2013年7月29日月曜日

信州の秘湯:角間温泉と七味温泉(その2)

 真田の郷を離れて、上田市街地にある上田城に向かう。真田氏歴史館ではゆっくりと過ごしたので、上田城址公園の駐車場に着いたのはやがて午後1時近く、本丸堀の橋を渡り、東虎口櫓門から城址に入る。真っ直ぐ行き真田神社に参拝し、横を抜け、真田井戸の脇を抜け、西櫓に達する。この櫓のみが当時から残っている本丸隅櫓、中へは入られない。ここで引き返し、本丸跡を逍遙し、再び東虎口櫓門に戻る。虎口とは城の出入り口のことで、この本丸には、かつては櫓門2基、隅櫓7基があったが、明治になり城は民間に売られ、その後篤志家により買い戻され、寄贈された経緯がある。その後南櫓と北櫓が移築復元され、城門も平成6年に復元されたとのこと。今回は南北両櫓と城門へ入ることが出来た.本丸隅櫓は寒冷地によく見られる、壁の下部が板張りの「下見板」になっている。また窓は突き上げ戸の「武者窓」、また射撃用の小窓「矢狭間・鉄砲狭間」も設けられている。
 本丸跡を出て、二の丸跡に向かう。ここには上田市立博物館がある。ここには上田城の城主であった真田氏2代40年間、仙石氏3代85年間、松平氏7代166年間の資料が保存されている。この城がつとに有名になったのは、この城を築城して間もなくの天正13年に、武田家が滅亡して、徳川家康から城を明け渡すようにと言われノーと返事したことで家康が7千の兵で攻撃したのを撃退したこと、また慶長5年の関ヶ原の戦いの折、中山道を進んだ徳川秀忠軍3万8千人を釘付けにしたことによる。天守閣もないろくに石垣もない平城での奮戦、ほかに例がないといわれる。
 城を出て、今宵の宿へは一般道で行くことにして、途中千曲市稲荷山にある「つる忠」でそばを食べることにする。電話すると今日は営業の由、ナビに従い国道18号線を北上し、千曲川を渡ってかの店へ、時間は閉店時間の午後3時少し前、滑り込んだという感じだった。客は3組、間もなく暖簾は中へ取り込まれた。家内は「ざるそば」、私は「鴨せいろ」とお酒を注文した。お酒は升にコップ、久しぶりだ。主の市川富士子さんは所用でおいでないとか、もう80歳は出ておいでるのではなかろうか。そばはまずまず、家内は龜屋のそばには及ばないという。でも探蕎会では訪れられなかっただけに,私は満足だった。
 ここからも一般道経由で高山村へ、家内の運転で、須坂市を経由して松川渓谷へ、天気も良く快適だ。八滝や雷滝の駐車場や日帰り温泉の駐車場は混んでいる。やがて満山荘へ上がる道と分かれ、七味温泉へと松川まで下り、松川を渡るとそこに今宵の宿がある。この温泉にはホテル渓山荘のみと思っていたが、ほかに温泉旅館1軒、日帰り温泉が1軒あった。着いたのは午後4時頃、チェックインしていると、3年前にできた露天風呂「恵の湯」へぜひ入って下さいと言われる。宿からゆっくり歩いても5分ばかりとか、出かけることにする。部屋は2階の「飯綱」、この階の部屋は北信五岳、戸隠、黒姫、妙高、斑尾など。浴衣に着替えて「恵の湯」へ、近くの駐車場には沢山の車、ここは日帰り温泉施設でもあって、9:30〜17:30の営業とか。宿の親子2代で手作りで仕上げた自然石を配した実に大きな露天の岩風呂、男湯・女湯のほかに貸切りの湯もあるとかである。お湯は乳白色、肌触りがよい。資料によると、泉質は単純硫黄泉、源泉かけ流し、源泉の温度は62.5℃、湧出量は毎分383ℓとある。
