2016年9月22日木曜日

9月の探蕎会行事は「やまぎし」で

 9月16日 (金) には探蕎会の行事で「やまぎし」に行くことに。総勢11名、前田事務局長の指示で、野々市市役所駐車場に10時半に集合することに。私は和泉さん夫妻の車に迎えに来て頂き出かけた。この日のメンバーは、ほかに太田夫妻、大滝、奥平、西田、松田、竹内の面々、車4台に分乗して出発する。鶴来山手バイパスを経由し、白山町南交差点で国道157号線を横切り、手取川に架かる鳥越大橋を渡り、後はひたすら県道44号線を手取川、次いで大日川に沿って南下する。2車線の県道が1車線になり、山間を進むようになると左礫町の標識、道路左手に「蕎麦やまぎし」と書かれた家が見えてくる。出発してここまで40分ばかり、山岸さんによると、金沢からは34km ばかりとかだった。ここは今では無くなった大日スキー場への途中にある。来る道の所々に大日スキー場まであと何 km という目印がガイドになる。この旧鳥越村左礫は、昭和初期には55軒もあったというが、今は11軒とか、正に限界集落である。山岸さんは何とか「村おこし」をしたいとの熱意で生まれ故郷に帰ってきたという。
 着いた時に、玄関前には大型バイクが2台、先客があった。ここでの注文は、欲しい品を予め券売機で買う仕組み、高速道路のサービスエリアの食堂などで見られるあのシステムである。でも初めての人はかなり戸惑うし、ましてや探蕎会の11人という大勢?では、一人一人順番ということもあって、少々混雑する。でも初めてとあれば、これは致し方がないというものだ。さて中へ入って、11人の皆さん椅子席希望ということで、板の間の2連のテーブルに7人、もう1つのテーブルに4人が座ることに。私たちが着いた時、店には山岸さん御夫婦2人のみ、これまで一団体で11人のことがなかったのか、注文を受ける段になって少々もたつきが生じたようだった。奥さんは、皆さん何を注文したか覚えておいて下さいと言われたが、頼んだ人の方も戸惑いがちな様子だった。後で山岸さんの妹さんが遅れて来られてようやくスタッフが揃い、どうにか軌道に乗ったものの、一度に大勢というのはやはり大変なようで、少々混乱が続いた。大人数の場合、何か段取りに工夫が必要なような気がした。その後も3組ものお客があり、金曜という平日なのにこれだけの方が来店するとは驚きだった。やはり「やまぎし」には何か人を引きつける魅力があるのだろう。
 注文を受けている時に、山岸さんの奥さんが太田さん夫妻と旧知のような親しげな話をされていたのでお訊きしたところ、山岸さんの奥さんの実家が津幡で、太田さんの住まいとは近いとのことだった。奇遇なことだ。
 さて今日出されたそばは、十割の「白」「田舎」「田舎粗挽き」の普通盛りと大盛り、それに「天ぷら」に「そばがき」、飲み物はビールと焼酎、私は田舎粗挽きの普通と天ぷらと財宝2杯の定番コースにプラスして「そばがき」を注文した。ここでの普通盛りは 170 g で8百円、大盛りは 270 g で1千円である。そばは何人かは普通盛り2杯、他の方は大盛りか普通盛りを一杯だった。皆さん食べ終わった頃に、私が頼んだ「そばがき」が運ばれてきた。材料は「白」、私もそこそこ満腹、皆さんにも試食してもらった。
 かれこれ1時間半ばかり居たろうか。この日は集合写真は撮らなかったが、大滝画伯が食事している様子をスケッチされていた。さすが画壇の大御所だと感心した。「やまぎし」を出て、ここでさみだれ解散、私は再び和泉さんの車に乗せて頂いた。往路は旦那さん、復路は奥さんの運転だった。晴れた秋の1日を満喫した。

