● 会費について
総会議事のなかで、会費を年額5千円から3千円にすることが提案され、承認された。理由は会報の発行が年2回になっていることと、それに伴って次年度への繰越金が10万円を超えていることへの対応である。これは多分に会誌の発行頻度が少なくなったことによる。年別の会報の発行状況とページ数を見てみよう。
平成10年(1998) 0ページ 0回 0ページ
11年(1999) 8 1回 8ページ
12年(2000) 4・6・4・12・10・4・8・8・4 9回 60ページ
13年(2001) 6・6・10・4・8 5回 34ページ
14年(2002) 8・8・8・12 4回 36ページ
15年(2003) 8・14・12・10・12 5回 56ページ
16年(2004) 8・8・12・8 4回 36ページ
17年(2005) 8・16・12・8 4回 44ページ
18年(2006) 8・16・16 3回 40ページ
19年(2007) 12・12・8 3回 32ページ
20年(2008) 12・8・8・20 4回 48ページ
21年(2009) 8・8・12 3回 28ページ
22年(2010) 16・8・8・8 4回 40ページ
23年(2011) 8・12・12 3回 32ページ
24年(2012) 8・8 2回 16ページ
25年(2013) 8・8 2回 16ページ
26年(2014) 8 (3月現在) 1回 8ページ
年会費は発会当初から平成16年までは3千円だった。この7年間に発行された会報は述べ28回、230ページ、平均すると1年あたり4.0回、32.9ページで、この状況から平成17年には年会費が2千円増しの5千円に値上げとなった。それで次の平成17年から平成23年までの7年間についてみると、発行は24回、ページ数は264で、年平均3.4回、37.7ページである。しかし平成24年と25年には、年2回、各年16ページと極端に減少している。このこともあって、会費は再び3千円に減額された。因みに1回当たりのページ数は、平成10〜16年は8.2ページ、平成17〜23年は11.0ページ、平成24年以降は8ページである。
● 行事について
探蕎会で参加者が多い行事というと、毎年6月に塚野さんのお世話で行われる湯涌みどりの里での「会員そば打ち」と、やはり毎年秋に行っている海道さんにお世話になる丸岡蕎麦道場での「新そば試食」であろう。どちらも30名を超す会員の参加がある行事である。足の方は、前者は三々五々集まるのに対し、後者は事務局の配慮でマイクロバスに乗って出かけることが多くなっている。それに対し、前半の春の探蕎と後半の秋の探蕎は、近隣はともかく、会則にあるように各地の銘店を訪ねつつ蕎麦道を探求するとなると、これまでは久保副会長におんぶに抱っこの感があったが、本年は3月に野々市の「敬蔵」での会が決まっているのみで、後は未定になっている。遠くへ行く場合には、これまでは会員の中で大型やマイクロバスの運転免許を持っている方が運転していただいて便乗したり、少数の場合には車に分乗して出かけたものだが、如何せん高年齢となって運転を辞退されると、少なくとも遠出は困難となる。また出かける曜日も問題で、これは会の今後の運営とも密接にかかわってくる。皆で考えたいものだ。
● 総会でのアトラクション
総会では会食中に「会員紹介」と称して、会員が自由に話せる場が設けてある。でもマイクが回って来ても、半数の方は話すのを遠慮されるし、となると無闇に無理強いするのは司会者としても本意ではない。もっとも気楽に応じられて話される方があるのも事実である。今年は画家の大滝由季生さんが、今年初筆の4号の絵画2点、「祝い魚」と「実り」を持参頂いたので、その説明をお願いした。すると解説の後に、例年のごとく「猩猩」の一節を謡われた。その後事務局の前田さんから、斎藤千佳子さんがバイオリンを持参されているとのこと、これは渡りに船とお願いした。この方は書家でもあり、以前喬屋での会の時には、大判の紙に「探蕎」の文字を揮毫されたし、またバイオリンの演奏もされ、あの時は皆で合唱した。今回も終わりに近く、斎藤さんの伴奏で「故郷」を出席者全員で斉唱した。帰り際に次回も何か考えましょうとのこと、素晴らしい助っ人である。これまでも、お点前、琵琶演奏、詩の朗読と幽玄の世界とのコラボ等々、予め決められた趣向の演出があったが、このような企画が総会行事に添えられると、会も濃い内容になるのではなかろうか。皆さんからアイディアを募るのも一興かも知れない。
2014年3月19日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