2011年12月8日木曜日

「シンリョウのジュッカイ」 (4)

● 学生時代に愛唱した歌
 私が入った大学は地元の金沢大学である。大学へ入ってしまえばこちらのものという風潮があり、まだ未成年なのによく友達と酒を飲んだ。その頃は未成年だから酒を飲んではならぬと誰も言わず、飲めば歌を歌った。私はどちらかというと硬い方だったので、歌うのは旧制高校の寮歌が主だった。これを覚えたのは新制高校の時で、何故か類をもって集まったという連中と、酒を飲んでは寮歌をガナった。金沢には旧制の第四高等学校があったが、やはりそれに対する一種の憧れがあったからだろう。よく歌ったのは四高の寮歌や応援歌、追悼歌が主だが、一高、三高、五高、北大予科の寮歌などもよく歌った。大学へ入ってもこの傾向は変わらず、当時学内で台頭していた歌声運動には一顧だにしなかった。入学後、私は山岳部(当時は「山の会」といった)に入ったが、ここでは山の歌も一緒に歌ったが、私は寮歌にこだわりを持っていたから、それも披瀝した。また高校の同期で金大に入った連中の集まりでは、寮歌で蛮声をあげたものだ。
 寮歌がメインだったが、そのうちデカンショ節が入ってきた。もっともこの歌、学生の間ではかなり敷衍していて歌われていたらしいが、それが次第に我々の持ち歌になった。元歌はもとより替え歌も面白く、出来るだけ蒐集した。今私の手元に当時のメモがあり、それを披瀝してみたいと思う。もっとも歌ったことがある方はご存知だろうし、即興もありだろうが、でもとにかく私たちが高吟した唄の文句を紹介することにする。

「デカンショ節」
[元 唄]
・デカンショデカンショで半年ァ暮らす(アヨイヨイ)
 後の半年ァ寝て暮らす(ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ)
・丹波篠山 山家(やまが)の猿が  花のお江戸で 芝居する
・酒は飲め飲め 茶釜で湧かせ  お神酒(みき)上らぬ 神はない
・丹波篠山 山奥なれど  霧の降る時ァ 海の底
・丹波篠山 鳳鳴(ほうめい)の熟で  文武鍛えし 美少年
・私ァ丹波の搗栗(かちぐり)育ち  中に甘味も渋もある
・明日は雪降り 積もらぬ先に  連れてお立ちよ 薄雪(うすゆき)に

 掛け声の「デカンショ」については諸説があり、私たちがよく聞かされ知っているのは、デカルト(フランスの哲学者)、カント(ドイツの哲学者)、ショーペンハウエル(ドイツの哲学者)の略であるという説である。この根拠は、藩校の鳳鳴義塾での優秀な者は東京へ遊学したが、夏には千葉の八幡の浜で合宿し、その折に歌っていたのを一高生が聞き、共鳴して愛唱するようになり、学生歌として広まったというものである。折しも丹波篠山では、学生歌として高唱されていたデカンショ節が逆輸入されることになる。もっとも由来については、「デコンショ」という盆踊り唄からきたとか、「ドッコイショ」の転訛だとか、篠山方言の「デゴザンショ」や、或いは丹波杜氏の「出稼ぎしょ」の意味をもつとかの説もある。また旧味間村に古くから歌われている農婦の哀歌(糸紡ぎ唄)の「テコンショ」を鳳鳴義塾の学生が聞き、歌い出したとの説もある。でも、いずれにしても定説はない。

[替え歌] 順不同
・論語孟子を読んではみたが  酒を飲むなと書いてない
・酒を飲むなと書いてはないが  酒を飲めとも書いてない
・勉強する奴ァ頭が悪い  勉強せぬ奴ァ尚悪い
・昔ァ神童と言われたけれど  今じゃドイツ語で目を廻す
・ほんにドイツ語は夫婦の喧嘩  デルのダスのと喧しい
・飯は食いたし朝寝はしたし  飯と朝寝の板挟み
・仮病使って電報打てば  金の代わりに親父来る
・説教聞く時ァ頭が下がる  説教頭の上かする
・どうせやるならデカイことなされ  奈良の大仏 屁で飛ばせ
・どうせやるなら小チャイことなされ  蚤のキンタマ串で刺せ
・デカンショ踊ればポリ公が怒る  怒るポリ公の子が踊る
・デカンショデカンショで死ぬまで踊れ  俺が死んだら息子踊る
・デカンショデカンショで死ぬまで踊れ  息子死んだら孫踊る
・理科の奴等の頭を叩きァ  サインコサインの音がする
・理科の奴等の夜見る夢は  四角三角円(まる)五角
・理科よ理科よと威張るな理科よ  末は土方か藪医者か
・文科文科と威張るな文科  末は心中か駆け落ちか
・文科の奴等の頭を叩きァ  文明開化の音がする
・教師教師と威張るな教師  教師生徒の成れの果て
・生徒生徒と威張るな生徒  生徒教師の一滴(ひとしずく)
・親爺親爺と威張るな親爺  親爺息子のひねたもの
・息子息子と威張るな息子  息子親爺の一滴
・息子頭にコウコを載せて  親父これみよ親孝行
・息子頭にコウコを載せて  これがホントの親孝行
・俺が死んだら三途の川で  鬼を集めてデカンショ踊る
・ホンに美味いもんだよ親爺のスネは  齧(かじ)りゃ齧るほど味が出る
・親爺のスネを分析すれば  シネマ メッチェン トリンケン
・ホームシックと馬鹿にするな  之(これ)が拡がりゃ愛国心
・大井川なら俺でも越すが  越すに越されぬ学期末
・地球抱えて太陽呑んで  星の世界で俺は寝る
・出来ることなら一年中を  夜と日曜にしてみたい
・俺のリーベは世界に二人  クレオパトラと楊貴姫
・頭禿げでも浮気は止めぬ  止めぬ筈だよ先がない
・電車の窓から小便(ションベン)すれば  これが本当(ホント)の電車チン
・橋の上から小便すれば  下じゃドジョウの滝のぼり
・橋の上から大便すれば  下じゃドジョウの玉子とじ
・富士の山から小便すれば  流れながれて太平洋
・万里の長城から小便すれば  ゴビの砂漠に虹がたつ
・エッフェル塔から小便すれば  パリの空には虹がたつ
・朝の目覚まし一度は止めて  腹の時計で跳ね起きる

 さまざまな歌詞が創作されて伝わっているが、要は都々逸と同じく、七・七・七・五の語呂にさえなれば、OKということになる。私が大学を卒業してから既に半世紀が過ぎた。今は時代も変わり、もう旧制高校の寮歌やデカンショ節を歌う学生はいまい。もっとも私だって歌う機会は滅多にない。そこでメモとして記載した。

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