〔メ モ〕 「蕎麦 やまぎし」 (4室 24人)
 住 所:石川県白山市左礫町ニ55番地
 連 絡:電話 076−254−2322  携帯 080−8997−7714
 品 書:白、白太切り、田舎、田舎太切り、田舎粗挽き。 普通盛り 800円、大盛り 1000円。
     天ぷら 400円。そばがき 250円、ほかに 礫 (つぶて)焼き? など。
 飲 物:お酒 (130ml) 上 450円、並 350円。 焼酎 (100ml) 200円。 ビール 中 450円、小 350円。
     ノンアルコール 250円。 ジュース 200円。
   定休日:毎週 水曜と木曜。

2016年9月21日水曜日

9月12日 (月) に「やまぎし」と「草庵」へ

 友人の N さんは、体格も大柄、車もランクルの4.5L と大型、本業が不動産取引とあってか交友も広く、しかも旅行好きでよく出かけるようだ。そして折々にふれ、その土地の土産と称して、お酒やお菓子を持参してくれる。いつも貰いっぱなしなので、家内とは何かお返しをしなければと話していた。9月初め、彼は京都の土産と称して、赤唐辛子の十倍もの辛さという黄金唐辛子一味柿の種というものを持参してくれた。そこでその時思いついたのは、「そば」が好きだという彼にそばを食べに行かないかと誘ってみた。すると行きましょうという返事。そこで鳥越の山奥に「やまぎし」という蕎麦屋があるというと、ぜひ行ってみたいという。それで行くのは9月12日の月曜日とし、小生宅へ10時20分に来てもらうことにした。というのも彼はお酒を飲まないので、それにあやかったのである。でも「やまぎし」のみではお礼に不足があるので、帰りに「草庵」へ寄ることにした。
 当日の朝、何時もは時間励行の彼が約束の時間に来ないので、ひょっとして忘れたのではと心配したが、5分延で来てくれた。こうして私が便乗したのは、彼は体格は立派なのだが、お酒が飲めないという特技があるからである。しかもお彼は仕事がら旧鳥越村をよくご存じで地理にも明るい。「やまぎし」のある左礫 (ひだりつぶて) の一つ手前の渡津 (わたづ) を通っているとき、ここは「蛍の里」といって、農薬を使わない山田 (水田) で蛍を育てていて、夏には大変賑わうという。何せ蛍の幼虫が食するカワニナが、ここでは川ではなく、水田で生育しているとかだった。この貝は清澄な水環境でないと住まないというから、環境がよっぽど良好なのだろう。説明を聞きながら、車は程なく「やまぎし」に着いた。
 この家は山岸さんの生家で、築75年、ここ20年ばかりは無住で、ここで開店するにあたり、正月から3ヵ月かけて、自前の大工仕事で、内装も外装もこなし、かつ飲食店営業に不可欠な設備も備えた。本当に器用でかつ超人的な人だ。開業したのは3月26日、私も駆けつけた。山岸さんでは、当面は10年を目標にしています(果たして ?) とも。
 この日はまだ先客がなく、車を停めて下りると山岸さんから声がかかった。この日予約はしてなかった。玄関に入るとご夫妻に迎えられた。玄関にある券売機で注文の品を求める。N さんは「白」と「田舎」の普通盛りと「天ぷら」、私はいつもと同じく「田舎粗挽き」の普通盛りと「天ぷら」と焼酎「財宝」を2杯。今日のスタッフは山岸さんの妹さんも加わっての3人体制である。奥の座敷の老樹の座机に陣取る。雨戸は開け放たれていて、県道に面している。野菜の天ぷらと焼酎がそれぞれ2つずつ届く。2人分と思ってましたとは奥さんの言だった。暫くすると、2家族と1女性団体が、この山奥に月曜日なのに訪れる人があるのは驚きだ。ややあって白と田舎粗挽き、付き出しに沢庵と煮物、薬味には辛味大根と刻み葱と山葵、粗挽きには岩塩が似合う。N さんの白が食べ終わる頃、田舎が届いた。普通盛りは 170 g  とか、そばは中太で、少々噛んだ方が味わい深い。また粗挽きは噛まないと食べられない。因みに「白」は丸ヌキを40メッシュで、「田舎」は玄そばを18メッシュで、「田舎粗挽き」は同じく13メッシュで篩っているとか、すべて自家製粉である。
 今週の金曜日には10人ばかりで来ますと予約して「やまぎし」を辞した。
 来た道を引き返して白山市鶴来日吉町の「草庵」へ。入ると店には数組がいた。座敷を希望し案内されて一卓に座る。N さんは熱いそばをということで「鴨なんばん」を、私は「鴨せいろ」を、つまみには「出し巻き玉子」と「焼みそ」を貰う。ここでは粗挽きの十割そばは1日10食限定とかで、基本の「せいろ」は外一の中細である。お酒は「八海山」を頂く。つまみとお酒がなくなる頃、そばが届いた。鴨はフランス原産種の合鴨を国内で飼育したものとか、柔らかいがプリプリした食感と歯応えが素晴らしい。終わって奥さんと暫しの懇談、今年ある全国誌の特集で、全国厳選そば店80に選ばれたと喜んでおいでた。開業してもう16年になるとか、以前ほど混んではいないが、やはり繁盛している。満腹になり、満足して草庵を後にした。帰り際、奥さんから、「また奥さんともども来て下さい」と言われた。

