2011年12月28日水曜日

「シンリョウのジュッカイ」 (6)

● 旧野々市小中学校
 私が入学した野々市町立国民学校は、終戦後には野々市小学校になったが、今は私たちが通った古い学校の面影は全くない。というのは、古い小学校・中学校は、町村合併によって、統合した小学校、中学校が新しく建てられて移転したからである。しかも旧校舎の敷地は、新たに開通した県道窪野々市線(193号線)によって東西に分断され、今は西側の敷地跡に建てられた野々市中央公民館の前にひっそりと立つ跡地碑によって、昔ここに野々市小中学校があったことが僅かに偲ばれるのみである。ほぼ正方形だった旧敷地は、東は白山神社、南は町道、西と北は住吉川に囲まれていて、一辺は150m位あったろうか。旧校舎は南向きに建っていて、町道を挟んで右手には旧野々市町役場が、左手には旧公民館があった。校舎の裏にあたる北側には広い運動場があり、町の球技大会や盆踊りは此処で開催されるのが恒例だった。

● 小学生の頃の遊び(1) 樹上での鬼ごっこ
 運動場の東に接してあった白山神社の境内はそんなに広くはないが、沢山の木々が植わっていて、それらが絡み合っていて、木から木へ容易に移ることができ、三抱えはあろうという銀杏のてっぺんまでも上ることができた。この大銀杏のほかに、欅や赤松とか杉や銀杏などが数本ずつ植わっていて、ここで樹上鬼ごっこをした。私は小さかったが木登りは得意で、木を伝いながら、大銀杏の頂までもよく上がった。身が軽かったこともあって、鬼に捕まったことはないし、逆に鬼になったら確実に狙った相手を捕まえることができた。一度鬼に負われて杉の枝を伝って逃げようとしてたら足元の枝が折れ、宙ぶらりんになったことがあった。ここでの遊びの空間の高さは、大銀杏を除けば5-10mほどだが、とにかく昼休みの時間などにはよくここへ来て遊んだものだ。もっともこれは男の子の遊びで、女の子が混じったことはない。高学年になってからは、松の横枝を絡ませ、藁縄を張り巡らせ、ターザン紛いの樹上遊びもした。でも先生や父兄から咎められたことは一度もない。もっともこれは好きな連中が集まってすることで、空が利かない子に強要したことはない。事故は一度もなく、唯一私の宙ぶらりんが、らしき出来事だった。
 あるとき一計をめぐらし、高のきく3人を誘って、NHK金沢放送局の野々市送信所の送信塔に上ることにした。塔は対になっていて、高さは30m位だったろうか、もっと高かったかも知れない。今は送信塔は棒状だが、以前のは送電線の鉄塔のように鉄骨組みで、足場さえ確保できれば上られるはずで、最上部には船型の部分があった。今では鉄塔に簡単に上れないように、忍び返しなどが付けてあるが、当時はそんなものもなく、上っていけないとの表示もなく、難なく全員登頂に成功した。そして船の部分で横になっていたら、送信所の方に見つかって、お目玉を食った。でも学校への通報もなく、以後しませんで堪忍してもらった。今のご時世なら大変な一騒動になっていたに相違ない。
● 小学生の頃の遊び(2) パッチ遊び
 パッチというのは、厚紙を直径二寸とか三寸に丸く切り抜かれたもので、通常、表には色々と彩色した絵が、裏には単色の簡単な模様などが描かれているものが多く、自作のはゲームには使用できず、通常市販のものが遊びに使われていた。これは一人でも遊べるが、大概は数人で遊ぶことが多かった。人数分のパッチを表を上にして置いておき、順が回ってきたら、自分のパッチで他の人のパッチに挑戦し、相手のパッチの下へ潜らせたり、相手のを引っ繰り返したりすれば、そのパッチをゲットすることができるというわけである。場所は屋内でも屋外でも、時には凹凸のある所や傾斜のある所、土の上、コンクリート、砂地など、場所を選ばずにやることができる。上手な子は片手では持てない位ゲットしたものだ。
 パッチでのもう一つの遊び方は、「ダム」といわれたゲームで、数人でやるのが常で、例えば一人10枚位ずつ皆等分に出し合い、段差がある上の部分に集まったパッチを横長に固めて置き、それを大きなパッチ、もしくは二寸×三寸位の長方形の厚紙(ダマ)で、積まれているパッチに当てたり、あおったりして段下へ落とすもので、落とした分をゲットできる仕掛けになっている。うまくあおってバラして落とすのがコツだった。
