2014年3月18日火曜日

佐渡裕:ベルリンフィルへの挑戦

 2014年3月14日、いつも金曜日の午前8時からは、渡辺真理が司会する歴史館が NHK の BS103 で放映されるが、この日は瀬戸内海で勇猛を誇った村上水軍の栄枯盛衰を、その末裔の方のインタビューも交えて放送され、興味を持って見ていた。いつもはこれでテレビのスイッチを切るのだが、9時からこの日はプレミアム・アーカイブズとして、以前に放映されたことがある番組の中で、特に好評なものを再放映するとのこと、表題は「情熱のタクト〜指揮者・佐渡裕 ベルリンフィルへの挑戦〜」とあった。いつか彼の指揮する曲を聴いたことがあるが、オーラで身体が震えてしまったことを思い出した。それで途端に番組に釘付けになっていまい、凡そ2時間、終わってみれば立ったままで最後まで見ていた。何か臨場感もあって、久しぶりに緊張と祈りの混じったオーラが身体全体に漲った。
 前半は指揮者になるまでの生い立ち、本来はフルート奏者だったのが、ひょんなことで女子校の吹奏楽を指導することになり、その後独学で指揮法を学び、指揮者として歩み始め、関西を中心に指揮活動をすることに。その後世界に羽ばたくようになり、1987年タングルウッドでバーンシュタインに師事し、2年後にはブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、指揮者としての地位を確立することになる。そして 2011年、ベルリンフィルから客演指揮の依頼が舞い込んだ。日本人での客演指揮者依頼は、恩師の小沢征爾以来とのことで、その時彼は 50歳だった。
 ベルリンフィルといえば世界トップの楽団、常任指揮者として、戦後はセルジュ・チェリビダッケ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、クラウディオ・アバド、現在はサイモン・ラトルが務めている。また現在のコンサートマスターは日本人の樫本大進、また前任は安永徹だった。ベルリンフィルでは定期公演に年間6〜8人程の指揮者を客演に迎えるという。これは常任指揮者が選ぶのではなく、楽団員が推挙して来てもらうシステムになっているという。ということは、個々の楽団員のレベルが極めて高く、しかもその声が重みを持って大きく反映されるということなんだそうだ。佐渡裕を推挙したのはコントラバス奏者の方、それで楽団員総意で実現の運びになったという。
 佐渡裕がベルリンフィルの定期公演で客演指揮したのは 2011年5月、この年の3月11日には、あの未曾有の東日本大震災があった。この客演指揮に当たっては、NHK は特別に許可をもらって、リハーサルと本番の取材及び楽団員のインタビューをした。演奏する曲は楽団員の希望で、ショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調作品 47、これは 1936 年の革命記念日のために作曲された第4番が共産党から辛辣な批判を受け、その名誉挽回のため翌年に作曲されたもので、これは大変な称賛を受けたという。現在この作曲者の作品の中では最もよく演奏される曲でもある。さてリハーサルは演奏会の前日と前々日にそれぞれ2時間ずつのみ、佐渡裕はこのリハーサルのための構想を練るのに1週間を充てたという。そして最初のリハーサル (ファースト・コンタクト) の日、コンサートマスターの樫本さんから、最初の10分間が極めて大事で、この印象で楽団員の指揮者への評価が定まってしまうと言われたという。他の楽団員へのインタビューでも同じ返事が返ってきていた。楽団には日本人は樫本さんのほかに女性が3人いるがs、彼女らも同じ意見だった。
 リハーサルの会場は本番と同じホール、彼は開口一番ドイツ語で、東北大震災への協力に対して、心からの御礼を述べた。後での楽団員の評価では、これで少し緊張が和らいだと話していた。とは言え、始めの 10分間のリハーサルでのドイツ語での指示、始めはギクシャクしていたが、彼の自分の考え方に対する理解への丁寧な説明は、次第に指揮者への理解と協力を勝ち得ていくという過程が画面から汲み取れた。2日目には、4種ある金管の音の強弱で首席奏者からクレームが出たが、これに対しても丁寧に対応し、彼に納得しましたと言わしめた。これだけのオーケストラになると、指揮者に不信を抱いてしまうと、指揮者を無視し、自分たちで演奏してしまうという。しかし彼は楽団員の絶大な信頼を受け、彼らの協力を得て、佐渡裕の解釈した第5番を渾身の力を振り絞って本番を終えた。満席の聴衆からの拍手は鳴り止まなかった。実に素晴らしかった。終演後、楽団員が彼に握手を求めに集まった映像が流れたが、本当に感動した。ベルリンフィルでは、楽団員の中に一人でも指揮者に不満があると、次に客演指揮者に呼ばれることはないという。でも彼はこれをクリアした。将来彼は世界に冠たる名指揮者になることだろう。そんな予感をはっきり感じさせる番組だった。

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