2016年9月14日水曜日

岩城宏之没後10年メモリアルコンサート

1.はじめに
 オーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) の創始者である岩城宏之さんが亡くなったのは2006年9月6日、あれから10年、標記のコンサートが9月10日に石川県立音楽堂で開催された。毎年この時期には、故人の遺志と故人の夫人の木村かをりさん (ピアニスト) の計らいで、北陸3県に関わりのある優秀な演奏者を表彰している。選考にはほかに井上道義 OEK 音楽監督と池辺晋一郎 音楽堂洋楽監督が審査にあたる。第10回の今年は、OEK の第1コンサートマスターのアビゲイル・ヤングさんが受賞した。OEK からは過去に首席チェロ奏者のルドヴィード・カンタさんが受賞している。彼女はスコットランドのグラスゴー出身とか、スピーチの通訳は第2ヴァイオリン首席奏者の江原千絵さんがされた。ヤングさんが使われているヴァイオリンは、OEK がレンゴー(株)から貸与されている 1714 年製のストラディヴァリウス「ラング」だそうである。
 この公演は金沢と東京で行なわれる。指揮は山田和樹、彼は現在モンテカルロ・フィル芸術監督兼音楽監督、スイスロマンド管弦楽団首席客演指揮者、OEK ミュージック・パートナー、また故岩城宏之氏が務めていた東京混声合唱団音楽監督・理事長を引き継いでいる。彼が OEK を振ったのは16ヵ月ぶりである。私はこの日を待ちわびていた。この日私の胸は躍った。彼は現在37歳である。将来が頼もしい。

2.リゲティ:ルクス・エテルナ (永遠の光) 無伴奏合唱 (アカペラ)
 正面のパイプオルガンが置かれている中2階のバルコニーに、東京混声合唱団のソプラノ、アルト、テノール、バスの各4人が上がり、各声域がさらに4部に分かれ、計16声部が微妙にずれて歌うという複雑な歌い方、総譜には「音を保って非常に静寂に 遥かに届くように」と書かれているとか。指揮者は1階の指揮台に立ち、端正な指揮をした。何とも荘厳な祈りの歌であった。「永遠の光が彼らに輝きますように」と。岩城宏之氏への鎮魂か。

