2016年9月9日金曜日

石川県立音楽堂開館15周年記念コンサート(1)

1.はじめに
 世界的指揮者の岩城宏之氏が、若き一時期金沢第一中学校に在籍したことがあった縁で、当時の中西陽一石川県知事に懇願して、外国人を含む40名からなる日本初とも言える室内オーケストラのオーケストラ・アンサンブル金沢 ( OEK ) を誕生させたのは昭和63年 (1988) のことである。でも設立当時の OEK には演奏の拠点がなく、次第にコンサートホール設立の機運が高まり、現谷本正憲知事の英断によってホールが設立されることになった。一方で金沢は邦楽の盛んな土地柄、邦楽会館の設立機運も高まり、この日挨拶に立った谷本知事は、造るなら恥じないものをと、そして要望に応えて和洋合わせた音楽堂を造るに至ったと述べた。こうして石川県立音楽堂が完成したのは平成13年 (2001)のこと である。施設の特徴としては、メインのコンサートホール (1,560 席) にパイプオルガンを設置したこと、また邦楽ホール (720 席) には歌舞伎が演じられるように左右に袖を設けたことで、このような和洋折衷の施設は他にはなく、自賛してよいとも話した。そして今年は開館してから15周年にあたり、それを記念してのスペシャル・コンサートが開催された。

2.素囃子と混声合唱、オーケストラのための「勧進帳」
 この曲は、平成12年 (2004) に OEK が鈴木行一氏に委嘱して作曲された作品で、翌13年 (2005) 3月に県立音楽堂で初演された。そこでは歌舞伎「勧進帳」で奏される長唄の分かりにくい筋を、現代語訳の合唱とオーケストラで再度再現し、聴衆に内容を分かりやすくしたことと、曲全体が一体となった壮大な叙事詩というかオラトリオに仕上げられたことだった。そしてこの曲の初めと終わりに、義経の愛人の「静」の存在を思わせる「しずやしず」のフレーズを挿入し、雪の吉野で別れた静御前を思い起こさせ、勧進帳とは全く関係がないものの、この曲では義経の悲劇的英雄伝説を一層盛り上げる働きをしていた。そして今回行なわれた 2016 年版の演奏では、素囃子とオーケストラが共演する試みもされ、より新鮮味が増したように感じた。このような試みは初めてではなかろうか。ところでこの曲を作曲された鈴木行一氏は平成22年 (2010) に他界され今年は七回忌とか、このコンサートには奥さんの理恵子さんが来ておいでて、再演を大変喜んでおいでた。
 「勧進帳」は、源義経が壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後、兄頼朝に疎まれ、追われる身となり、奥州を目指して逃れる途中に、加賀の国の安宅に設けられた関所での顛末を脚色したもので、それが歌舞伎の「勧進帳」であり、能の「安宅」である。ここでは素囃子で奏される長唄の筋を現代語の合唱とオーケストラで演奏し、その内容を字幕で流し、聴衆にその内容を知らしめた。素囃子も実に見事だったが、その内容を聴衆にことごとく伝えたのは素晴らしい試みだった。
 素囃子は金沢素囃子保存会の皆さん、金沢市無形文化財の指定を受けているとか。右手の三段になった雛壇に、上段には唄方、中段には三味線と上調子と笛、下段には大鼓 (つづみ) と小鼓 (つづみ) の計19人、中でも大鼓と小鼓のソロの掛け合いが実に素晴らしく、感銘を受けた。合唱団はオーケストラ・アンサンブル金沢合唱団の皆さん、左手奥に女性、ソプラノ10人とアルト8人、右手奥に男性、テノール6人とバリトン・バスの10人。そして左手前方と中段にはオーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーと客演奏者の約60人、そして指揮者の井上道義氏は聴衆からは見えないように置かれた矢羽根模様をあしらった大きな衝立ての影での指揮だった。
 演奏時間はほぼ30分、こんな邦楽と合唱とオーケストラのコラボによる演奏は、滅多に見たり聴いたりすることはできず、私は二度目だが、多くの聴衆はこの初めての壮大なコラボレーションに酔いしれたのではなかろうか。そして素囃子とオーケストラとのコラボは、全く新しい試みなだけに、これからの邦楽と洋楽の新しい合奏形態を占うものとして、高く評価されるのではなかろうか。

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