2014年3月19日水曜日

平成26年探蕎会総会を振り返って(その1)

 今年の探蕎会総会は2月16日の日曜日、金沢市武蔵ヶ辻にある金沢スカイホテル 10F の「白山」であった。例年と同じく、会長挨拶、総会議事、記念講演、乾杯、会食、閉会挨拶、記念撮影と、3時間にわたって行なわれた。いつもと違っていたのは、講演に初めて会員以外の方をお願いしたことだろう。本来なら私にお鉢が回っていたのだが、それよりも私が意中の人として選んだ横山さんに講演をお願いしたのだが、これは予想外に好評だった。終わって皆さんから来年もお願いできませんかと言われたあたり、それを如実に物語っている。演題は「前田家と宮家の婚姻」で、藩政時代初期の天皇家・宮家・公家・徳川家・前田家の詳細な略系図を資料とされて、「前田家の女たち」(1) 公家と前田家の婚姻、続いて(2) 宮家・五摂家と前田家の婚姻 について話された。初めて耳にすることも多く、非常に興味が持てた。中でも前田家は、今年の東京都知事選挙に立候補した元内閣総理大臣の細川護熈氏の細川家とは、近衛家を通じて縁続きなことも示された。アンコールの声が出ても不思議ではない内容の話だった。
 以下に総会で感じ取ったことを記してみたい。
● 会員の構成(寺田会長の開会挨拶から)
 会長は「探蕎」会報第1号から、発起人でもある波田野前会長と松原前副会長の言を引用された。前会長は、「探蕎会とは、蕎麦無限の極みー究極の味を究めんとする同好多士済々の集いといえよう」と。また前副会長も、「目下、会員は四十九人。むやみに会員の増加をのぞむ必要はない。元、現の職業や立場はさまざま。意外な人もいて、それぞれが専門的能力をもつ異色有能集団であるところも面白い」と。会員の皆さんが、前副会長のいう「専門的能力をもつ異色有能集団」であるかどうかは別として、前会長のいう「同好多士済々の集まり」とは言えそうだ。しかし会員がどういう方達から構成されているのかは知らないが、同好の士である以上の詮索は全く無用なのかも知れない。
● 会員数のこと
 ところで会報第1号には、末尾に50名の会員が入会順に記されている。平成11年12月現在とあり、この時点で松原さんは、むやみに会員の増加をのぞむ必要はないと言われている。ところで現在この中でどれくらいの人が現会員なのだろうか。事務局では把握されているのだろうが、私が見たところ、残留しているのは半数にも満たないように思う。一時は80名を超える会員数のこともあったが、昨年の会費を支払った人は36名とか、40名前後が望ましいとすればベターなのだろうが。一時は会の行事には参加しないが、会報が入用なので会費を納めているという人がいたが、今はインターネットで無償で見ることだできるようになっているから、そんな人は居なくなったと思う。因みに、創刊以降、平成23年4月発行の第50号までは、新会員の紹介があった。一体どれくらいの人が入会したのかカウントしてみると、ざっと80名ばかり、単純に累計すると130名となる。現会員を40名とすると、90名ばかりが退会していることになる。この中には物故者もいるが、大多数の人は「そば」が好きで会に入ったものの、会そのものには魅力を感じなくなったから退会したということになろうか。私の知っているそば好きの友人は、変に束縛されるよりは、気楽に家内とそば屋巡りをする方に魅力を感じたので退会すると言っていた。
● 会員の年齢構成のこと(前田事務局長の発言から)
 前田さんの発言では、男性では初老の前田さんクラスが会では最も若い年齢層とか。これではまるで老人会そのものである。一時会報にも、若い方の新規加入を呼びかけようとの記事も載ったが、実効があったとは聞いていない。今後探蕎会の魅力をアピールするのか、それともこのまま仲良し会で終始するのか、一度皆さんの意見を聞きたいものだ。
● 会報執筆のこと(寺田会長の開会挨拶から)
 会長は会員の方々に会報への原稿執筆協力の依頼をされた。執筆者に偏りが見られるので、こちらからお願いした節には、ぜひ引き受けてもらいたいとも。詳しく調べたわけではないが、恐らく半数以上の会員は執筆経験がないのではと思っている。いつか前会長がある方に執筆を依頼された折、書けないと言われると、話す言葉を字にすればよいと言われたことを思い出す。その方はどちらかというと饒舌だったのでそんな風に話されたのだったと思うが、結局彼は書かなかった。話されたものを別の方が記述するのならば別だが、本人があまり書かれたことがない場合には抵抗があって難しいように思う。いつか世話人までされていた方の原稿が真っ赤になったという話を聞いたことがあるが、あまり無理強いすると、それじゃ退会しますということになるのではと危惧する。そんなときは程よいサポートが必要なのではなかろうか。私が県にいたときに、一見精力的に仕事をし、また何にでも頭に立ちたがる御仁がいた。ごく短い文章を書かすと意味は通ずるのだが、長くなると何を言いたいのか全く分からず往生したことがあった。そのままでは当然投稿しても不採用になる。この人の文章の訂正には実に手を焼いた。このことがそのまま探蕎会に当てはまるとは思えないが、文を書くのが得手でない人に執筆を強要するのには問題があるように思う。感想を聞くのだったらインタビューするのも一策かも知れない。何と言っても、話すのは残らないかも知れないが、活字は末代まで残るからコワイ。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