2013年5月24日金曜日

25年ぶりに出席した巨樹の会 ー その徒然と断章 ー

 会報「巨樹いしかわ」48号が手元に届いて、その中に二十五周年記念の通常総会・講演会の通知と巨樹探訪会の案内があった。私はこれまで石川県に33年、石川県予防医学協会に16年いて、現在漸く毎日がフリータイム、いわゆるサンデー毎日となった。ということもあって、一度出かけてみようかと思う気になった。私はこの会には林業試験場であった設立総会に出席して以来、一度も行事に出席していないペーパー会員なのである。ところが後日の探訪会で田中さんから第1回の設立総会は白嶺会館であったと聞くに及んで、あれは石川きのこの会であって、巨樹の会ではなかったのだと思い知らされた。正に青天の霹靂である。ということは、巨樹の会には一度も参加したことはなく、今度出るとすればまっさらの初めてということになる。ちなみに設立総会は4月22日、私が入会したのは6月9日だった。
 
 先ずは総会、場所は県立自然史資料館とか。私は県に奉職して、衛生研究所、衛生公害研究所、保健環境センターと名称は変遷したものの、ずっと微生物分野の仕事をしてきて、太陽が丘へ移ってからも4年ばかりいた。でも私がいた当時は表記の県施設はなく、案内図を見るとどうも旧養護学校があった場所らしい。当日は早めにでかける。着いて時間があったので、展示室を見て回ったが、中々工夫してあって分かりやすい展示がされていて感心した。会場へ足を運ぶが、当然のことながら知った人は一人もいない。受付で5月の探訪会の申込みをする。総会の会場には雛壇、同好の志の集まりにしては中々本格的である。総会の資料を見ていると、八木豊夫氏の名前が、私が知っている唯一の人だった。彼は私も所属している金沢大学山岳会の事務局を預かっていて、樹木医でもある。その彼が私の隣に座ってくれた。彼は今でも厳冬期を除くシーズンには山へ入っているが、喜寿の私にはもう無理である。彼が言うには、この会の総会と理事会には常時出席だという。
 総会が始まり聞いていて、独自で行なう事業・調査のほか、県や関係団体が行なう事業にも積極的に参加しているのには感心した。また全国レベルでの会にも参加しているのを聞くにつれ、とても半端でなくて本格的だなと思った。またフロアからの発言も活発で、会員の熱気も伝わってきた。また総会の後に、濱野会長の「スペイン・ポルトガルの巨樹を訪ねて」という講演があったが、趣味もここまで高ずれば正に国際派である。私が知っているある大病院の事務長は、皆既日食や金環日食があると、世界の果てまでも必ず出かけているが、会長と大同小異だと思った。

 さて次なる巨樹探訪会、知った人がいないので、探蕎会というそば好きの志が集まる会で、巨樹の会の会員でもある寺田先生に打診したが、出席されないとのこと、こうなれば意を決するしかない。それにしても、予め探訪先の解説やパンフレット、参加者名簿などが事務局から送られてきたが、何とも痒いところに手が届く気遣い、これには驚きもし感激した。本当にお世話されている方々に深謝したい。さて当日は新参で転校生の境地、でもこの二日間、皆さんと共に楽しもうと心に誓う。
 先ずは若狭一之宮の若狭彦神社、スギやケヤキやタブノキの大樹もさることながら、サカキが沢山植わっているのに驚いた。北陸にはヒサカキしかないと思っていただけに。何方かが時期を選べば簡単に植栽できますと話された。昼食後松尾寺へ、途中の山道の際にはシャガが咲き誇っていた。このお寺は以前探蕎会でも訪れたことがある。前の住職の方は寺田先生と陸軍幼年学校?での同期とかで、あの時はお座敷で茶菓の接待まで受けた。境内にはモミ、スギ、イチョウ、ケヤキの巨樹があるが、この前訪れた折には全く気付かなかった。その後智恩寺と天の橋立、クロマツに寄生する寄生木を初めて教えてもらい、また簡単に個体数が増える種明かしまで教えて頂いた。こうして初日はここまで、その後宿舎の大江山グリーンロッジに入る。
 その日の晩の懇親会、私達5号室の6人はほぼ一固まりに、私は一方の端、すると隣に中年のオバさんが座られた。その時、びっくりのジェ・ジェ・ジェが起きた。
「わたくし、田中といいます。よろしく」。
「木村といいます。わたくし第1回の総会の時に林業試験場へ行ったのですが、それっきりで、会の行事には今日が初めての参加です」。
「わたしも白嶺会館での第1回の設立総会以来の会員です」。
 ここで、私の林業試験場での第1回の総会という思い込みは間違っていたことに気付く。
 続けて、「木村さんは、野々市にお住まいですね」。
「そうです」。
「わたしも野々市に居たことがあります。わたくしウツノミヤアキラの姉です」。
「エッ、十兵衛のお姉さん?」。
「そうなんです」。
 彼とは小中高と一緒で、彼の家にも寄ったことがある。十兵衛とは当時野々市山に住んでいた仙人の名で、何故かこの名が彼の通称名となり、皆は今でもアキラではなく、十兵衛とか十兵衛さんとか呼んでいる。
「わたくし、昨年の6月末で勤務を終え、漸くフリーになり、これからは会の行事にも参加したいと思っていますので、よろしくお願いします」。
「わたしも20年にわたって会の事務局を預かってきましたが、やっとフリーになれました」。
 エッ、この隣にいるオバハンは何者?。でもそれ以上の詮索はせず、楽しく会はお開きに。

