2011年4月15日金曜日

日榮 アラン・デュカス セレクション

 私が月々前田書店から配達してもらっている「danchu」という雑誌の3月号の特集は「日本酒よ、世界に誇れ。」であった。この本を読むきっかけとなったのは、この雑誌が「そば」の特集をやったからで、前田さんに勧められて取り始めた。蕎麦の特集は年1回程度だが、毎号「食」に関連する素材を特集して楽しませてくれる。
 その3月号に「フレンチの巨匠、アラン・デュカスが求めた味」という一文があった。彼はフレンチの有名なシェフであって、しかも大の日本通であるという。そしてその土地その土地に根ざした食文化を何より尊び、そしてそれを]実践しているという。その彼が日本では東京と大阪にオープンした3店に、日本のワイン、すなわち日本酒を、日本の食材を用いたフレンチに合わせて提供したいと考えた。そしてフレンチに合った日本酒というのは、彼のワインリストに載っかり、自信を持って外国人に勧められ、しかも外国人の嗜好に合った日本酒でなければならないと。そしてその酒は自分が造らねばと思うようになった。その彼の願いは、金沢で文政年間に創業し二百年も続いている酒蔵「中村酒造」の九代目当主である中村太郎氏と出会ったことで実現することになる。
 中村酒造では、日本酒の製造は伝統醸造技術を忠実に守りながら造らねばという現社長の信念から、今はこの蔵元では速醸系の酒母は全く使わず、すべて山卸廃止もと(酉偏に元)(山廃仕込み)にしたという。アラン・デュカスから話が持ちかけられたとき、とりあえず純米酒と純米大吟醸酒を試飲してもらったが、まったく納得してもらえず、いろいろブレンドしながら、彼の言うフランス人の口に合う酒は何かを模索しながらの酒造りとなった。造りの始めには原料米に石川県産の五百万石を使っていたが、彼から原材料にはストーリーが必要だと言われ、一度は断絶していた希少ブランドの神子原(みこはら)米(羽咋市神子原地区産)の使用を思いつく。また後味の切れには必要だというワインにはある酸味の有機酸をよく産生するという自家培養した独自の酵母を組み合わせて醗酵させることにする。こうして構想から2年後に開発された新しい日本酒は、日本酒本来の美味しさに加えて、やや酸味の高い味わいのある後味すっきりの新しい日本酒に出来上がった。もっとも最終決定は、アラン・デュカスから全権を委任された、このグループのシェフ・ソムリエのジェラール・マルジョンが、フランスから來日の度に野々市の蔵元まで足を運び、様々なテスティングをして、アラン・デュカスの意向に沿った酒を完成させた。この新しいスタンダードを追求した日本酒、それが「日榮 アラン・デュカス セレクション」である。杜氏は能登杜氏の又木一彦氏である。 
 この酒の包装は720mlで、価格は税別で1万円、年間生産量は1,500本、アラン・デュカスグループ関連のパリ、ロンドン、モナコ、東京、大阪のレストランで提供されている。アルコール度数は15%以上16%未満、蔵元での味のタイプは「甘口濃醇」とある。東京・四谷の居酒屋「萬屋おかげさん」の店主の神崎氏は雑誌の中でこの酒を評して、「この深い甘味と酸味、そして喉元過ぎたあたりからわいてくる米の熟味、この味の伸びはなかなか普通の日本酒にはない。これならフレンチのソースにも合う。洋食に日本酒を合わせるのには神経を使うが、これだと自分の中でブレていた焦点がピタッと合った」と述べている。またアラン・デュカスも「ボディがしっかりしていて豊か、何より深みがある。食前酒として飲めば、一口では理解できない複雑な味が、今からどんなものを食べようかと脳と胃袋を思考させる。食中酒としては料理に勝るリーダーシップをとってしまう可能性もある。だから料理の選択には注意を払わなくてはいけない」と説明する。
 ここまできて、この酒がどうしても飲みたくなった。でもこのことをカミさんに打ち明けたのは3月も半ばになってから、このところ酒の飲み過ぎをたしなめられ、注意されてるものだから、てっきりダメだと言われるかと思いきや、どうぞとゴーのサイン、善は急げ、カミさんの昔のバドミントンの女友達が中村酒造の古株にいるので、早速頼んでもらった。現品はあるけど、お遣い物ですかと言われ、主人が飲むのだと言ったらあきれていたという。程なく家内のところに届き、そして自宅に着いた。この酒は、注文を聞いてから密栓できるボトルに詰めると聞いた。細長い木箱に入っている。そしてボトルに記された「日榮」の篆刻のロゴは、中村家に残る明治の文人細野燕台の書から引用してあり、懐かしさを覚えた。早速冷やした。そして価格は社員価格にしていただいたうえ、加賀雪梅(純米吟醸)と石川門(純米酒)のひやおろし生酒2本までも頂戴した。原料米は前者が五百万石、後者が新品種の石川門、こちらは冷やして4日かけて飲み空けた。白ワイングラスがよく似合うこの日本酒、前者はやや淡麗な辛口、後者は淡麗辛口、どちらも爽やかで飲み口すっきりの酒、しぼりたてとあり、実に新鮮な味だった。
 こんな便宜を図っていただいたのは社長の好意なのだろうか。彼は私が勤務する(財)石川県予防医学協会の評議員をしていただいていて、会ではよく同席する。また毎年10月15日に開催される一泉同窓会総会には、副会長として必ず出席される。彼は泉丘35期、前田さんは泉丘20期、私は泉丘7期である。
 さて、この酒をいつ誰と飲むか、どんな料理と合わそうか、いま私は思案している。 (この項書きかけ)
