2013年4月18日木曜日

井上道義の指揮でショスタコーヴィチを聴く

 井上道義の指揮によるサンクト・ペテルブルク交響楽団の金沢公演は、4月14日に石川県立音楽堂コンサートホールで開催された。主催は創刊120周年を迎えた北國新聞社と石川県音楽振興事業団である。この公演は、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期会員には先行予約できる特権があって、今回はスムースにS席のチケットを購入することができた。ずっと以前、おそらく金沢観光会館(現金沢歌劇座)でだったと思うが、痩身で背の高いエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮によるレニングラード交響楽団の大編成による圧倒された演奏を思い出した。ソビエト連邦共和国の体制が崩壊して、連邦内の共和国が独立し、ロシア共和国が生まれ、レニングラードは旧名だったサンクト・ペテルブルクと名称が替わり、それに伴って交響楽団の名称も変わった。

● サンクト・ペテルブルク交響楽団
 1931年の創設というから、創立して80年を超えている。現在の常任指揮者は1977年に就任したアレクサンドル・ドミトリエフである。これまで E.ムラヴィンスキー、I.ムーシン、K.エリアスベルク、N.ラビノヴィッチ、A.ヤンソンス、Y.テミルカーノフらが首席指揮者を勤めてきた。第二次世界大戦の最中、ドイツ軍によるレニングラード包囲戦で街は包囲されたが、それでも1948年8月には、エリアスベルクの指揮でショスタコーヴィチの交響曲第7番が初演されたのは、今でも語り種になっている。この楽団では現在でもショスタコーヴィチの作品はレパートリーの重要な部分を占めており、2004年にはレニングラード包囲戦反攻60周年を記念して、作曲家の息子のマキシム・ショスタコーヴィチの指揮で演奏が行なわれたとかである。この日の演奏後、井上道義は、40年前にレニングラード交響楽団を客演指揮したが、その時のメンバーは一人もいないと述懐していた。
● 指揮者・井上道義
 OEKの創設者である岩城宏之が亡くなって、後任の音楽監督選びに入った時に、最も有力な候補は井上道義であった。彼は何度かOEKを客演指揮していて、気心も知れていて、この人以外に適任者はいないと考えられていた。ただ前任者とはそのオーラは全く異質なものだという印象があった。彼は国内では、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を6年、京都市交響楽団の音楽監督・常任指揮者を9年勤めてきた。その後、1999年から2000年にかけて、新日本フィルとマーラーの交響曲の全曲演奏会を行ない、当時日本におけるマーラー演奏の最高水準と高く評価された。また2007年11月から12月にかけて、彼は日本とロシアの5つのオーケストラを指揮し、「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」を東京で開催、その時、全15曲中8曲は サンクトペテルブルク交響楽団が担った。現在彼は「日本ショスタコーヴィチ協会」の会長でもある。また彼はこれまで名だたる外国のオーケストラを20余りも客演指揮している。
 指揮者・井上道義をOEKに就任以来ずっと見ていると、型破りな面があると思う。ついこの間も北朝鮮の平壌に招かれてベートーベンの第九を振ったときも、何の躊躇もなく出かけ、この時期に何故と県議会でも参考人として呼べとの話も出たが、とにかく一般的常識は彼には不要のようだ。でも演奏会で共演者がいるときの指揮ぶりは実にナイーブで繊細、大概このときは指揮棒を持ってリードしている。しかしそうでない時は、身振り手振り、独特なボディ・ランゲージでもって、時にはバレーダンサーの片鱗を伺わせる、破天荒とも思える仕草を伴う指揮をする。この日の演奏も正にそうであった。彼は言う。『わかりにくいものに僕は心を惹かれる。わかりやすいものは飽きやすい』と。
● 演奏曲目
 今回のツアーは4月14日の金沢を皮切りに、4月21日まで6都市で7公演される。金沢での演奏曲目は次のようであった。
(1)チャイコフスキー:幻想的序曲「ロメオとジュリエット」(第3稿.1986)
(2)ストラヴィンスキー:バレー音楽「火の鳥」組曲(1919年版)
(3)ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op.47
 交響曲第5番は、ショスタコーヴィチの全15曲の中では最もよく演奏される曲である。前作の第4番が、共産党体制の中で反体制との批判を受け、その名誉挽回のために作曲され、その結果は「社会主義リアリズムの偉大な成果」と称賛された曲である。終楽章第4楽章の管と打の素晴らしさには圧倒された。暫し拍手が鳴り止まなかった。応えてのアンコール曲は、ショスタコーヴィチ作曲のバレー音楽の組曲「黄金時代」から「ポルカ」、井上さんに促されて、聴衆全員が手拍子、一体感が凄かった。

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