りて真っ暗闇になった。神社の総代と家内が居てくれたから対応できたものの、一人ではパニックになったろう。電気容量は 30 A とか、それでファンヒーターを点けないことにした。またトイレもブレーカーのある場所もどちらも急な階段があり、明かりも暗く、加えてブレーカーを元に戻すには高い台の上に上がらねばならず、心配なので家内は3時間だったら一緒に居ると言ってくれた。これには大変助かった。事実元旦になって年が明けると、10軒もの家の人がお参りにおいでた。お金を預かっていることでもあり、トイレへの中座も安心して行けたのには大変有難かった。以前は2軒で6時間宮番をしていたが、いつ頃からか1軒で3時間のシステムになった。そして午前2時に次の方にバトンタッチして帰宅できた。
・1月1日 元旦に白山さんへ初詣
次男家族が元旦に寄りたいというので、白山さんへの初詣には一緒に出かけることにした。次男のカミさんに時間を質すと、午前8時に迎えに来るとのこと、それで次男の車に便乗して出かけた。道路は案外空いていたが、旧鶴来警察署前の山手バイパスからは車が数珠つなぎになっていた。それでもまだ空いている方だ。白山さんまで3km強 だが、それでも歩いてかかる1時間ばかりかかった。駐車場は満杯だったが、思ったよりも流れは良かった。1年の無事を祈り、お札と破魔矢を求めた。例年の行事だ。私たちはおみくじはもう長い間求めていないが、次男家族は求めたようだった。白山さんのおみくじは中国の易の六十四卦に基づいていて、すべて均等に入っているのか軽重があるのかは知らないが、道しるべにはなろう。
帰宅して正月を祝った。この日に祝おうと用意してあった青竹酒を次男に振る舞った。頂いたもので、冷凍してあった細工された青竹に日本酒を入れて1日冷蔵しておいたものを飲んだが、清々しい味と香りが素晴らしかった。酒は京都の吉岡酒造の和久伝青竹酒という特別醸造酒、さらっとしていて、よく青竹の薫りを移していた。午後2時にお開き、3時には家内が白山神社の片付けに出向いた。
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