 翌朝、朝食前に大江山の登山口ともなっている鬼岳稲荷神社へ、ここから南望して見られる雲海はNHKでも紹介されたという。帰って朝食後、元伊勢内宮皇大神社へ、長い石段を上がって本殿へ、脇には樹齢2千年と言われる「龍灯の杉」が、ほかにもスギ、スダジイ、シラカシ、クスノキ、エノキの大樹が、祢宜の方と観光協会の方から説明を受ける。その後更に奥にある天岩戸神社まで行く。最後には岩伝いになる。途中イノモトソウが沢山生えていた。帰りは神社へ戻らず、車道を駐車場へと戻った。この頃より雨になる。山にはヒメウツギの白い花が、また説明にもあったジャケツイバラの黄色い花にも出会った。
 昼食は由良川の水運で財を成したという旧平野家で、食事後係の方から説明を受ける。現在ある建物は明治42年の築造とか、中々凝った建物である。小雨降る中、バスで「才の神のフジ」を見に行く。ケヤキの大木に絡む樹齢2千年というフジ、圧巻だった。
 こうして記念すべき巨樹探訪会は終わった。腕に緑の腕章を巻かれた会長以下4名の方々には大変お世話になった。しかしそのうちの一人の三浦さんから後刻、今回の印象を書くようにと、言葉の端々には田中さんのお薦めとも。解散しての別れ際に、田中さんに、何故初めての私に無理難題をと言うと、実は私も書くのですと。腹をくくって挑戦するか。
 家へ帰って、「巨樹いしかわ」を引っくり返してみた。すると田中豊子さん執筆の文章の如何に多いことか。また十五周年記念誌には夫君の敏之氏(元林業試験場長、当時会理事・事務局、後に第3代会長)と共著で「植物紋様雑記」という長文を載せられているし、二十周年記念誌でも「石川の巨樹・巨木林」の調査に参加されている。ところで帰宅した翌日、田中豊子さんから「不思議を訪ねる ー 無用の用・用の用を楽しむ」という冊子が郵便で届いた。A4300頁に及ぶ大作、先の植物紋様雑記を更に集大成したもの、それにしても膨大な資料をよくぞ纏められたものだと感服した。早速御礼の電話を差し上げたが、これでは関取と褌担ぎではないか。読ませて頂いてから改めて御礼を申し述べることにする。
〔閑話休題〕
 創設者で初代会長の里見信生先生が金沢へおいでたのは新制の金沢大学が開学された時だろうと思う。私の叔父の木村久吉もそうで、里見先生は理学部植物学教室の正宗先生の元へ、叔父は薬学部生薬学教室の黒野先生の元への赴任だった。当時金沢大学は金沢城内にまとまる構想があり、薬学部では先陣を切って生薬学教室が城内の旧旅団司令部跡に引っ越した。この時点で理学部は旧四高跡にあり、同じ植物分類に関わることもあって、里見先生はよく城内にもおいでていた。私は当時中学生、先生とはよく叔父の教室でお会いした。植物標本の多寡がよく話題になっていて、何か良きライバルでもあったようだった。
 昭和35年に波田野基一先生が医学部微生物学教室の西田先生の元に赴任された。私は昭和38年に先生の元でウイルス学を研鑽すべく入局した。翌年先生は癌研究施設、後のがん研究所の教授になられ、私も移籍した。この頃、波田野先生と里見先生は旧制中学校で同期だったと聞いた。その当時里見先生は大学で落語研究会を立ち上げ、自らも山遊亭銭朝と称されていて、何かの折、先生の高座を聴かんと、波田野先生以下数人の先生方に拙宅へお集まり願ったことがある。また、里見先生は新制高校の記章を収集されていて、先生のお宅の蔵でその夥しい数の収蔵品を見せていただいたこともある。ずいぶん昔のことだ。

