2015年6月16日火曜日

子うし会で五島列島を巡る(その2)

2.5月27日(水)
2−1 大寳寺(玉之浦地区)
 今日のガイドさんは五島市ふるさとガイドの会の前会長の男性、通年だと年に十数回のお呼びだが、今年はもうそれを越えているとか。ホテルを9時に出て西進し、玉之浦地区に入る。大寳寺は島の西南にあり、ホテルからここまで 45 分を要した。僧空海が元和元年 (806) に唐から帰国した際に、この地の沖に漂着したと言われ、ここで初めて布教したことから、この寺は西の高野山とも称され、寺は国指定重要文化財になっている。境内には空海の書とされる「いろはにほへと…」の書の石碑が建っている。本堂にも上がってお参りし、御朱印を頂いた。 
2−2 井持浦 (いもちうら ) 教会ルルドと大瀬崎灯台(玉之浦地区)
 大寳寺から半島の狭い山道を 20 分ばかり西へ進むと井持浦教会ルルドがある。この教会の左手にある崖にはマリア像が安置されており、聖母マリアが 18 回も現れたと言われる南フランスのルルドの町にあるマッサビルの洞穴を模して造られた洞穴があり、そこからは霊泉が湧き出ている。この教会は明治 32 年 (1899) に創建されたという。この日も多くの人達が訪れていた。私もこの有難い泉の水を飲ましていただいた。志を納める。  
 その後半島を少し北の方へ進み、途中から折れて南下すると、東シナ海に突き出た断崖の突端に建つ白亜の大瀬崎灯台を見下ろせる場所に出る。高台から見下ろすと実に素晴らしい景観だ。この灯台は日本の灯台 50 選にも入っており、ここから見る東シナ海の水平線に沈む夕日は格別とか、日本の夕陽 100 選の場所でもある。素晴らしい自然を堪能した後、玉之浦町にある大瀬崎ルルド観光レストラン「NEWパンドラ」で昼食をとった。
2−3 魚藍観音展望台(三井楽地区)
 昼食後、島の西端につけられた国道 384 号線を北上する。荒川温泉を過ぎ更に北へ進むと、五島の代表的な砂浜がある風光明媚な海水浴場が隣接して2つ現れる。初めに眼下に見えたのは玉之浦地区北端にある頓泊 (とんとまり) ビーチ、次いで見えたのは三井楽地区の南端に位置する高浜ビーチで、広い入江に広がった白砂の浜は実に美しい。特に後者は日本一美しいと言われる砂浜で、日本の渚 100 選、日本の海水浴場 100 選に選ばれている。そしてバスはこの2つの海水浴場を眼下に見下ろせる魚藍観音展望台へ。青い海、白い浜、背後の山々の緑、晴れた空の色、白い雲、これは正に一幅の絵になる構図である。
2−4 辞本涯の碑と、「道の駅」遣唐使ふるさと館(三井楽地区)
 東シナ海を見ながら更に北上し、島の北西端に達すると、そこには「辞本涯」と書かれた大きな記念の石碑が建っている。ここは空海が延暦 23 年 (804) に唐へ舩で渡る際の日本見納めの地とされていて、この字句は空海の書から引用されたもので、「日本の最果ての地を去る」という意味だそうだ。碑は突端にある柏崎灯台と沖に浮かぶ姫島を背に、空海の遺徳を顕彰するために、地元有志により建立されたという。
 柏崎から東海岸沿いに 30 分ばかり南下すると、長崎県では離島初という道の駅に着く。もうここには何でも有りの店。また遣唐使ふるさと館と称しているだけあって、遣唐使についてのかなり詳細な説明があるコーナーも設けられている。ここには高い展望台もあり、立ち寄った。
2−5 水之浦教会と魚津ヶ崎 (ぎょうがさき) 公園(岐宿 (きしく) 地区)
 国道を東進すると進行方向右手に水之浦教会が見えてくる。この教会は明治 13 年 (1880) に創建され、昭和 13 年 (1938) に改築されたという教会で、木造教会としては最大規模と言われ、車窓から見たのだが、白い天主堂と尖塔が実に印象深かった。車はここから左折して魚津ヶ崎 公園に向かう。ここは遣唐使舩の日本最後の寄港地として、古くは肥前風土記にも記載されていて、その説明板が置かれていた。広い草地となっていて、キャンプもできるという。
 これで福江島の観光が終わり、上五島へ向かうため福江港へ。ここで長崎港と福江港を結ぶジェット舩に乗り、上五島の中通島にある奈良尾港へ向かう。
2−6 ホテルマリンピア(中通島 有川地区)
 海路 30 分で奈良尾港に着き、ホテル差し回しの車でホテルへ向かう。この中通島は新上五島町では最大の島で、その西岸を南北に通る国道 384 号線を通って約1時間、この町最大というホテルマリンピアに着いた。早速展望風呂で汗を流し、着替えてレストランで夕食。魚などの刺身はともかく、一人に1尾の立派な伊勢海老の姿造りが出されたのには本当に度肝を抜かれた。五島名産の牛、豚、それに地の焼酎、十分に堪能できた。

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