2011年2月23日水曜日

コンダスの女王 「シェルピ・カンリ」 (3)

・「山と人」
 遠征隊の隊員はパキスタンの標準語であるウルドゥ語を大なり小なり話せて、それが潤滑油的な働きをしたという。でもポーターや村人は、学校へ行った人(義務教育でない)は標準語を話せるが、そうでない人は地元のバルディ語しか話せない。バルディ語はインド・アーリア語のウルドゥ語とはまったく別の言語で、チベット語系だという。もっともポーターの中には両方の言語を話せる者もいるので、意を伝えることはできる。因みに隊長は英語とウルドゥ語が堪能、連絡将校はウルドゥ語のみ、ハイポーターでコックのコルコンダス村の村長は、英語もウルドゥ語もバルディ語もOKだった。隊員は登山のかたわら、村人の生活や文化を、主にコルコンダスの村長を通じて収集した。その一端を紹介する。
 [バルディの音楽]:キャラバンでも休むと必ずといっていいほど歌を歌いだす。そして歌には必ず踊りがつきもので、したがって歌のみ歌うことはない。登頂を祝って行なったキャンプファイアーでは、彼らポーターたちと隊員たちとで歌合戦をやったが、こちらは全員で歌う歌がほとんどないのに、彼らは常に全員で合唱していた。これらの音楽をテープで録音し、後で採譜したものが一部報告書に載っているが、バルディの歌は、バルディに住む者なら誰でも、しかもそれらを全部知っているという。日本で全員で歌えるのは国歌の「君が代」くらいか。またラジオで流れるウルドゥ語の歌もよく覚えていて歌ってくれた。
 [辺境の村人の生活]:遠征隊が通った谷筋の村のうち、車道があるカパルを除くと、村落の住民の数は平均して500人前後である。村の立地条件として必要なことは、年間を通して水が豊富にあること、必要十分な耕地が得られることで、村落の大きさや人口は耕地面積に左右される。交通手段は徒歩のみ、道らしい道はなく、輸送手段は自分らの背中、牛は飼っているが運搬に使うことはない。住民は敬虔なイスラム教徒で、朝夕には15歳以上の男性は簡易なモスクに集まり祈りを捧げる。女性は家で祈る。女性は夫以外には人前で顔を見せることはない。家から出るのは農地へ行く時と家畜の世話をする時のみで、それも人の気配がすると隠れてチャドルで顔を隠してしまう。他の村へ行くとすれば、結婚のときのみという。でもラワルピンディなどの大都会では、もう顔を隠す女子はいないという。村の生活については、コルコンダスの村長から聞いたことを詳細に記している。

・「学術調査」
 [コンダス谷の気象と氷]:遠征中は毎日気象観測をした。カラコルムは乾燥地帯ということだったが、天気には周期的変化があった。でもどちらかといえば晴天の日が雨天の日より多かった。BCでは建設から撤収までの45日間、百葉箱もどきを設置して本格的な気象観測を行なった。また氷河のクレバスに入り、氷縞の垂直分布の調査をし、経年の積雪状況を調査した。しかし完全に氷化した下部については、切り出しができず、調査は困難だった。また以前の記録と比較すると、氷河の舌端は明らかに後退しているし、厚みも減っていた。
 [谷水の水質]:現地で谷水や氷雪の融水について簡易検査を行い、試料は日本へ空輸し精査した。水はすべて氷河融水であり、若干白濁しているが濾過すれば透明で、pHは5.1~5.8の弱酸性、極微量のFeを含むものの全金属量は極めて少なく、すべて飲用可であった。またコルコンダスには温泉があり、泉温は50℃で、微かな硫黄臭がした。
 [医療報告]:医療監視では、高所障害を心電図所見と眼底所見とからある程度予測することができることが分かり、隊員の行動に反映させることができた。ドクターもC3まで登り健康管理を行なった。
 [コンダス谷の植物]:作物調査では、谷奥ほど標高の関係から種類が少なく、最奥のコルコンダスでは、作物としては小麦、大麦、蕎麦のみ、でも下流域になるほど種類は多くなる。また樹木調査でも、コルコンダスでは果樹は生育できず、樹木もヤナギのみだが、下流にゆくにしたがってポプラやクルミ、それに果樹が見られるようになる。一方で、キャラバン時に沿線の植物も百点ばかり採集した。また仮BCでは、往きの6月28日にハツカダイコン、ダイコン、アサガオ、ワタの種子を砂地に蒔き、帰りの8月17日に状況を観察したところ、ハツカダイコンは生育、ダイコンは発芽のみで生育なし、他は発芽なしという結果だった。また植物名について、ウルドゥ語とバルディ語の収集もしたが、両方の言語に共通した名称は全くなかった。
 [シェルピ・カンリの地形]:氷河内院で地形測量を行い、一次隊が作成した概念図をより正確なものにすることができた。
 [シェルピ・カンリの花崗岩の年代測定]:シャルピ・カンリ頂上の岩石を採取し、帰国後年代測定を行なった結果、980万年という数字が得られ、ネパール・ヒマラヤが1500~1800万年というから、それよりは若く、これはカラコルムの他の峰のデータともほぼ一致するものであった。

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