 またよく似た遊びで、名は忘れたが、同じように同数ずつ出したパッチを平たい所にバラ積みにし、同じように大きめのパッチやダマで当てたり、あおったりして、バラして一枚にするとゲットできるという遊びもした。この手の遊びにはコツがあって、とりわけ上手な名人がいた。オップというあだ名の私らの2級上の大将は、この遊びでは敵なしで、恐れられた存在だった。
● 小学生の頃の遊び(3) かくれんぼ、「ぼいやっこ」
 前者はそんなに広くもない区域で、鬼になった子が他の子を見つける遊びだが、後者はかなり広い区域での遊びで、鬼も2,3人いて、他の子を見つけるだけでなく捕まえなければならないというかなりハードな走り回りもしなければならない遊びである。
● 小学生の頃の遊び(4) 杉鉄砲、紙鉄砲、(付 パチンコ)
 前者は杉の実、後者は丸めた湿った紙の球を竹の筒から打ち出すもので、前者は杉の実が丁度入る位の細い竹を選び、銃身には節のない部分を、打ち出す方は内径にぴったりの竹ひごを用い、これを銃身下部の竹の節のある部分に刺し、これで内圧を高めて杉の実を飛び出させるもので、竹ひごの長さは調節する必要があった。後者は銃身にはもっと太いヤダケなどを用い、丁度内径にぴったりの細身の竹を探して装着するもので、発射のスピードも威力も杉鉄砲より強く、当たると痛いし、当たり場所が悪いと怪我したりした。
 パチンコも作った。これは二又の木のY字の先に幅広のゴムバンドを装着し、小石を挟む部分を革などで補強したもので、これは危険な遊具だった。鳥なんかをこれで狙った。
● 小学生の頃の遊び(5) 独楽回し、凧上げ、剣玉
 どこでも行なわれたお馴染みの遊びの数々である。凧は自製が多かった。
● 小学生の頃の遊び(6) 「Sけん」「だっちょぶくろ」                      前者は地面に大きなSの字を描き、Sの字の中にいるときは両足で立っていてもよいが、一旦出口から外へ出ると、片足立ちして、ケンケンしなければならないのが決まりで、相手方と遭遇して揉み合い、先に両足が着いた方が負けになる。大概は5,6人が組になって、二組で戦う。
 後者は、地面に大きな長方形を描き、その角に膨らんだ円を四つ描き、これがダッチョという部分になる。長方形の内側に、人が一人通れる幅の回遊できる通路を設け、その内側が陣地になる。これを等分に半分にして、通路に向け一カ所の出口を設ける。やはり5,6人が一組になり、二組で争う。遭遇して外枠からはみ出されると負けで、残り人数で比較したり、とことん決着つけたりする。                  ● 小学生の頃の遊び(7) 腕相撲など
 教室ではよく腕相撲をした。
 また、握手をした状態で、右足を前に出して互いに向き合い、足の位置はそのままで、腕や身体を前後左右に振ったりして、相手をよろけさせたり、倒したりすると勝ちになる遊びで、駆け引きが面白い。何と言ったか思い出せない。
 また手と手ではなく、両者間の媒体に縄や紐を使うもので、これは二人が相対峙して行なう。これは前者よりもっと駆け引きが必要で、やはり足の位置がずれた方が負けになるもので、面白かった。やはり遊びの名前は分からない。
● 小学生の頃の遊び(8) 「ほっけうま」
 一人が壁を背にして立ち、次の人は前に立った人の股に頭を突っ込んで「うま」になり、順次、次々と5,6人が同様に前の人の股に首を突っ込み、こうして連続した「うま」ができ上がる。そこへもう一組の者が、後ろから跳び箱を飛び越す要領で、相手方の「うま」に飛び乗り跨る。このとき「うま」の人は、故意に身体を動かして乗られないようにしたり、振り落としたりすることもできる。二組同数で、交互に「うま」になったり、飛び乗る側になったりして、最後に多く残って乗っていた組が勝ちとなる。しかし時に一人の「うま」に集中して乗られると、その重みで「うま」がつぶれることもしばしばで、そんなときには危険を伴った。
● 小学生の頃の遊び(9) 陣取り
 決められた範囲の地面に五寸釘を上手に突き刺して、刺せた点と点とを線で結んで陣地を作るもので、先ずは上手に釘を刺すことと、如何に効率的に場所取りをするかで勝負が決まる。これは地面が乾いていて固いと釘が刺さらず、勝負にならない。

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