 食事は午後6時半、時間になって囲炉裏のある部屋へ案内された。長方形の大きな囲炉裏には5人はゆっくり吸われそうだ。串を打った岩魚が焼かれ、網にはエリンギや獅子唐辛子や万願寺唐黍が乗っている。囲炉裏の縁は幅広で沢山の料理が載せられる。先付けは蕨のお浸し、前菜は川海老の唐揚げや小鯛の手鞠寿司など5品、造りは馬刺し、煮物は冬瓜と蓮芋の餡掛け、酢の物は地の夏野菜のおろし酢和え、蒸し物は銀杏・百合根・三つ葉の豆乳蒸しにフカヒレ餡掛け。取り敢えずは食前酒の果実酒で乾杯する。家内はビール、私は渓流なる生酒をもらう。この酒は須坂の酒、探蕎会でも行って求めたことがあり、さらりとした飲み口の良い酒、4合も頂戴した。次いで天ぷら、茸2種、根曲がり竹、ベビーコーン、南瓜と植物ばかり、抹茶塩で頂く。食事も半ばに、岩魚の塩焼きが串付きで卓に、骨まで食べられますと言うが、大きいのでそうはゆかない。茸鍋に火が入る。こんなには食べられそうにない。後で信州牛のステーキが出ると言うから、少し腹に余裕を持たせないとと思いながら食べる。囲炉裏の野菜も焼き上がったが、腹に入りそうにない。そうこうするうちに件のステーキが来た。焼きはミディアムで良いのだが、小さく切ってあり、汁がかかっていて、口にするとグンナリした感じ、何とも頂けなかった。終盤になり、五穀米と吸物と香の物、そしてデザートのプリン、満腹になって食事を終えた。
 翌朝5時に内湯へ行く。源泉かけ流し、露天の岩風呂も風情がある。ゆっくり浸る。包み込まれるような優しい湯である。上がってカウンターで志賀高原への道路状況を訊く。道路の拡張工事はされているが、通行は可能とのこと、今日は横手山へ行こう。家内に話すと、この前のように歩くのはお断りとのこと、合点した。朝食は8時、着替えて出かける。食事は個室、相変わらず多め、ご飯は軽く一膳だが、副食で満腹になる。家内は今日はハッスルしていて、山道とトンネルの多い高速道路以外は私が運転すると言う。彼女は私よりはるかに運転歴が長い。そうしよう。
 宿を出立したのは午前9時20分、満山荘の前を通り、山田牧場を抜け、笠ヶ岳(2075m)を回り込むようにして道路は続く。途中交互通行があり、10分ばかり待機した。志賀草津道路の国道292号線に合するまで14km、対向車を心配したが、2台のみでうまく交わせた。平床大噴泉、熊の湯、硯川を経て「のぞき」に着いたのは午前10時10分、ここから横手山スカイレーターとスカイペアリフトを利用して横手山(2305m)へ、頂上の展望台からは西方向に、遠く北アルプス連峰とその手前に北信五岳、近くには通ってきた笠ヶ岳が見える。南に目を転ずると、晴れていれば遠くに富士山を望めるのだが、今日は生憎雲が湧いていて見えていない。私は一度だけ正月にスキーに来ていて見たことがあるが、見えると何故か心がときめく。付近を散策する。ハクサンチドリの赤紫、モミジカラマツの白、ミヤマキンポウゲの黄、アオモリトドマツの青紫の毬果が目を楽しませてくれる。凡そ1時間ばかり滞在して車へ戻る。ペアリフトに乗っているときに写された写真が売られていて求めた。これも思い出だ。
 車で山を下り、道の駅「北信州やまのうち」で小憩する。ここからは家内の運転で中野ICから高速道に入り名立谷浜SAまで、次いで私が有磯海SAまで、そして再び自宅までは家内の運転、家には午後4時40分に着いた。走行キロ数は 982kmだった。  

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