2011年4月5日火曜日

「こそば」に魅せられて

 昨年秋だったと思うが、永坂事務所の米田さんから、これを読んでみて下さいと言われて一冊の雑誌を手渡された。雑誌名は「自遊人」9月号、特集のタイトルは「絶滅寸前。在来種の蕎麦。」、サブタイトルは「一度知ったらもう戻れない驚愕の味」とあった。私にはてっきりこれで蕎麦の勉強をして下さいとの好意からの教材の提供と受け止めた。後日探蕎会の世話人会があるので、その折雑誌をお返ししようとしたら、返すに及びませんとのことで、この冊子は現在私の手元にある。そのなかで、とりわけ興味があったのが「こそば」という小粒の蕎麦で、この蕎麦はその後「週刊朝日」の12/24号でも紹介されたものだから、ますます興味が持たれるようになった。それで12月19日に開かれた世話人会で提案し、それではこの蕎麦を提供するという「こそば亭」に行きましょうということになり、4月17日の日曜日に出かけることになった。
 在来種の蕎麦、少なくとも昭和19年(1944)に長野県の農業試験場が会津在来の蕎麦から系統選抜して作出した「信濃1号」が世に出るまでは、世にある蕎麦はすべて在来種であったといって過言ではないと思う。その頃は、私が住む野々市町でも、農家は作付面積こそ自家用のみなので広くはないものの、はやて(早生)の稲を刈った後に、水はけをよくして蕎麦を蒔いたものだ。収穫した蕎麦は翌年の種を残して自家消費していた。平地でもそうだったから、山手で稲が作れない斜面などでは蕎麦が作られ、当然のことながら外から種を持ち込むことなく、ずっとその蕎麦の種は守られながら継がれてきたことだろう。在来種といわれる所以である。こうした蕎麦の在来種は米の供給が満足でなかった昭和20年代には、その数3千とも3千5百ともいわれている。
 翻って現在はどうだろうか。私が居る野々市町では、蕎麦を表作ではもちろん、裏作でも作っている農家は一軒もない。したがって昭和20年代にはどの農家も裏作に作付けしていた在来種?の蕎麦は捨てられてしまった。また山間などで主に作付けされていた蕎麦も過疎が進行した結果、なくなってしまったところも多いと思われる。このような現象は全国各地で起きたに違いない。そして蕎麦の需要が低迷した昭和30年代には、一部作付けを続けていた以外の地域での蕎麦の作付けは極端に減少し、昭和40年代後半になって少し蕎麦の需要が上向いてきた頃には、収量が悪い在来種よりは収量が良い改良品種の作付けがはるかに多くなったであろうことは想像に難くない。石川県での蕎麦の場合、どう推移したのだろうか。
 米の場合、産地や品種によって食味が違うことはよく経験することである。しかし米の場合、改良された品種の方が美味しく、交配して親より不味くなった品種が日の目をみることはない。したがって改良されない在来種の米は、古代米のような珍しさがあればともかく、先ず作付けされることはない。翻って蕎麦の場合はどうだろうか。よく昔の蕎麦は旨かったという話をよく聞く。ということは蕎麦の場合は在来種の方が改良種よりも良かったということになる。しかしそれにしても、「そば」の味を左右するファクターが「こめ」に比べて余りにも多すぎるような気がしてならない。同じ品種の蕎麦であっても、作られた産地により、作付けされた土地により、その土地の気象条件により、栽培方法により、収穫の時期により、収穫後の処理の仕方により、保存の条件により、さらに製粉の条件により、大きく変わることが予想される。また、蕎麦粉から「そば」として供されるまでの過程でも、食感に影響を及ぼすファクターは非常に多く、これらのことが蕎麦という食物を一層不可思議な怪物的存在と位置付けずには置けないものにしている。加えて蕎麦の味を科学的なデータで示せないことのほか、各個人の味触感の違いもあり、実に扱いにくい食物であるといえる。
