2011年3月17日木曜日

平成23年初の探蕎は越中砺波の蕎麦福助へ

 平成23年3月13日の日曜日は探蕎会今年初の探蕎の日、この日は一日快晴という探蕎にはもってこいの日である。今日の参加者は16名、出発は事務局から10時15分、予防医学協会の駐車場発となっている。私は和泉さんに誘ってもらって10時前に着く。既に前田車に分乗した面々はもう到着していた。その中に新会員の山口さん(64)がいて紹介される。山へよく行かれると紹介されたが、聞いてびっくり、山といっても半端じゃなくって、ダウラギリとかチョー・オユーにも行きましたと言われて、もう二の句が出ない始末。私のは「山歩き」だが、彼の場合はれっきとした「登山家」である。片や蕎麦暦は未知数だが、蕎麦打ちをされる道下さんのお隣にお住まいとか、ひょっとしてこの道も達人だったりして、話の端に今度ネパールへ行った時には赤い花の蕎麦を持ってきましょうかとも、何とも頼もしい助っ人のご入来だ。
 出発予定時間には面々がお集まりになり、寺田会長の挨拶と久保副会長の説明があり、ほぼ定刻に出発する。車は4台、久保車に4人、前田車に4人、北村車に3人、和泉車に5人が分乗する。金沢西ICから高速道に上がり、砺波ICで下りる。「福助」へ出かけたことがあるのは久保さんと小生のみ、若干もたつくが、11時前には目指す蕎麦屋に着いた。駐車場の入り口には大きく「蕎麦福助」の表示板、まだ車は1台も止まっていない。開店は11時半、広い駐車場で三々五々、春の日差しを浴びてくつろぐ。
 場所は砺波平野のど真ん中、敷地は水田を造成したのであろう。ゆったりと広い。そして駐車場の向こうには、どんと大きな瓦葺切妻屋根の建物が鎮座している。時間が早くまだ暖簾が出ていない。開店時間の少し前に入り口の板戸の錠が外され「どうぞ」と、その女性は「案内しますから、人数を仰って下さい」と。場所取りをと思っていたので、安心したり気抜けしたり、久保さんが16人と言うと、「どうぞこちらへ」と。靴を脱ぎ、上がり框へ上がり、大きな障子戸を開けて、板張りのおえの間へ入ると、おえの間の六人掛けのテーブル3つを指定される。私たち以外にも何組かいて、開店と同時に満席となった。5人、5人、6人と掛ける。
 建物は総欅造り、元は黒部川右岸の山間(現黒部市)の築百年以上の庄屋でもあった池田邸、豪雪で全壊したものを、金沢に縁のある建設会社が買い受け、規模を3分の1にしてこの地に移築したとのことだ。上がり框も欅、広くて立派だ。おえの間は吹き抜けになっていて、太くがっしりとした木組みが見える。梁は欅と松、磨かれて光っていて、それが白い漆喰とよく調和している。沢山人が入っていても、それを吸収してしまう落ち着ける空間を現出している。ここは田んぼの真ん中だが、中へ入ると山を背にした山間の庄屋に居るのではという錯覚にさえ陥る。神さん棚も特大、私が座った正面上に鎮座、そして奥の間には緋毛氈の雛壇、これも由緒あるものなのだろうか。あちこちに縁のある古道具が置かれていて、これが古民家とよくマッチしていて楽しい。
 始めに蕎麦茶が出たものの、女の方が本命の注文を取りに来たのは座って10分も経過した後、それもテーブル毎だから、私たちの注文は一番終いの11時50分になった。注文は、前田さん荒挽き田舎大盛り、山口さん細挽きせいろ、岩・大場亮先生は国産天然穴子せいろと岩先生のそばがき、小生は鴨汁せいろ、お酒は大場先生と小生のみ、取りあえずは大場先生所望の砺波の太刀山、2本目は私の希望で戸出の勝駒、いずれも越中の酒だ。肴には焼き味噌を頼む。始めに酒とつま、酒は緑釉の蕎麦猪口に入ってきた。つまの柚子味噌で一杯目はなくなる。甘口だった。二杯目は辛口、爽やかだ。二杯目がなくなった頃にやっと肴の焼き味噌が来た。タイミングが悪いが、混んでいるからしようがないか。でも他のテーブルでは、天麩羅もそばも運ばれているのに、このテーブルは酒を頼んだせいか、全く音沙汰がない。漸くそばがきが届く。見た目には軟らかそうで、そばがきというより、そばだんごという感じだ。次いで荒挽き田舎の大盛りが届いたが、時刻は既に12時40分、その後は順に注文の品が届く。注文して50分になる。よく皆さん辛抱されたものだ。もう終わって席を立つ客もあるのにである。そばは山口さん以外は田舎、この前に来たときは田舎がなくてせいろのみだった。
 運ばれてきた田舎を見ると、色は似ているが、荒挽きを伺わせるホシは見えず、ざるに盛ってあるものの、茹でが過ぎているのか、締めが足りないのか、シャキッとしていない。手繰っても香りはなく、喉越しはいいが、コシがない感じだった。今日の荒挽きは北海道産、せいろは福島産とか、それを前日に石臼挽きした九一だという。だがそばに比して、両先生注文の淡路産穴子天は実に見事で立派、尺近くののを開いてそのまま揚げてあるものだから実に圧巻である。そして中骨も唐揚げにして風流に結んであり、これは一度は食する価値はあろうという逸品だ。運ばれている海老天もなかなか豪華に見えた。
 温かい鴨汁は中位の深鉢になみなみと、上には白髪葱がふんだんに乗っかっている。汁は色も味も濃いめ、薬味には山椒が入った黒七味、しっかり振りかける。中には鴨肉と焼き葱、これでもう一杯といきたいところだ。鴨の焼きは程よく、厚切りだがやわらかい。葱は鴨の脂の浸みが足りない印象を受けた。汁が濃いのでそばは半分ばかり浸して食する。もう少し味も薄く、色も淡いとよいのだが。ここにはヌキはないが、ヌキだとこの鴨汁は濃すぎるだろう。
 私たちのテーブルが食べ終わったのは13時10分、他の面々は既に居なくて、もう外でお待ちの様子、殿は私と大場先生だった。入るときには掛けてなかった一間幅の藍染麻地の暖簾には、右上に「手打ち」「石臼挽き」、中央に大きく「蕎麦」左下には「福助」と白抜きで書かれたいて、それを背にして集合写真を撮る。これで今日の探蕎は滞りなく終り、散会となる。金沢への帰りは下道で帰るとか、先導の久保車に付いて走る。どこをどう通ったかは全く不明だが、小矢部市へ入ったとき、電柱に金屋本江という地名が見えた。ここにはあの市ノ瀬から小矢部に居を替えた「そば切り多門」のあるところだ。その後内山峠にさしかかって漸く場所の把握ができた。森本はもう近い。
 今回の参加者は以下の16名(五十音順):相川、和泉、岩、大滝、大場、北村、木村、久保、越浦、小塩、寺田、西高、新田、前田、松田、山口。