2013年5月16日木曜日

五月晴れの信州探蕎〔第2日〕

 午前5時少し前、風呂へ行く。東の空が茜色に染まり、やがて高峰高原の一角から朝日が昇る。こういう風呂に浸って朝日を拝むのは生まれて初めてのこと、これもご来光を拝むというのだろうか。塩田平は朝靄に包まれている。今日も快晴、菅平高原の方に雲はあるものの、空はすっきり晴れている。しばし至福の時を過ごす。
 浴衣を着て外へ出る。先ずは北向観音堂へ向かう。宿からは至近の距離にある。放射冷却で外は寒い。後で聞いたが、この日の朝の最低気温は4.5℃とかだった。ここの本尊は千手観音菩薩、長野の善光寺と一対の厄除観音として広く信仰を集めているという。既に数人の方がお参りに来ている。北向きのいわれは、ここは観音堂も観音様も北向きで、南を向く善光寺と向かい合うように建てられていることに由来するからという。本堂に並んで、崖の中腹に温泉薬師瑠璃殿が建っている。また境内の愛染堂近くには、川口松太郎縁の愛染カツラという樹齢1200年の桂の老樹があり、長野県の天然記念物・上田市指定文化財になっている。石段を下り、湯川に沿って上流へ、臨泉楼柏屋別荘に至る。ここは木造4階建ての宿、文人に愛された湯宿、以前に探蕎会で宿泊したことがある。外湯の「石湯」はもう朝から賑わっている。その前には池波正太郎揮毫の「真田幸村の隠し湯」の碑がある。宿の方へ少し戻ると慈覚大師縁の「大師湯」、ここでも中から笑い声が外へ届いて来る。共同湯にはもう一つ「葵の湯」とも言われる「大湯」があり、ここは木曾義仲縁の湯である。これらは信州最古の古湯とされる。
 宿へ戻ったのが7時過ぎ、朝食は8時半とか、テレビを見ながら時間を稼ぐ。今日の予定は、上田城址を訪れ、古い街並の柳町を歩き、池波正太郎が度々足を運んだという蕎麦屋の「刀屋」で「そば」を食べて帰るという段取りにする。時間になって食事処へ、空き腹に冷たいビールがしみわたる。凝った工夫が施された豪華な朝食、十分に堪能した。
 宿を出たのは10時20分、店の前で女将さんに集合写真を撮ってもらう。上田城址公園にナビをセットして出発する。ずっと下り道、千曲川を渡って左折して坂を上がると目的地、駐車場に車を停め、散策する。はじめこの城址公園に併設されている市立博物館や記念館や櫓に入る予定にしていたのだが、連休明けで残念ながら休館だった。公園の入口に真田十勇士の記念写真用のパネルが置かれている。私など半分位しか知らないが、懐かしい感じがした。二の丸跡の道を歩み、本丸堀の橋を渡ると、正面に平成6年に復元された本丸入口の東虎口櫓門があり、左右には既に移築復元された南櫓と北櫓が建っている。博物館が開いていれば中へ入れたのに残念だった。また城門右手の石垣には、真田石という城内一の大石がある。なおも進むと、正面に真田神社がある。参拝した後、本丸跡を散策する。ここには遠足の子供達も沢山訪れている。ここからは西の方に西櫓も望める。
 公園を出て柳町に向かう。柳町は旧北國街道の狭い通りで、駐車場はないのではと思い、近くの原町通りにある上田市ふれあい福祉センターに車を止めさせてもらって出かける。上田市内を鍵形に通じている北國街道は、今でも柳町にその面影を最もよく残していて、石畳で整備された街道には、三百年も続く岡崎酒造を筆頭に、格子戸を生かした茶房の森文やパン屋のルヴァン上田店、繭問屋を利用した蕎麦屋の手打百藝おお西、また北國街道を往き来するする人々に利用されたという保命水、白壁の味噌蔵がある菱屋などがある。タイムスリップした印象を受ける。これらの古い家の屋根には「うだつ」が上がっている。