 さて、かの雑誌には、比較的よく知られているとされる在来種の蕎麦が18種紹介されていて、どの在来種もそれぞれに個性がはっきりしていると記載されている。このうち項を改めて紹介されているのが、妙高こそば、奈川在来、会津在来、徳島在来、丸岡在来、大野在来の6種で、このうち丸岡在来は毎年海道さんの蕎麦道場で賞味させてもらっている。それぞれに独特な個性があるといっても、どういう個性があるのかの記述は全くない。ということは、客観的なオーソドックスな評価はできないということを示しているのではないか。でも、この中で妙高こそば(同じく妙高山麓で栽培される妙高在来というのもある)は各地の在来種の中でも最も小粒で、改良品種の体積を1とすると、平均的な在来種は2分の1、妙高こそばは5分の1である。そしてこの妙高こそば(以下「こそば」と表記)の形状は、他の蕎麦がはっきりと三陵であるのに対し、どんぐりに似て細長く、一見古代米に似ている代物で、これは「こそば亭」でもそれを確認した。
 雑誌で「在来種の蕎麦」の担当をしたのは伝統食文化研究家で蕎麦に関する著書も多い片山虎之助で、週刊朝日での小粒蕎麦の特集も彼の執筆である。その彼が「こそば」を栽培してみたくて、ソバ栽培の達人にお願いして妙高山麓に畑を借りて実践した記述があるので紹介したい。彼が達人に紹介された畑は羽毛布団のようにふかふかな感じだったという。ところが種を蒔く日は激しい雨、それが翌日も続き、ソバは何よりも過剰な水分を嫌うことから、播種は4日後の8月24日、彼は予定もあり、達人にお願いすることにして帰京した。4日後には芽が出た。プロだと播種後20日後くらいにソバの根元に土寄せするのだが、彼の畑では何もせずに収穫を迎えた。彼の都合で10月25日に刈り入れすることになったが、本来ならば播種してから70~80日後に収穫するのに、60日とはちと早いが、達人の勧めもあり刈り取った。ソバの束は互いに寄り添うように立てて(島立て)自然乾燥した。早刈りのせいもあって、収穫は見込みの3分の1しかなかった。ところが達人のは収穫する前に予期しない初雪があり、達人のソバは雪に埋まってしまった。10日後に収穫した達人のソバは、無惨にも甘みの少ない香りの薄いソバだったという。それに引き換え、彼の早刈りソバは、彼がそれまで日本各地で食べ歩いたどのソバよりも旨く、さすがの達人もその香りと甘みに舌を巻いたとか。怪我の功名というべきか。この自遊人の雑誌編集長も絶賛していた。
 信州大学の井上教授は、在来種、中でも小粒のソバがなぜ美味しいのかを次のように述べている。1つは畑の状態。ソバが栽培される畑は、水はけが良く、しかも腐葉土などで土に栄養があることが必要である。2つは育ち方。谷間などの畑では、日照時間が短く、しかも湿度が高く霧下だと、軟質のソバができる。また小粒でデンプンがあまり詰まらないソバは、甘皮や子葉の割合が大きくなり、香りと甘みに優れる。3つは島立て乾燥。早めに手刈りしたソバは島立てして天日干しにすることにより、枝葉の栄養が実に集まる「後熟」現象が起き、モチモチした食感が生ずる。