 続(2011.11.1)
 「日榮 アラン・デュカス セレクション」は、届いてからすぐに冷蔵庫の最上段に鎮座することになる。何時開けるのか、何方と飲むのか、どんな料理と合わせるのか、とりわけフランス料理に合う酒ということもあって、当初はその線に沿って無い知恵を絞ってきた。しかしフランス料理の神髄ともいうべきソースとなると、壁にぶち当たってしまう。家内の知人には料理に堪能な人もいるので、頼んでお願いしようと思い打診してもらったが、そんな気の重い場には向きませんと言われると、それもそうだと思わざるを得ない。そうこうする内に手に入れてからやがて半年、年暮れまでには開けなくては。そしてもうこの頃になっては、開き直ってしまって、料理はフレンチにこだわらず、お相伴の方には悪いが、純日本風にしようと決めた。
 10月に入って、既に現物を披露している前田さんに、10月のとある日曜の昼過ぎにお出で頂けないかと打診したところ、分かりましたということで、日を23日か30日にした。もう一方、ワイン通の永坂先生にご案内したところ、30日ならOKとの米田さんからのご返事、それで決行は10月30日の日曜の昼過ぎと決めた。決まった後も紆余曲折があり、前田さんからは娘さんの縁談で、婿さんの親御さんがこの日に見えられることになり、出席できなくなったとの連絡があり、今更日も時間も変更できず、どうぞお二人でと言われ、残念な思いをした。ところが2日前になって、親御さんが見えられなくなり、参加出来ますとの朗報が入った。
 開き直った料理は、お酒には、お通し、刺し身盛り合わせ、天ぷら、ワインには、生ハム2種盛り、チーズ3種とラスク・クラッカー、そして果物とした。前日の土曜、家内が勤務を終えて帰宅してから、近江町市場と大和で仕込みをした。中型の牡丹海老32尾は中々の圧巻、勢いで買ってしまった。後はサクでカジキと中トロ、ほかに生ハム、果物、松茸、蓮根、山葵など。大和では、チーズ3種とラスク・クラッカー、果物、野菜などを仕入れた。
 当日は10時頃から準備に取りかかる。画廊ノアで求めた大きな花器を刺し身の盛り合わせに使うことに。花器は末広がりになっていて、底に保冷材を敷きその上に大根のケンを敷き、サンチェを放射状に並べ、外側に牡丹エビを赤い尾を上にして放射状に置き、真ん中には大葉を敷いてカジキと中トロの角切りを盛り、パセリと赤キャベツの芽を飾りにあしらって出来上がり、冷蔵保存。お通しには、家内の姉のところから頂いたカラシナの古漬を炊いたテンバと白子山椒を別々に、天ぷらには、松茸、アスパラ、甘藷、人参、花びら茸、蔓隠元、オクラ、甘エビ、蓮根、茗荷などを適宜出すことにして、その下拵えをする。生ハム2種は、レタスの葉を敷いた器に、大きな半切した生ハムを外側に、中位の薄いのを芯にして並べ、クレソンを添える。チーズはブルーとカマンベールとプロセスを一口大に切って、大きめの角皿に盛って冷し、お供にはラスクとクラッカー。果物は、富有柿、無花果とトマトを切り分けて出すことに。
 午後1時を回って、お三方が見えた。初めにフレンチに合う日本酒だが、敢えて和風の料理にしたことを詫びて、宴に入る。「日榮アランデュカス」の封を切り、最初に永坂先生に、次いで前田さんに、器は細めのシャンパングラス、私は片口と黒釉のぐい飲み、乾杯をして口に運ぶ。甘い。しかしその甘さはやがて酸味と調和してえも言われぬ香気に変じて、爽やかさが口中に広がる。これまでこんな日本酒に出くわしたことがない雰囲気、お米のワインと称するべきか。この甘口淡麗で酸味を持ち合わせるこの酒は、食前酒としても、また食事をしながらの食中酒としても独特で、従来の日本酒の殻を破った名品である。この酒は、味わいながら、ゆっくりととは心得ながらも、早々と空になった。ただ永坂先生は全部を空けられないでいたが、これは先生の奇策でもあった。
 次いで1988年のマルゴー(シャトー・ジスクール)を開ける。大和のキャンペーンで求めたものだ。オリがあるだろうから、先生に注いでもらう。先生は丁度飲み頃と仰る。ボルドーの大きな赤ワイングラスを先生と前田さんに、お二方はワインに精通しておいでるが、まずお褒めの言葉を頂く。家内も美味しいと言う。若干茶色がかってはいるが、まだ赤が濃い。私は中位のボルドーグラスで頂く。先生ではオリを入れると味が若くなると仰る。そして先の「日榮」と飲み比べされ、アランデュカスにオリを入れるとワインになるとも。この飲み比べは正に奇策である。次に出したのは1990年のマルゴー(シャトー・ラ・グルグ)、これは頂き物だが、瓶の肩のところにオリがべったりと、これは瓶を横に寝かしておいてあったからだと。グラスは替えなくてよいとのことで、お言葉に甘える。生ハムとチーズがお供、これも飲み頃の美味しいワインだった。
 ワインが2本空いて、家内が口直しに地ビールを持ってきたが、ビールは余韻を消すとかで、前田さんは持参した芋焼酎「富乃宝山」を所望されロックに、でも宴のお終いに度数の高いお酒を飲むのは、酔っていてどうしても余計に飲むのと、ピッチが上るのとで、酔いが加速する。案の定、酔っ払ってしまった。その後皆さんをお見送りしたまでは覚えているが、後は朝まで白河夜船だった。
 こうして、「日榮アランデュカスセレクション」の毒味会は好評のうちにお開きとなった。

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