● 「刀屋そば店」 上田市中央 2ー13ー23  TEL 0268ー22ー2948
 ナビで刀屋へ向かう。難なく見つかる。駐車は8台可とある。時に午後0時半、程よい腹のすき加減、ここは池波正太郎が度々足を運んだという店である。お昼時とあって、1階(30席)は一杯で2階(20席)へ通される。2階は座敷、相席となるので詰めて座ってほしいと言われる。お品書きを見て、季節限定の「おろしそば」(900円)と「ちらし」(700円)(天ぷらの盛り合わせのこと)を2つ、御酒(450円)を2本もらうことにする。姐さんが来たので注文すると、「おろしそば900円は食べられないのでは」とのこと。「残してもらっては困るので、中盛りにして足りなかったらもう一人前(小盛り)追加したらどうですか」と。指図された通りにする。因みに「もりそば」の小は550円、中は600円、並(普通)は650円、大は850円、「ざるそば」は刻み焼海苔がついて50円高、「おろしそば」は更に200円高くなる寸法で、私達が頼んだのは最終的には「おろしそば」の中盛りで850円ということ、中で二人前だという。ややあって、赤の角盆に赤い丸蒸籠に入った「ざるそば」と青首大根のおろしに花鰹と鶉の玉子が載った器、それに刻み葱と生山葵の入った小皿、そして蕎麦汁、そばは二八、太さは中、量はこれで二人前、姐さんの言うことを聞いて正解だった。並の普通盛は三人前とか、だと食べられなかったかも知れない。ここには「真田そば」というのが名物、信州味噌を出汁でのばし、隠し味にそば汁を加えてそばを食べるもので、この店のオリジナルとか、値段は「おろしそば」と同じである。暫く経った頃、若衆3人が相席となり、「もり」と「ざる」の大盛りを頼んだ。姐さんは注文を聞きにきて念を押したが、若衆はそれでよいと言う。しかし持ってきた「大盛り」なる代物は、驚く勿れ、正にうず高いてんこ盛り、正に初見、かき氷やもっそう飯を連想、とにかくびっくりした。しかし彼らはそれを全て平らげてしまった。これには二度仰天した。本当に驚いた。こちらはやっと収めたのにである。約1時間程いて出た。漸く店も空いてきたのか、先の姐さんが私達の集合写真を撮ってくれた。
〔営業時間:午前11時〜午後6時、LO5時30分.定休日:毎週日曜日〕

 午後1時半過ぎに店を出て帰途につく。上田菅平ICから高速道へ、途中小布施辺りで、千曲川の土手に植えられた満開の八重の桜並木が印象的だった。新井PAで休憩し買い物、流杉PAでは休憩し雪の立山連峰を眺める。ここは立山・剣岳のビュースポット、北は僧ヶ岳から南は薬師岳まで見渡せる。午後の陽を受けて輝いていた。こうして午後6時には出発した「和泉」へ戻り、無事信州探蕎を終えた。2日間運転をして頂いた松川さんに深謝します。全走行キロ数は670kmであった。