3.バーバー:ヴァイオリン協奏曲  Op. 14
 故岩城宏之氏は、中西陽一石川県知事が亡くなった時に、鎮魂のためにバーバー作曲の「弦楽のためのアダージョ」を演奏されたことを思い出す。解説によると、この曲はアメリカの富豪の依頼によって作曲されたが、余りにも技巧的で演奏不可能とまで言われたという。そこで依頼者は改訂を申し出たが彼はこれを拒否、結果として別の人が非公式にピアノ伴奏のみで初演、その後アメリカの著名な指揮者であるユーディン・オーマンディやフリッツ・ライナーにより取り上げられ、新たな形式の協奏曲の傑作として演奏されるようになったという。聴いていると正に常動の曲、演奏者には実に難曲だ。しかしアビゲイル・ヤングさんは実に見事に弾き切った。あまり馴染みのない曲だが、しかし素晴らしい技巧での弾き振りの彼女に、惜しみない拍手が送られたのは当然の帰結であった。山田和樹の指揮ぶりもお世辞なしに秀逸で、実に聴き応えがあった。演奏が終わっても拍手が鳴り止まず、ヤングさんはこれに応えて、スコットランドの唄をヴァイオリンで奏でてくれた。

4.フォーレ:レクイエム ニ短調 Op. 48
 作曲家でクリスチャンであれば、大概教会音楽を作曲している。これは必然といってよいと言える。今手元にある三省堂のクラシック音楽作品名辞典を見ると、42名の作曲家がレクイエムを作曲している。この中で最もよく演奏されるのはモーツアルト作曲のレクイエムであろう。この曲は未完に終わり、没後弟子のジュスマイアーにより完成されたことで知られ、私も過去2回演奏会で聴いたことがある。またブラームスのドイツレクイエムも往々に演奏されるが、それよりもっと演奏の頻度が多いのがフォーレ作曲のレクイエムである。この曲を私は生で初めて耳にした。
 合唱は東京混声合唱団、東京芸術大学声楽科の卒業生で構成される日本を代表するプロの合唱団、本年は創立60周年とか、音楽監督・理事長は山田和樹である。この日はソロがソプラノとバリトンの2人、合唱はソプラノ11人、アルト11人、テノール9人、バス9人の構成だった。伴奏はパイプオルガンと OEK、ソロはソプラノの方はパイプオルガンのある中2階、バリトンの方はステージの最前列、コーラスは OEK の最後列に2列で、これには木村かをりさんがピアノのパートを担当された。曲は第1曲の「入祭唱とキリエ」から第7曲の「楽園へ」まで、指揮者は合唱団の音楽監督でもあり、見事な指揮ぶりだった。曲が終わって数秒の静寂、実に荘厳だった。ステージには大きな岩城宏之永久名誉音楽監督の微笑むパネルが飾られていて、指揮者の山田さんが曲が終わった後、遺影に拝礼されたのが印象的だった。彼と OEK との初の出会いは、岩城さんの代役での共演だった。

2016年9月9日金曜日

石川県立音楽堂開館15周年記念コンサート(2)

(承前)
3.モーツアルト:交響曲第35番ニ長調「ハフナー」K.385
 20分間の休憩で、前の舞台はすっかり片付けられ、次いで OEK の常任メンバーによって、お馴染みのモーツアルトの交響曲第35番「ハフナー」が演奏された。両大作の合間の一服の清涼剤の役目を果たしてくれた。演奏時間は約20分間。そして次の演目に備えての30分間の休憩。この間にカフェコンチェルトのフロアではドリンクサービスがあり、あるスポットでは、石川県酒造組合連合会の協賛で、県内34の酒蔵から出品された日本酒が振る舞われた。お代わりも可で、大変盛況だった。

