2015年8月10日月曜日

白山の三馬場めぐり(その1)

 6月の下旬、日は定かではないが、地元紙の北國新聞の社会面に、平成 29 年に白山開山 1300 年を迎えるに当たって、白山・泰澄大師ゆかりの地をめぐる旅として「白山の三馬場めぐり」が企画され、加賀の白山比口羊神社、越前の平泉寺白山神社、美濃の長滝白山神社を回り、三カ所で牛王宝印を集めると、記念品を贈呈するとのことだった。地元の白山さんにはしょっちゅう、越前の平泉寺へは十回近く、美濃の長滝白山神社にも過去2回訪れたことがある。この三馬場は泰澄大師による白山開山後、白山登拝の禅定道の起点ともなった場所であり、これら三禅定道は今でもその一部や全部が白山への登山道として現存している。
 それで早速6月 28 日の日曜日に白山さんに出向き、社務所で新聞でこの企画を見たが、そのスタンプラリーのパンフレットを頂けないかと頼んだところ、この企画は7月からなので、7月になってからでないと渡せないとのことだった。そしてこのパンフレットは7月になれば道の駅でも貰えますとのこと。7月1日になり早速道の駅「しらやまさん」へ出向き、スタンプラリーのパンフレットを貰った。でも置いてある場所はすぐには分からず、案内の人に聞いて初めてその場所が分かったような目立たない所に置いてあった。このパンフレットは立派な出来で、A5版 12 頁のカラー刷り、しかも A3版の折りたたみ案内地図まで付いている優れものだった。
 このラリーの有効期間は、7月と8月の2ヵ月間のみ、この間家内と一緒にと思ってはみたものの、家内はまだ市内の医院に勤務の身、日曜日しか空きがなく、彼女がフリーでも私に用事があったりで、ようやく都合がついたのが8月2日の日曜日、でも私は2,3日前から原因不明の左手手首の痛みと腫れ、車の運転が危ぶまれたが、いざとなったら家内が運転するとのことで出掛けることにした。三馬場巡りへの出発である。

1.白山比口羊神社(旧国弊中社) 石川県白山市三宮町
 家を午前8時に出る。旧鶴来町の山側バイパス ( 県道 103 号線 ) を通って神社の駐車場へ。昨日は別の用事で来ていたが、1日とあって駐車場はほぼ埋まっていた。これは毎月1日には早朝4時半から「おついたちまつり」の特別祈祷があるからで、月の初めにお祓いを受ける方々が参集する。それにしてもこんなにいるのだなあと感心した。でも今日は駐車している車はまばらである。この大きな駐車場ができてからは、車で参拝する人はもっぱらこちらからの利用が通常で、表参道から参拝する人はごく一部でしかない。表参道にも駐車場はあるがずっと狭い。ずっと以前にまだ北陸鉄道の加賀一宮駅があった頃は、ここから表参道を上がって参拝したものだ。
 駐車場から北の鳥居をくぐって北参道から境内へ、手水舍から一旦表参道へ回り、神門から再び境内へ、お参りしてから社務所で牛王宝印を頂く。また御朱印も頂いた。牛王宝印とは、神仏を勧請した守り札として社寺から出されたもので、古くは延命長寿や家内安全の御守とされていたとある。印は「白山権現牛王寳印」と読める。
 パンフレットを見ると、創建は紀元前 91 年 (崇神天皇7年 )。白山を神体山とし、白山比口羊大神 ( 菊理媛尊=ククリヒメノミコト)、伊◯諾尊 (イザナギノミコト)、伊◯◯尊 (イザナミノミコト ) を御祭神とするとある。また全国にある白山神を祀る三千社以上ある白山神社の総本宮であり、神社信仰の神社数としては全国では第8位である。因みに最も多いのは八幡信仰、次いで伊勢信仰、天神信仰、稲荷信仰と続く。
 ここで疑問なのは、白山を開山した泰澄大師は当時の加賀の国には足を踏み入れてはいないのではないかとのこと、従って神仏習合の時代にあっても寺は存在しなかったようだし、明治になって廃仏毀釈になった際にも、白山本宮のあった加賀馬場は何の影響も受けず、却ってこれを機に白山は白山比口羊神社の所領となった。そしてこの折白山に安置されていた多くの仏像が壊されたりしたが、それを危惧した村人達が山から下ろした仏像が白峰の林西寺の白山本地堂に安置されているが、これは加賀馬場とか、白山信仰が全国に広まった後に栄えた加賀禅定道とかとは縁がない。加賀禅定道とは、加賀馬場を起点として、中宮から尾添尾根を経て白山室堂に至る道で、現在は白山一里野温泉と白山室堂との間で復元されている。
 ここに小一時間程いて、次の越前平泉寺へと向かった。

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