私の家の敷地は南北に長い長方形で、母屋が真ん中にあり、その東側には南北に用水が流れている。この裏庭の南端は竹林、北端は築山になっていて、用水はここでは曲水になっている。そして他の裏庭には大木が鬱蒼と繁っていた。母屋の西側にある前庭は、一部は庭らしく造られてはいるものの、その他の部分にはいろんな木々が生えていた。終戦になって農地解放が行なわれ、400町歩あった田は1町歩になり、沢山の国債は紙切れになり、財産税を払わねばならないため、裏庭の大木を10本ばかり伐ってそれの足しにした。大木が無くなったことで、陽当たりが随分と良くなり、植生が大きく変わった。中でも築山に沢山植わっていた楓が、鉄砲虫の被害にあってほとんど枯死したし、数本あった梅の古木も枯れてなくなった。代わりに陽樹のタブノ木が元気が出て、築山全体を覆うほどになり、後年大きな枝を切り落とさねばならなくなった。また竹林は以前は真竹と孟宗竹が混在していて、程よく東南の一画に納まっていたものの、真竹に花が咲いて真竹が絶えてしまってからは、孟宗竹が勢いを増し、用水の東側一帯に広くはびこるようになり、出て来る筍を除去するのに苦慮しなければならなくなった。本当に予想もつかないとんでもない所にまで筍が顔を出すのには驚くほかない。
大木を伐った後には陽当たりが良くなっていた庭も、幼樹が大きくなるにつれ、陽当たりがまた悪くなり、それでまた植生が変わっていった。また陽当たりが良かった頃、久吉叔父が植えた木々があったが、今日では大木に成長したメタセコイアが残っているに過ぎない。一方で庭には以前は昆虫も沢山棲息していて、オハグロトンボもいたし、ウマオイやクツワムシ、スズムシといった秋の虫も沢山いたが、今はコオロギや蝉が残っているのみである。代わって今は蚊の天国、樹木の剪定にあたっては、事前に蚊の駆除をするのに殺虫剤を庭師が撒くので、なおさら生態系が悪くなっている。また用水には、ずっと以前には小魚も沢山いて、カワセミなども飛来していたが、その後はどぶ川になり、ヘドロが溜まり、臭いもするようになった。でも下水道が普及するようになって、どうやら流れも幾分きれいになってきた。今でも庭には2カ所、用水沿いに野菜などを洗う場所が設えてあるが、勿論以前のように、そこを利用するような清流は望むべきもない。こうして幾多の変遷があり、庭の様相は造られて百年を経て、環境は随分と変貌した。したがってその間に植生も変わり、以前あった木々や草々でなくなったものも多い。そこで私は終戦以降の記憶を辿り、以前にはあったが、今は無くなってしまった植物、種子植物と羊歯植物について記すことにした。
以下に記した植物は、種子植物は木本と草本に分けて、植物名は五十音順とし、種名・別名(科名 属名)の順に記した。また植物名の後に〔外〕と記した植物は、外国原産で、安土桃山時代 (1570年) 以降に日本に渡来したいわゆる帰化植物である。ただバラ科の中国原産の果実、例えば梅や桃や杏などは、もっと古い時代に渡来していることもあって、帰化植物としては扱っていない。(リスト別添)
2015年3月19日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