2013年5月12日日曜日

五月晴れの信州探蕎〔第1日〕

 5月の探蕎は信州へというのは総会時には決まっていたものの、出かける日も場所も未定であった。いつもなら副会長で信濃通の久保さんがセットして下さるのだが、今回は会長も参加できないとかで、そのお鉢が私と松川さんに回ってきた。それでこの信州探蕎に最終的に参加することになったのは、ほかに松田さんと和泉さんご夫妻の3人の計5人、それで松川さんの車に5人乗って出かけることにする。車選択の一因はカーナビ装着で、不案内な土地へ出かけるには必須と考えたからである。それで相談の結果、出発日は5月7日(火)、また折角信州まで出かけるのだから1泊しましょうということで、宿は以前探蕎会で宿泊したことのある別所温泉の「七草の湯」、立ち寄る蕎麦屋は、初日は「つる忠」、二日目は宿から推薦のあった「美田村」とした。
 5月7日の朝7時40分に、例のごとく白山市番匠の「和泉」を出発する。白山ICから北陸自動車道へ、途中有磯海PAと上信越自動車道の妙高PAで休憩する。妙高PAで立ち寄る予定の「つる忠」に電話したところ、本来は日曜と月曜が定休日なのだが、連休で営業したので、8日(火)9日(水)はお休みとか、それではと別所温泉の「美田村」へ行くことにして電話すると、営業してますとのこと、石川県の5人で予約し、場所をナビに入力して出発する。ナビに従って高速道を坂城ICで下り、一般道を別所温泉へ、途中ナビで永久廃道に案内されたりしたが、隣の立派なバイパスへ移って先へ進む。上田電鉄の踏切を渡ると、そこはもう別所温泉、目指す蕎麦屋はもう近い。ところで、とある小さな交差点でナビに従い曲がらねばならないのに、ついうっかり行き過ぎてしまったが、ナビではバックはご法度のようで、先へ進んで道をぐるりと回って漸く件の交差点へ、そして目的の店へ着くことができた。駐車場では車を前向きに停めるようにと注意書きがあり、思うにそれは排気ガスが植木にかからないようにとの配慮のようだ。18台駐車できるとある。

● 石臼挽き手打蕎麦「美田村」 上田市別所温泉 1859-12 TEL 0268-38-2739
 外見はこじんまりとした店、植木を縫って店に入る。主人の三田村さんが石臼で蕎麦を挽いているのが見える。奥の一画のテーブルに席が予約されていた。店内は飾り物が多く満艦飾の感、大きな御幣までも鎮座している。そばは店の方の推奨もあって、親父手挽きで十割の「田舎おしぼりそば」(1500円)をお願いする。蕎麦前は常温の「飛鳥」という地酒(600円)、一品に「山菜天ぷら盛り合わせ」(800円)を2つ注文する。そばは1人前200gとかである。山菜は、うど、たらのめ、こしあぶら、せり、ふきのとう、こごみ とのことで、一盛りで出てきた。お酒の妻には、野沢菜と独活の味噌漬けがついた。「田舎そば」は角盆に丸い蒸籠に盛られて、ほかに白い小皿2枚に塩と信州味噌、そして白の器に辛味大根のしぼり汁、初めはそれぞれでそばを味わって下さいと。そばは中細、香りはともかく、そばの味は存分に味わえた。やや置いてからそば汁が出され、後で味噌を出汁に溶いて下さいと。そば汁は大変美味しく旨く、得がたい味だった。「かえし」には特に吟味してるという。食べなかったが、蕎麦がきも旨そうだった。そばはこのほかに外二のそば(手挽きでない)があり、冷たいのも、温かいのもあるとか。手打ちの冷たいうどんもあるという。帰り際に、これはサービスですと言って、綺麗な桜色をしたプリンを出してくれた。程よい甘味だった。
〔営業時間 午前11時〜午後3時、定休日 毎週木曜日〕

 美田村を出て裏に回ると、山田池が眼下に広がっている。塩田平のため池群では2番目に大きい池とか、遠景は高峰高原と浅間山、長閑な風景である。ここから初めてという方もいて、空海上人開基の古刹「前山寺」へ行くことに。私はこれで三度目、今回は下の駐車場から参道を歩く。入り口に欅の巨樹、山門には「真言宗独鈷山法蔵院前山寺」とある。200mもあるという参道には松や桜や欅の大木が植わっている。石段を本堂へと上がると、更に一段高い処に重要文化財の「未完の完成塔」と呼ばれ親しまれている三重塔がある。庫裏へ上がり、よく手入れされた庭を愛でながら、私以外はここの住職夫人手作りの「胡桃おはぎ」を賞味する。庭には沢山のショウジョウバカマが植わっていた。
 辞して今宵の宿の別所温泉「信州の奥座敷 七草の湯」へ向かう。到着は3時20分。玄関も館内も畳敷きでバリアフリー、3階の2室(花ざかり、花ごよみ)へ案内される。お茶請けに袋入りの地元の和菓子5種とお酒の友の味噌漬け(舞茸、野沢菜、山独活、山海月など)が、一寸多過ぎる感がある。暫く歓談した後、最上階の6階にある浴場へ、ここの湯の泉質は単純硫黄泉、源泉の温度は52℃とある。内湯からも露天風呂からも、塩田平と千曲川向こうに広がる上田の町並み、そして背後の菅平高原、高峰高原、浅間山を望見できる。湯上がりに部屋で「飲み比べビール」を、先ずはヒューガルテン・ホワイトというベルギーの小麦から醸造したというビール、何という上品な、色も白くビールとは思えない代物だった。次いでアサヒスーパードライ、これこそビール、この順序が逆だったら大変だった。午後6時半からの食事はテーブル席、夕食の膳は「皐月のお料理」、食前酒で乾杯し、料理を頂く。お酒は熱燗と岩魚の骨酒、十分に堪能した。部屋へ戻ると、眼下に別所温泉から上田の市街へ続く光の帯、夜景を飽かず眺める。