4.ラヴェル:舞踊音楽「ボレロ」 舞/野村萬斎(狂言師)
 ラヴェルの「ボレロ」に合わせて野村萬斎氏に舞を希望したのは井上道義 OEK 音楽監督だとか。5年前に東京で試演したこともあるとかだったが、今回の舞をするに当たっては、萬斎氏は、振り付けでは、不動の静から始まり、復活、再生を描くとし、そしてそれには、夜明けから始まる一日や一年、一生を、この16分間ばかりの曲に凝縮させるつもりと意気込みを表明されていた。萬斎氏は、狂言師で人間国宝であった野村万作氏の長男、祖父の故六世野村万蔵氏と父に師事し、現在重要無形文化財総合指定保持者として活躍している。
 さて、ラヴェルの「ボレロ」を演奏するにあたっては、40人規模の室内オーケストラでは演奏できず、80人規模の演奏者を必要とする。OEK では過去に一度演奏したことがあるが、その時はどこか他のオーケストラとの合同演奏だったような気がする。この日のメンバーを拝見すると、OEK のメンバーが35人、客演奏者が39人の総勢74人だった。
 この曲は、イダ・ルビンシテインが自ら踊るためにラヴェルに作曲を依頼した作品である。この曲の特徴は、始めから終いまで延々と続くあの2小節の「タンタタタタンタタタタンタン/タンタタタタンタタタタタタタタタ」という小太鼓のボレロリズムで、それが延々と規則正しく、なんと169回も反復され、そして次第次第に強くなり、最後には大音響で叩きつけられて終わる。この間、18の管楽器が単独若しくは複数で、18のパートで、あの18小節のボレロのメロディーを反復する。一見単調単純なようだが、あのボレロのリズムとメロディーは聴衆を虜にする不思議な心理効果を醸し出す。そして曲が進むにつれ気持ちは次第に高揚し感動し、そして最後には大音響で瓦解し現実に戻る。
 バレー音楽ながら、曲のみでも素晴らしいが、今回は野村萬斎氏が精魂を傾けた振り付けを行なって披瀝した。氏の言によると、「ボレロ」は狂言の「三番叟」という舞踊に似ていて、同じリズムを繰り返しながら盛り上がっていくところに通ずるものがあり、それを振り付けに取り入れたとのことであった。
 ステージには3m四方ほどの緋毛氈が敷かれ、それを凹状に囲んで演奏者が陣取り、その凹状の要に当たる部分の左側に指揮者、そして緋毛氈の通り道を挟んだ右側に、この曲の重要な主役である小太鼓の奏者、そしてこの緋毛氈の通路は真ん中奥の扉に通じている。
 暫しの静寂の後、弱く小太鼓があのリズムを刻み出した。そして始めにフルートがソロで pp でメロディーを奏でる。次いで p でクラリネット、この時奥の扉が開いて野村萬斎氏が現れた。乳白色の長袖長袴の素袍?の出で立ち、そして背には緋色の背当て、ボレロのリズムに合わせて、長い袖と長い袴をいろんな形容に変化させながら、緋毛氈の舞台を縦横に使っての幽玄な仕舞い、単純だが一つ一つの仕舞いに微細な差があり、16分はアッと言う間に過ぎた。そして最後の大団円には、氏は舞台から客席前に仕組まれた穴に高くジャンプして飛び下りた。正に和と洋が渾然と融合した仕舞いだった。
 今回の石川県立音楽堂開館15周年記念コンサートは、パンフレットには「ディスカバリー・クリエーション〜過去・現在・未来〜」という副題が添えてあった。そして今回の記念公演は、次の十五年、さらには五十年、百年先を見据えての企画だとあった。そして金沢素囃子・混声合唱・オーケストラによる「勧進帳」と OEK による「ハフナー」は過去の音楽堂の集大成、野村萬斎氏を招いての OEK
との「ボレロ」の響宴は、ホールの特性を生かした新たな演出によるパフォーマンスだとした。

石川県立音楽堂開館15周年記念コンサート(1)