[閑話休題]
 4月の第3日曜日の17日には、探蕎会で妙高市(旧新井市)にある「こそば亭」に行くことになっている。言い出しっぺなこともあり、どういう店か先遣したく、4月2日の土曜日に家内と出かけた。家内を同道したしたのは、蕎麦にはかなりうるさいのと、蕎麦前を考えてのことである。前日に電話したところ、予約はとらないとのこと、11時30分の開店までにおいでれば十分入れますとのこと、2時間半を見越して、8時20分に家を出た。この日の天候は曇後雪か雨、金沢西ICで北陸自動車道に入り、上信越自動車道の中郷ICで下りる。ここからはHPのアクセスにしたがって、平行する国道18号線を左折、すぐにガソリンスタンドのある二本木交差点を右折、次の県道584号線(旧北國街道)との交差点を左折、そのまま直進し、国道292号線(飯山街道)との姫川原交差点を左折し、約8km進むと左に新井警察署が見えるので、その次の交差点(美守交差点の一つ手前)を右折すると右にある。「こそば亭」の住所は、妙高市美守(ひだのもり)681-1である。
 着いたのはちょうど11時、開店まで30分ある。周りは水田なのだろうか、今は雪が厚く残っていて畦も分からない。豪雪地帯なのだろう。そういえば今は閉鎖してしまった旧アライスキー場で、雪が降りすぎてリフトが動けないことが何度かあった。まだここでは一面雪野原の冬の風景が広がっている。駐車場は5台の区画があり、詰めればもっと止められる。曇り空で風は冷たく、午後は雪になるかも知れない。車の中で待つ。でも15分位して亭主が来られ、中へどうぞと言われる。玄関を入ると、左に4人掛けのテーブルが2脚、小上がりには6人が座れる座机が2台、都合20人が座れる。混めば相席と聞いていたが、案内にある26席というのはもう1組座机を出すのだろうか。入り口にはシャーレに通常の蕎麦と「こそば」、それにオヤマボクチの繊維が置いてある。
 お品書を見る。ここは禁煙・禁酒?だ。注文は天ざるにおろし(トッピング)付きを2つ、かけ蕎麦を1つ、始めつけ麺をと思ったがこれは11月から3月までの冬季限定、ほかには月・土曜のみ限定のかわりそば(4月は茶そば)がある。開店時間になって独りが2組、その後6人のグループが入る。メニューは多くない。常連の人はいつもの(天ざる)と言っている。程なく角盆に、丸い竹編みの笊に盛られた「ざる」、端正で丁寧な細打ちだ。つゆ・薬味(生わさと刻み葱)・野沢菜が付いている。そして「野菜天五種」(ふきのとう、なす、かぼちゃ、まいたけ、れんこん)と「おろし」も載っている。「こそば」は小さいので玄蕎麦のまま挽くのだが、「そば」の色は黒くなく、むしろ淡い薄茶色、つなぎはオヤマボクチ、手繰るとモチモチ感があり、噛むと微かな甘みを感ずる。コシがあり、でも喉越しはいい。ところがライノの鼻かぜを引いているせいか、香りを感じない。家内もそうだという。収穫から5ヵ月、新ではないからだろうか。ところで少し食べたところへ「かけ蕎麦」が来てしまった。こちらは放置すると伸びてしまうので、先に処理しなければ。まあ寒い日に温かい「そば」も一興だ。かんずり入りの七味が味を引き立たせる。そばは伸びていなくてうまいが、2人前だとやや多めだ。「かけ蕎麦」はそばだけ食して、「ざる」へ戻る。でも食べてこれが「こそば」かという格別な感動は沸かなかった。期待が大きかったせいかも知れない。
 以下に主人から聞いたことと、見せてもらった資料からのメモを記載する。
 亭主の市村晋也さんの父の伊佐夫さんがまだ新井市役所に勤務していた折、中山間地域や山間地域への補助事業としてそば栽培を奨励することになった。当時減反政策で山間の棚田は放置され荒れていた。そんな折、阿部さんという農家の方と出会った。山間では以前は水が引ける場所には棚田にしてコメを植え、水を引けない場所にはソバを植えていて、ソバはすべて自家用に供されていた。ところで市村さんが阿部さんと会った頃は、かなり棚田が荒廃していて、これをソバ栽培に活用するのに、棚田の畦を取り払い、水はけを良くして、ここでソバを栽培しようということになった。この場所は上小沢(かみこざわ)地区の関川の支流の馬場川の上流の山間の南向き斜面の1.2ha、この場所は朝日はあたるが夕日はあたらない、昼夜の気温差が大きい、深い谷間で広葉樹に囲まれ良質の腐葉土壌があるというソバ作りには三拍子揃った場所、ここは新潟県と長野県の県境に位置する場所である。ここに阿部さんがずっと栽培してきた小粒の蕎麦を栽培することにした。そしてこの蕎麦を二人の合意で「小そば」とした。現在は「こそば」と表記している。蕎麦は他家受粉でミツバチが仲介するが、ハチは谷間ごとであって他の谷には行かないので、交雑は起きなかった。在来種と改良品種とで交雑があると、劣性な在来種は駆逐されてしまうという。こうして妙高在来蕎麦振興組合が立ち上げられ、平成13年には「こそば亭」ができた。こんなユニークな「ソバ」とあって、これまで7誌に特集され、2010年に行なわれたお取り寄せ蕎麦では全国第1位を獲得したという。聞くとこの取り寄せそばセットは持ち帰りはできないそうだ。

[お品書] 単位は百円。ざる蕎麦8、ざるうどん5、野菜五種天2、海老入り上天3、かけ蕎麦8、かけうどん5、トッピング(おろし、とろろ)各1、大盛りは、蕎麦3、うどん2。蕎麦は1日20食限定。
[住所] 新潟県妙高市美守(ひどのもり)681-1 [電話] 0255-72-8628
[営業時間] 11:30~14:00 売り切れ仕舞い  [定休日] 月曜・火曜

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