「皐月のお料理」のお品書き:「食前酒〕洋梨ワイン.「先付」二色胡麻寄せ(百合根 山葵 美味出汁).「前菜」若鶏新丈 烏賊小袖 三色百合根団子 りんご砧巻き 浅利の辛子酢味噌和え.「御椀」若竹豆腐 白玉 小蕪 春小椎茸 木の芽.「御造り」鮪 甘海老 鯛 湯葉 妻色々 山葵.「鉢肴」鰆の照り焼き 生麩田楽 海老.「煮物」菜の花道明寺(独活 筍 梅花人参 梅花里芋 青味 銀餡).「強肴」信州黒牛の陶板焼き.「揚物」白魚黄味揚げ 南瓜湯葉巻き こごみ 香り塩 レモン.「御飯」筍の炊き込み御飯.「止椀」信州味噌仕立て(わらび 豆腐 油揚げ).「香物」季節の漬物.「水菓子」果物とシャーベット. 七草の湯(旧菊乃屋)料理長 松本洵承。

2013年5月2日木曜日

四度目の満山荘〔次日:豪商の館と善光寺〕

 4月29日(月・祝)、朝4時半に目覚め、交替になった檜風呂へ行く。まだ誰もいない。露天風呂は程よい温かさ加減で、どれだけ浸かっていても逆上せることはない。今朝もこの時間は快晴、山並みがきれいだ。今日の日の出は5時少し前、日の出で山並みが紅く染まるのを見るため、一旦部屋へ戻る。5時頃北アルプスの山並みの北の方の白馬辺りからほんのり紅くなり、それが次第に南の方へ移動して行く。真っ白な山並みがほんのり薄紅色に染まっていくのは何とも風情がある。その山々の様子をカメラに収める。この北から染まるというのは、北の方(白馬岳)が朝日に近くて、南の方(奥穂高岳)が遠いことに起因しているのだろうか。中天には十八夜の月、この時東から西へ飛行機雲が、天気は下り坂のようだ。6時近くもう一度露天風呂へ。イワツバメが繁く舞っている。見ると露天風呂の上に集団営巣していて、雛の声が実にかしましい。糞が落ちないように、大きな受け板が置かれている。しょっちゅう出入りしている。
 朝食は8時からバイキング方式。この前は2組のみだったのでセット、分量が多くて平らげるのに四苦八苦したが、今朝は程よい分量で済ませられた。魚も肉も野菜も果物も牛乳もジュースも素材の質がよく、満足できた。その後部屋で寛ぎ、今日は須坂へ下りて豪商の館の田中本家へ寄り、それから善光寺近くの蕎麦屋で昼食、その後善光寺へお参りすることにする。
 満山荘を出て山道を下り、松川渓谷へ。天気は薄曇り、昨日寄った雷滝を過ぎ、その下流にある八滝を見ようと駐車し、展望台へ上がる。対岸の山にかなりの落差で落ちる八滝が望める。次いでナビを入れ、須坂市穀町にある田中本家博物館へ向かう。道路を挟んだ駐車場に車を停め、中へ入る。
