2012年6月13日水曜日

平成24年ゼレン会イン加賀

ゼレン会というのは、昭和34年(1959)に金沢大学薬学部を卒業した同窓生の会の名称である。卒業の34年に因み、元素番号34から元素名を頂戴し「ゼレン会」としたものだ。ところが私がこの経緯を聞いたのは随分後のことで、卒業生の総意で決めたことだから、知らないのは、卒業式に出席できなかった私のみということだった。私はというと、卒業時には、胃潰瘍と十二指腸潰瘍で洗面器一杯の吐血をして大学病院に入院していた。当時は大きな潰瘍は切除するのが通例、それは朝の連続テレビドラマを観ている方なら、当時の治療方針がそうだったということは理解してもらえよう。私も母親も切腹は覚悟していたのだが、丁度時は年度末、外科学会の総会があって、主治医の先生が10日ばかり大学を留守にされ、その間に快方に向かったことから、帰られた先生から手術はしなくてもよいかも知れないと言われ、切腹を免れたという経緯がある。
 さて、何時頃からか、ゼレン会は毎年の開催になった。それまでは2年置き、ただゴルフコンペは毎年やっていたようだ。それで現在は開催を地元とそれ以外の地とで交互に行なうことにしている。それで今年は石川の地での開催である。現在地元には同窓生が4人いるが、よく顔を会わせるのは3名で、通称トクさんのN君がゼレン会の会長をしていることもあって、すべて彼が中心となって行なわれる。O君も私も彼任せで、オンブにダッコだ。一夜の宿はダイヤモンドオーナーズホテル片山津温泉ソサエティという会員組織の宿、これは「東伸」という会社の現社長である同窓のFさんの世話である。彼女は岐阜の大垣に在住しているが、旦那他界の後は社長を継ぎ、年に数回は外国へも商談に行くというキャリアウーマン、この宿は旦那存命中から会社ぐるみでよく利用しているとか。それで彼女の提案もあって、実に割安の料金で利用できることになった。
 5月25日金曜日、私は午前中ぎょう虫の鏡検をし、午後会場へ向かった。前日にはゴルフ組が前泊していて、当日はゴルフ三昧、でもいつもは8人2組なのに、今年は4人1組、不参加なのは身体の調子が良くないからとか、参加人数はこれから年々減るようだ。現在ゼレン会の会員は29名、今回の参加者は15名、半数が集まったことになる。アシは車と電車、長駆仙台や四日市からも車での参加があり、後期高齢者と言えども、まだまだ元気だ。私が着いたのは午後3時、もう半数の人が着いていた。何にもお世話できなかったので、せめてもの罪滅ぼしに残りの人の到着を待つことに。駅への出迎えはホテルの方でやってくれ、当初は私たちがしなければと思っていただけに、これは助かった。
 入湯の後、全員浴衣に羽織掛け(浴衣のみでは廊下へは出られない)、これは彼女の希望だった。宴席はテーブルで椅子席、献立も「ゼレン会様」となっていて、彼女の采配が伺われる。品は一品ずつ出され、都合十二品、お酒も清酒、ビール、ワイン、焼酎など充分に堪能した。2時間半の宴席、済んでは幹事部屋でのお喋り、久しぶりに時を忘れて話し合った。宴会でも皆さん近況を話したが、かいつまんで少し紹介してみよう。
●世話人のO君:彼は飛騨高山の出身だが、卒後居座り、金沢の人になってしまった。四国八十八箇所巡りを三度も、それも徒歩で完遂したという剛の者、一方で今でも名の通った合唱団のメンバーの一員であり、また俳壇でもこの人ありと知られた存在、翌日の半日観光でも、常にメモをとるという熱心さ、頭が下がる。
●仙台在住のO君:東北大震災に遭遇、幸い住居は高台にあって、津波の被害はなかったものの、当時の生々しい状況を聞かされた。停電10日、断水20日、それにモノ不足が深刻だったという。今は生活は元に戻って、囲碁とゴルフが生活の中心だとのことだが、前日のゴルフコンペでは往年の影がなかったとは同行者の弁、どうしたのだろうか。
●富山在住のNさん:旦那さんは同級生で、あの金大トップで入学したN君、他界されてしまったが、彼女は今娘さん夫婦と一緒にお住まいとか。ガンで手術され、その近況を身辺句として披露され、彼女の日常と折々の感情を吐露してくれた。
●前橋在住のK君:会社経営は息子さんに任せ、県の学薬会長も後進に譲り、自由な時間を謳歌していると思いきや、腰痛からくる間欠跋行と下肢の痺れ・痛みなどで杖が必要な毎日、それで温泉治療をしながらのリハビリ、一見そんな風には見えないけれど、好きなゴルフが出来ないなど、本当なのだと思わざるを得ない。
