2015年6月16日火曜日

子うし会で五島列島を巡る(その1)

 昨年の子うし会 (昭和 11 年子年4月〜昭和 12 年丑年3月に生まれた野々市小・中学校同窓生の会)で、今年は五島列島を巡ろうということになった。昨年の 10 月に案内を出したところ、男5名、女5名、計 10 名の参加が見込まれた。しかし会員の年齢が 80 歳に近いこともあって体調不良の方が出て、最終的には男4名、女3名の旅行になった。催行日程は、平成 27 年5月 26 日 (火) 〜 28 日 (木) の2泊3日である。
 五島列島は長崎県の西の洋上にあり、全島が西海国立公園になっている。行政区画では、下五島は五島市、上五島は大部分が南松浦郡新上五島町であるほか、一部の島は西海市と佐世保市に属している。

1.5月26日(火)
 石川在住の5名と北陸交通の添乗員の方は小松空港から、大阪在住の2名は伊丹空港から、共に福岡空港で合流し、乗り継いだプロペラ機で福江空港 (愛称は五島つばき空港) に降り立った。福江島は五島列島では最大の島で、空港は島の南東、鬼岳の麓にある。
1−1 鬼岳(福江地区)
 空港には五島バスのマイクロバスが来ていた。25 人乗りとあって、ゆったりの観光となった。この日案内してくれたのは、五島市ふるさとガイドの会の女性、島のことについては実に詳しく、しかも退屈させない案内、本当に恵まれた旅行になった。 
 初めに訪れたのは鬼岳、標高は 317m 、全山芝生に覆われたボタモチ状の火山。駐車場に車を停め、あとは徒歩で山の中腹へ。山頂への中程にはなだらかな場所があり、そこには展望台や休憩所がある。東側には海が広がり、西側には島中央部にある山々が連なって見え、眼下には空港も見えている。広い芝生の広場には、あちこちにニワゼキショウが咲いていた。
1−2 鐙瀬 (あぶんぜ) 熔岩海岸(福江地区)
 鬼岳の南に位置するこの海岸は、鬼岳噴火での熔岩が海に流れ込んで出来た地形で、黒い荒々しい岩礁が十数 km にわたって続いていて、その景観を高台にある展望所から眺めることができる。ソテツが沢山自生していて、何故か古い葉を切り落とすのだが、するとその箇所にいろんな植物が寄生し、変わった独特な景観を醸し出している。
1−3 武家屋敷と福江城 (石田城) 跡(福江地区)
 車は福江の市街地に戻る。ゆっくり武家屋敷通りをバスで通りながら、説明を受ける。屋敷はすべて石垣塀で囲まれていて、塀の上には丸い小石が積み重ねられている。この小石の効能は、賊が塀を乗り越えようとすると崩れて乗り越せないことのほかに、この小石を武器代わりにしたとか、通りにある石垣はみな同じような構築だった。そして今宵の宿の近くにある福江城跡、我が国唯一の海城で、外国船の襲来に備えて江戸時代に築城されたとか。城の周りには堀が巡らされている。
1−4 堂崎天主堂(福江地区)
 市内を通り抜け、島の東北端にある、五島では最も古いという堂崎教会へ行く。この教会は明治 13 年 (1880) にマルマン神父によって初めて建立された堂崎小聖堂が原型とか。その後明治 21 年 (1888) に着任したペルー神父は、資材の一部を遠くイタリアから取り寄せ、明治 37 年 (1904) に着工し、明治 41 年 (1908) に現在の赤煉瓦造りのゴシック様式の建物が完成し、殉教した日本 26 聖人に捧げられた。平成 20 年 (2008) には、堂崎天主堂献堂 100 周年祭が行なわれた。資料館には、聖ヨハネ五島 (日本 26 聖人) 関係の資料、弾圧され表向きには仏教徒を装った隠れキリシタン (元帳) の資料、五島で生まれ、その後ブラジルで宣教した中村長八神父関連の資料等々が展示されている。また教会前の庭には、聖ヨハネ五島 ( 26 聖人の一人)の殉教像、アルメイダ (ザビエルの鹿児島上陸の後、五島でキリスト教を布教した宣教師 ) の碑、マルマン神父とペルー神父と子供たちの碑が置かれている。県指定有形文化財。
 現在下五島には、福江島に 14 、久賀島に2、奈留島には3、計 19 の教会がある。
1−5 カンパーナホテル(福江地区)
 現在五島列島では最も大きいホテルで、福江港に近い東浜町にある。ホテルの展望風呂からは、福江の町並みや福江城跡を眺めることができる。夕食は地魚の造り、煮付け、蒸し物、酢の物、ソテー、五島牛の陶板焼き、御飯は五島米、留椀は五島うどんと、すべて五島の産物のオンパレードだった。

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