 この屋敷の敷地はは約100m四方、それを20もの土蔵が城壁のように敷地を取り囲み、さながら要塞のような構えである。屋敷内には、春、夏、秋という三庭園を囲んで、客殿や主屋などの建物が軒を連ねていて、現在は全体が博物館として保存されている。順路に従って回る。展示館ではこの時期「田中本家のおしゃれ・西洋のおしゃれ」というテーマで、歴代の女性の着物と西洋のドレスが展示されている。ほかにも田中家で代々使用されてきた品々(衣装、漆器、陶磁器、玩具、文書等々)が常設展示されている。折しもここでは名物の枝垂れ桜が満開だった。路地を抜け、秋の庭(大庭)へ出る。路地では丁度桜色の着物を着た女性がモデルで撮影をしていた。大庭は池泉廻遊式庭園となっていて、丁度桜と一輪草が花盛りだった。夏の庭(中庭)へと廻る。ここには沙羅(夏椿)の大木が植わっており、池にはカルガモの番いが泳いでいた。この庭に面した明るい展示室では、この博物館開館20周年を記念しての能面展が開かれていた。そして入口に連なる春の庭(表庭)へ、主に松が植わる庭で、手入れがよく行き届いていた。
 田中本家を出て長野市へ向かう。ナビを善光寺近くの大門町の元屋という蕎麦屋にセットする。国道406号線を通って長野市大門に至る。うっかり小さな交差点を通り過ぎてしまい、かなり大回りして目的の場所へ、運良く車1台分のスペースが空いていて停める。店へ行くと大勢の客が待っている。暫くして分かったことは、どうも満員で中へ入れないらしいこと、とっさに思い出したのは信濃町の若月のこと、長時間寒い中待たされた挙げ句に不味いそば、その二の舞になるのではと心配になる。30分近く待ったろうか、やっと中へ、店はごった返している。二階へ案内される。4人座れる座机が6脚、一階と会わせて50人近く入れそうだ。家内らは「もり」を、私は「おろし」を頼む。これだけ混んでいると、注文してから出てくるまで随分時間がかかる。漸くという感じでそばが、でもこの二八はまあまあだったのが救いだった。善光寺門前には沢山の蕎麦屋があるが、この元屋のように混雑していそうな店は見当たらなかった。
 車を有料駐車場に移し、善光寺へ。表参道から石畳の参道を通り仁王門に至る。左手には浄土宗の大本山の大本願、さらに仲見世通りを通って山門(三門)へ、左手には天台宗の本坊の大勧進、山門には「善光寺」の額が掲げられている。本堂前の大香炉に線香を焼べる。本堂に上がり、入口の賽銭箱に賽銭を入れようとしたら、ここは神社ではないので、中の仏様の前の賽銭箱に入れて下さいと、外のは中へ入れない時のためだと、知らなかった。お参りし、内陣へは上がらずに、御朱印を頂いた後、大本願に隣接する善光寺外苑の「西之門」へ向かう。ここは吟醸酒西之門と善光寺味噌の醸造元、その蔵元直売店の「よしのや」で吟醸酒を求める。千円以上の買い物で有料駐車場の無料券が貰えるのもお目当てだ。
 これで今度の旅行も大団円、午前に辿った道を逆に須坂へ戻り、須坂長野東ICから高速道へ、一旦有磯海SAで休憩し、森本ICで高速道を下り、この旅を終えた。走行キロ数は570kmだった。