 「福助」の住所は、砺波市林 947-1.電話は 0763-33-2770.営業時間は、昼は 11:30から3時間、晩は 17:30から3時間。定休日は月曜日で、祝日の場合は翌日休業。店主の西村忠剛さんは南砺市福光町出身の33歳、神戸の蕎麦店「土山人」で4年間修業して5年前に開店、店は細君と男性1人、女性2人で切り盛りしている。それにしてもあの豪壮な古民家の移築費用は半端じゃなかったろうに。栞には、「やわらかな緑と古民家のたたずまいで、五感に潤う豊かなひとときをお楽しみください。」とあった。

 [追記] この探蕎行の2日前の3月11日の午後2時46分に、未曾有の巨大地震が発生した。名称は「東北地方太平洋沖地震」だが、テレビ・ラジオでは「東北関東大震災」、新聞では「東日本大震災」と呼称している。地震の規模を示すマグニチュードは、7.9から8.8に、最終的には9.0という観測史上最大、1990年以降では世界でも4番目という凄さ、しかも地震に伴う大津波、テレビから流れるシーンはまるで映画を見てるよう、でもそれが現実であることに人智を超えた自然の凄い猛威を感じた。本当に畏怖の念を抱かずにはおれない高ぶりを感じる。津波のシーンや被災地の様子が放映されると、家内は涙ぐんでしまう。そして日曜の探蕎は中止になるのではとも言った。でも中止の連絡はなく催行された。事務局の前田さんのブログには、「大地震で大変なときに蕎麦など喰ってる場合かといわれそうだが、先月の総会で決定した行事なので決行となった。」とあった。私もそれでよいと思う。被災地には別の面で援助・貢献すればよいと思う。
     (「探蕎」50号原稿) 

0 件のコメント:

コメントを投稿