1.はじめに
 世界的指揮者の岩城宏之氏が、若き一時期金沢第一中学校に在籍したことがあった縁で、当時の中西陽一石川県知事に懇願して、外国人を含む40名からなる日本初とも言える室内オーケストラのオーケストラ・アンサンブル金沢 ( OEK ) を誕生させたのは昭和63年 (1988) のことである。でも設立当時の OEK には演奏の拠点がなく、次第にコンサートホール設立の機運が高まり、現谷本正憲知事の英断によってホールが設立されることになった。一方で金沢は邦楽の盛んな土地柄、邦楽会館の設立機運も高まり、この日挨拶に立った谷本知事は、造るなら恥じないものをと、そして要望に応えて和洋合わせた音楽堂を造るに至ったと述べた。こうして石川県立音楽堂が完成したのは平成13年 (2001)のこと である。施設の特徴としては、メインのコンサートホール (1,560 席) にパイプオルガンを設置したこと、また邦楽ホール (720 席) には歌舞伎が演じられるように左右に袖を設けたことで、このような和洋折衷の施設は他にはなく、自賛してよいとも話した。そして今年は開館してから15周年にあたり、それを記念してのスペシャル・コンサートが開催された。

2.素囃子と混声合唱、オーケストラのための「勧進帳」
 この曲は、平成12年 (2004) に OEK が鈴木行一氏に委嘱して作曲された作品で、翌13年 (2005) 3月に県立音楽堂で初演された。そこでは歌舞伎「勧進帳」で奏される長唄の分かりにくい筋を、現代語訳の合唱とオーケストラで再度再現し、聴衆に内容を分かりやすくしたことと、曲全体が一体となった壮大な叙事詩というかオラトリオに仕上げられたことだった。そしてこの曲の初めと終わりに、義経の愛人の「静」の存在を思わせる「しずやしず」のフレーズを挿入し、雪の吉野で別れた静御前を思い起こさせ、勧進帳とは全く関係がないものの、この曲では義経の悲劇的英雄伝説を一層盛り上げる働きをしていた。そして今回行なわれた 2016 年版の演奏では、素囃子とオーケストラが共演する試みもされ、より新鮮味が増したように感じた。このような試みは初めてではなかろうか。ところでこの曲を作曲された鈴木行一氏は平成22年 (2010) に他界され今年は七回忌とか、このコンサートには奥さんの理恵子さんが来ておいでて、再演を大変喜んでおいでた。
 「勧進帳」は、源義経が壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後、兄頼朝に疎まれ、追われる身となり、奥州を目指して逃れる途中に、加賀の国の安宅に設けられた関所での顛末を脚色したもので、それが歌舞伎の「勧進帳」であり、能の「安宅」である。ここでは素囃子で奏される長唄の筋を現代語の合唱とオーケストラで演奏し、その内容を字幕で流し、聴衆にその内容を知らしめた。素囃子も実に見事だったが、その内容を聴衆にことごとく伝えたのは素晴らしい試みだった。
 素囃子は金沢素囃子保存会の皆さん、金沢市無形文化財の指定を受けているとか。右手の三段になった雛壇に、上段には唄方、中段には三味線と上調子と笛、下段には大鼓 (つづみ) と小鼓 (つづみ) の計19人、中でも大鼓と小鼓のソロの掛け合いが実に素晴らしく、感銘を受けた。合唱団はオーケストラ・アンサンブル金沢合唱団の皆さん、左手奥に女性、ソプラノ10人とアルト8人、右手奥に男性、テノール6人とバリトン・バスの10人。そして左手前方と中段にはオーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーと客演奏者の約60人、そして指揮者の井上道義氏は聴衆からは見えないように置かれた矢羽根模様をあしらった大きな衝立ての影での指揮だった。
 演奏時間はほぼ30分、こんな邦楽と合唱とオーケストラのコラボによる演奏は、滅多に見たり聴いたりすることはできず、私は二度目だが、多くの聴衆はこの初めての壮大なコラボレーションに酔いしれたのではなかろうか。そして素囃子とオーケストラとのコラボは、全く新しい試みなだけに、これからの邦楽と洋楽の新しい合奏形態を占うものとして、高く評価されるのではなかろうか。