四度目の満山荘〔初日:狸に出くわす〕

 かねてから家内の友人に一度はと熱望されていた満山荘への訪問の日がやってきた。本来なら予約は3ヵ月前からなのだが、1月初めに問い合わせたところ、予想だにしていなかった OK の返事がもらえた。彼女は勤務の関係で連休でないと出かけられず、年間で連休のとれる日は限られている。でも予約できてよかった。というのも着いた日に訊いたところ、4月、5月の連休や土日は10室すべて満室とのこと、僥倖であった。
 4月28日(日)、午前7時に家を出る。途中で彼女と合流し、森本ICから北陸高速道へ、有磯海SAで朝食をとり、妙高PAで暫し休憩し、上信越道の信州中野ICで下りる。今日の昼食は前回行けなかった小布施町の「おぶせ」でそばを食することにしていた。
「手打百藝おぶせ」は上田市の大西氏考案の「おお西流十割蕎麦」を食べさせる店で、発芽そばが売りである。ナビで付近まで行ったが店の場所が分からず、詰めは近所の人に教えてもらった。先客が一組いた。取りあえず「発芽そば」が看板ということもあり、私と家内は「発芽そば切り」「季節そば(木の芽入り更科そば)」「田舎挽きぐるみ」の三つが盛り合わせとなっている「三種そば」(1400円)、それに「えび天」(1000円)と「山菜天ぷら」(700円)を貰う。天ぷらが先に、私は車運転ということもあって、蕎麦前はなしで、ただむしゃむしゃと天ぷらを食べることに。ややあってから三種盛りが赤い長方形の蒸籠に盛られて出てきた。そばは十割の細打ち。先ずは挽きぐるみ、可もなく不可もない出来、次いで季節、そばは淡い緑色、でも木の芽というが香りはしない。ただ更科特有の口当たり。ところで売りの発芽だが、味と香りは良しとして、そばの切りがとても雑で、切れ端があったり、きしめん幅のがあったりで、これはひどい。家内はもうお断りと言っていた。
 車をおぶせミュージアムの無料駐車場に移して、町を散策することに。家内の連れはガラスギャラリーへ、その後恒例のごとく栗菓子を小布施堂で求める。私は造り酒屋の松葉屋本店で「北信流」の純米吟醸を、そしてもう一軒の桝一酒造場で 「□一純米」の徳利を求めた。その後桝一酒造の屋敷内の小径を抜け、さらに「栗の小径」などの路地道を辿った。これまで小布施には何回か来ているが、こんな小径は通ったことがなく、初めてだった。こんな裏道の散策は素晴らしく、これこそ小布施のもう一つの顔だと思った。収穫だった。
 やがて1時近く、小布施町を通っている国道403号線から県道66号線に入り、松川沿いに高山村の山田温泉に向かう。山道になると、あちこちにエドヒガンと思われる桜が丁度見頃、また枝垂れ桜が満開との表示もある。山田温泉を過ぎて松川渓谷も深くなると、八滝に次いで雷滝の表示、駐車場に車を停め、雷滝へ。階段を下って行くと、滝がゴーゴーと流れ落ちていて、小径は滝の裏側を通って更に下って対岸へ。まことに豪壮、水量も多く、初めての彼女らは感動していた。戻って五色温泉からは九十九折りの山道、300mばかり高度をかせぐと、奥山田温泉に着く。今日は天気が良く、西に北アルプスの山々をパノラマで眺められる。
 チェックインして部屋で寛ぐ。部屋は観山館の燕(ツバクロ)という3人部屋、ベッド2つに畳の和室、西側に階段があり、数段上がると床暖房の板張りの部屋があり、ソファとテーブルが置かれ、西側の全面ガラス戸からは北アルプスが、南は奥穂高岳から北は小蓮華岳までの山々がくっきりと見えている。戸を開ければ簀の子のテラス、この前に来た時は少なかったが、今日は沢山のイワツバメが飛び交っているのが見える。陽はまだ高い。先ずはこの時間男湯の展望岩風呂へ。イワツバメを見ていると、岩風呂の天井と新館の天望館の軒下に集団営巣しているようだ。こんなに多くのイワツバメを見たのは初めてだった。風呂から上がって、山々とイワツバメを眺めながら。神の河を飲む。午後6時近く、陽は傾き、夕日が山の端にかかる。北アルプスは小蓮華岳まで、夕日はその右に見えている戸隠連峰へ真っ赤になって沈む。荘厳な一瞬、落日後も空には赤の余韻が残っている。
 午後6時半になって「風土」へ食事に行く。テーブルにはこの前の時と同じく創作料理の「北信濃風春の献立」が、色彩感覚が実に素晴らしい。事前に若旦那から料理の説明がある。食前酒で乾杯する。飲み物は地ビールと地酒、料理は全部で11種、揚げたての山菜五種の天ぷらは新鮮だった。食事をしていると、外のテラスに狸の番いが、窓は開けないで下さいと館主、噛まれた人がいるとか、現れたのはそんなに前のことではないとのことだが、今は毎晩夕食頃に現れて、皆さんの食事が済むのを待っているとか、まるまると肥えていて毛並みも良く、実に愛くるしい。互いに毛繕いもしている。客の食事が終わった後、食事を与えるようで、食べた後は何処かへ去るとか。この前来た時は1ヵ月前、雪もあったから、まだ冬眠していたのだろうか。とにかく4度目の訪問で初めrて出くわしたハプニングだった。