2016年3月20日日曜日

大白川の秘湯と能登島のそば(その2)

(承前)
3.3月13日 (日)・14日 (月) 平湯温泉・藤助の湯 ふじや
 午後2時過ぎにせせらぎ公園駐車場を後にする。国道 156 号線、通称白川街道をさらに南下し、バイパスを外れて旧道を平瀬に入ると、右手に目指す宿がある。チェックインの2時30分には少々早かったが宿に入る。3月とて、おえの間には赤い毛氈を敷いた雛壇が飾られている。土間にある大きな薪ストーブの辺りで茶菓の接待を受けた。その後、案内されたのは別館の別棟2階の野紺菊の間という和室、この宿は本館4室、別館10室のこじんまりとした宿である。部屋で少々寛いでから風呂へ、ここは源泉かけ流し、露天の湯の風情がよい。
 ここの湯は別名「大白川の湯」といい、源泉は庄川支流の大白川の上流12km にあり、そこから湯を引いている。この川の上流には白水の滝という名瀑があり、その上流に造られているダム湖の白水湖ができる以前には、谷間に大白川温泉という鄙びた宿があった。しかしダムが建設され、温泉は埋没してしまった。でもその後、ダム湖畔に別の泉源が見つかり、現在はこの93.2℃の源泉から平瀬の宿まで引湯している。泉質は含硫黄ーナトリウムー塩化物泉 (弱アルカリ性低張性高温泉) である。ゆっくり露天風呂にも入って後、部屋でワインを飲み、テレビで大相撲を観戦する。今日は春場所初日、この日は横綱二人に土がついた。それにしても幕内に石川出身の地元力士がいないのは寂しい限りだ。
 午後6時になり、指定された母屋にある炉のある食事処へ。お品書きを見ると、地元の材料ばかり、初めに「ふじやの花梨酒」で乾杯する。前菜は竹籠に入った大きな朴の葉の上に。蕗の薹、菜の花、山葵の葉、独活、浅葱、里芋、胡桃などが載っている。そしてその後順に十品が間を置いて出てきた。中でも飛騨牛の陶板焼きはボリューム満点で圧巻だったし、天子の塩焼きや、茶碗蒸しに添えられた桜の花弁も新鮮だった。酒は飛騨の生酒・古川の白真弓、十分堪能した。満腹になり、山菜の天ぷらとミニ釜で炊き上げられた飛騨コシヒカリと粟の御飯は海苔巻きにしてもらい、部屋に届けてもらった。
 翌朝起きて外を見ると、一面真っ白、粉雪が舞っている。朝風呂に行く。露天風呂に置いてあった菅笠を冠って湯に入った。粋な風情だ。泊まり客は3組だけのようだ。昨日は男風呂が混んでいたが、居合わせたのは外来の入浴客だったようだ。外気は冷たいが、湯に入っていると程よい心地である。ここには男女の風呂のほかに、家族用貸切りの半露天の風呂が2つあるとのことだった。
 今朝の食事は8時半にお願いしてあり、朝の NHK の BS での連続テレビ小説を観てから食事に出かけることができた。通常山の宿では BS が映らないことが多いのに、ここでは OK だったのは嬉しかった。朝も品数は 10 品ばかり、中でも朴葉焼きは素朴で飛騨らしかった。私は食事後、今一度小雪の舞う露天風呂で寛いだ。
 さて今日はこれからどうしようか。東へ行こうか、南へ行こうか、それとも北へ。私は思案がつかない時は賽を振るか、二者択一ならば鉛筆を転がすのだが。それでこの日は観光はともかく、昼は「そば」を食べようということになった。とすると、東なら高山か飛騨古川、南なら荘川か越前、北なら長駆して能登島の「槐」の提案、そうしたら難なく新しく出来た能越自動車道を通って七尾へ出ようということになった。
 
4.3月14日 (月) 能越自動車道を経由して能登島の「槐」へ
 10時過ぎに宿を出た。周りの山々は真っ白な綿帽子を冠ったような風情、幻想的でさえある。一旦南へ下がってからバイパスに出ることに。というのは以前に何回か利用した立派で大きな共同浴場を見るためで、在れば外来の客がわざわざ「ふじや」の湯に入りに来なくてもと思ったからである。すると今は大改装中、これで合点がいった。平瀬バイパスを北へ、そして白川街道へ、途中に帰雲城跡の標識、寄ろうかと思ったが家内に一蹴され諦める。もうこうなれば七尾へ一直線。白川郷 IC で東海北陸自動車道に入り、小矢部砺波 Jct から能越自動車道へ、途中高岡 IC 付近に料金所があり、200 円を支払う。IC を過ぎると2車線になり、高速道路から自動車専用道路となる。通行車両は多くなく、快適に北上する。富山と石川の県境にさしかかると、県境に真新しい木造の建物、停まって入るとそれは木の香がするトイレだった。ここは高台で海岸も近く富山湾を望め、左手の山並みは石動山に続いているという。現在はこの自動車道は七尾までで、その後は一旦一般道に下りた後、自動車道の和倉 IC を経由して能登島へ向かう。
 能登島向田にある生蕎麦「槐」には12時半に着いた。駐車場に車がないのでひょっとして休みかと心配したが、暖簾が下がっていた。座敷に入り、挽きぐるみと田舎の二色盛りと、更科のしょうが切を注文する。先客が1組いた。その後3組が入来。そばは十割の細打ち、この前に家内と訪れた時は、遅くて更科しか残っていなかったが、私はともかく、家内にとって此処のこのいわゆる「そば」は初めてなのだが、感想は上々とのことだった。また変わりそばも繊細な細打ちで、生姜の仄かな香りがした逸品だった。来た甲斐があったというものだ。
 辞して車で和倉 IC に着くと、金沢も輪島も珠洲も右折とある。標識にしたがって車を進める。すると、とある交差点で金沢は左、輪島・珠洲は右とあり、左へ進むと車は能登里山海道の徳田大津 Jct に出た。金沢から和倉へはこのルートを通るのが賢明だと、初めて気付いた。
 こうして2日間の旅は終わった。走行キロ数は 330 km だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