●関西在住のK君:同窓では一番のゴルフのやり手じゃなかろうか。奥さんも中々の腕前だとか、夫婦揃っての同じ趣味とは羨ましい。ところで車の運転は片道100kmを超える運転は許可にならないとか。それで今回は電車での参加、夫を想う気持ちが伝わる。
●四日市在住のN君:まだ現役で週3日の管理薬剤師。ゼレン会には以前は自動二輪での参加だったが、今は四輪にしたとか。まだ勤務しているのは、趣味のゴルフと社交ダンスの費用捻出のためとか、目的があるということは素晴らしい。
●会長のN君:世話好きで、この人が居ないと会が立ち行かない。あの震災があった3月11日が誕生日だったとは。昨年は石川県薬の会長をされていた兄貴さんが急逝され大変だったが、それでも彼は会の開催に尽力してくれた。頭が下がる。
●所沢在住のT君:学生の頃はスポーツマン、今は肥満タイプだし、薬も9種類飲んでいるとかで、一見不養生なようだが、見せてくれた検査データを見る限りは、私よりずっと健康状態が良い。でも彼は今年はゴルフに参加しなかった。その理由の一つはゴルフ場でのカート利用が必須なのだとか。
●さいたま在住のTさん:もう薬局も閉められ、山などへもよく出かけられていたけど、今は代わりに観光地へ出かけているとか、これは「暇人の仕事」と嘯かれる。元気そうで、毎回参加される常連だ。
●富山在住のN君:学生の頃から「御大」で通っている。金大トップ入学のN君の相棒でもある頑張屋だ。彼は日医工の専務で辞めたが、現役中は訛りのある英語を駆使して世界中を飛び回った。役職に就いて間もなくゴルフをせざるを得なくなり、3週間の練習でグリーンに出たとかだが、その時のスコアが190だったとか。でもアメリカの名門コースでホールインワンを成し遂げ、証明書を頂いたことがあり、努力と運の持ち主でもある。その彼が一昨年大腸癌に。部位は上行結腸、手術のため常用していたアスピリンを一時中止したところ、心臓に生じた血栓が脳に飛んでの脳梗塞、もしもを予想して息子に遺書までしたためたとか。大腸癌の方はリンパ節転移もなく、小腸と結腸を吻合した後は、脳梗塞の影響は若干出ているものの、今はほぼ八割方近く回復したという。
●福井在住のN君:彼は心臓弁膜症で手術をしたという。彼とは学生時代に一緒に山へ行ったことはないのだが、いろいろ話を聞いていると、一念発起して階段上り下りのトレーニングで足腰を鍛え、以来私よりは遥かに広範囲の山々を踏破しているのには驚いた。今もまだ出かけているとかだが、とにかく恐れ入った。彼は金沢生まれなのだが、卒業後はずっと福井に住み、福井の人になってしまった。
●福井在住のKさん:旦那さんを亡くし、薬局も閉め、今は一人暮らしとか。以前は山へも出かけたそうだが、今は本を読み、音楽を聴き、趣味の書道をし、小旅行をし、充実した日々を送られているとか、羨ましい。今は家庭菜園も始め、これがとても楽しいとか。
●富山在住のM君:彼は製薬会社を辞めてからは郷里の福光で調剤薬局を経営している。彼は学生時代には山へはあまり行っていなかったように思うが、就職してからはよく行き、日本山岳会にも所属しているはずだ。今でも昔の仲間と春と秋には登山しているという。私よりはるかに元気だ。また彼の特技は絵を描くことで、今回も寄せ書きの挿絵も彼が描いたが、正に玄人はだしである。そして驚いたことに、彼の父は101歳とか、お元気で毎日一合の晩酌を楽しまれているとか、彼も長生き筋だ。

 翌日は半日観光、3人が帰り、残り12人が3台の車に分乗して那谷寺を拝観し、次いで加賀市橋立にある北前船の里資料館を見学した。私にとっては初めての入館、北前船が単に物資の輸送をしたのではなく、その商品を必要とする土地での商いをする商社の働きをも兼ね備えていたという。その利ざやで巨万の富を築いたのだそうだ。でも鉄道の敷設で、この海上輸送の役目は終わったという。
 昼食は宿から推奨されたという、資料館とは程近い小塩町の山本屋へ入った。何か歴史を感じさせる店で、橋立港に隣接しているので、新鮮な魚料理もさることながら、ずわい蟹の蒸し焼き2尾が3人に1盛り出たのにはたまげた。とても食べ尽くせなかった。しかも当てがノンアルコールでは・・。そして加賀温泉駅で解散。次回は再度O君の世話で、再び仙台で開催することになった。元気で再会したいものだ。

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