2012年9月22日土曜日

高岡の蕎麦と豆腐と前田家縁の寺(その2)

● 「坊ちゃんとうふ」  高岡市下島町 287-6   電話;0766-24-0031
 そば「蕎文」の向かいというよりは、そば「蕎文」が「坊ちゃんとうふ」の向かいにあるとした方が分かりやすい。駐車場の広さにも驚いたが、店へ入ってケースに並べられていた0円の「おから」が真っ白なのにびっくりした。大概は少し大豆色というか若干黄ばがかっているものだが、晒されたように白かった。これはただものではない。
 店は大正13年(1924)の創業、江戸時代から伝わる製法で木綿豆腐を作り続けてきたという。「坊ちゃんとうふ」の名称が創業当時から使われてきたとすると、当時としてはかなりハイカラな名だ。この一帯は佐野地区というらしいが、ここには豆腐製造に必須の美味しい地下水に恵まれ、その水は店の前の岩間の樋からも流れ出ていた。実に冷たく美味しい。そして「おから」の白さのもう一つの秘密は、契約栽培されている地元産のオオツル大豆にあるという。そして店で頂いた豆乳は、滋養に満ちたほのかな甘味があって、これまでこれほど濃い味に出会ったことがない素晴らしいものだった。湯葉も「摘み湯葉」「絹巻湯葉」「平湯葉」とあり、中でも「摘み湯葉」は、この店独特の特許製法による刺し身用の生湯葉だとか。豆腐屋での豆腐は当然のことながら、湯葉を出している店は多くない。
 私は「坊ちゃんとうふ」「絹ごしとうふ」「寄せとうふ」2種、「あぶらあげ」「あつあげ」「ゆばどうふ」「絹巻湯葉」「豆乳」を頂いた。これで3日分のおいしい酒の友が手に入った。

● 「曹洞宗・高岡山瑞龍寺」  高岡市関本町 35  電話:0766-22-0176
 私が富山で行ったことがあるお寺さんと言えば、旧城端町の善徳寺(城端別院)と旧井波町の瑞泉寺のみで、この寺もほぼ同規模だろうとたかをくくっていた。ところで知識のなさとは恐ろしいもので、高岡で前田さん縁の祭があることは知ってはいたものの、前田さんとは加賀藩二代藩主だった利長公だとは目から鱗だった。拝観料五百円は安くはないが、手入れが行き届いた白砂と芝生、そして壮大な伽藍と回廊を目にしたとき、万感迫るものがあった。我の浅学菲才を嘆じた次第だ。少しおさらいをしよう。
〔不思議な位置関係〕:加賀藩二代藩主前田利長(1562-1614)は、慶長10年(1605)に44歳の若さで家督を異母弟の利常(1594-1658)に譲り、自らは隠居した。利長には実子がなかったこともあって、まだ初々しい利常を養嗣子にした。隠居後の利長は金沢から富山へ移るが、富山城が焼けた後、二上山の守山城に移り、その後関野という地に新しい城を築き、街作りを進め、この地を「高岡」と命名した。そしてこの地で他界した。これより先、利長は織田信長・信忠親子の追善菩提のため、文禄3年(1594)金沢に宝円寺を創建した。この寺はその後法円寺と改称され、利長他界の前年の慶長18年(1613)に高岡の地に移された。他界後、三代藩主利常はこの寺を利長の菩提寺とし、法名の「瑞龍院殿聖山英賢大居士」に因んで、寺名を瑞龍院とした。そして三十三回忌までには墓所もできた。一方でこの頃から瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手し、五十回忌には七堂伽藍を配する「高岡山瑞龍寺」が完成した。当時の寺域は3万6千坪ばかり、周囲には壕を巡らし、さながら城郭を偲ばせる感があったという。ところでこの寺の位置は守山城の真南にあり、その延長線上には、利家・利長親子の出身地である荒子郷(名古屋市)がある。また守山城と高岡城の延長線上には徳川家康の居城だった岡崎城があるという。そして墓所は守山城と高岡城の延長線と瑞龍寺が直角に交わる位置に建てられ、この間は八丁道で結ばれている。墓碑は豪壮な戸室石の基盤も含めて高さ12米もあり、説明によると、日本の武将の墓では最大とのことである。
〔伽 藍〕:建築工事は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広(代々善右衛門を名乗る)が棟梁となって造られた。総門、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、その延長線上には八丁道と墓所がある。そして山門と法堂は方形の回廊で巡らされ、諸堂が対照的に配置されている。この伽藍配置は、中国の径山万寿寺に倣ったものといわれる。善右衛門はこのほかに、能登の妙成寺、加賀の那谷寺、越中の大岩日石寺、能登一宮の気多大社なども手掛けている。 総門:重要文化財。正保年間に竣工。 山門:国宝。正保2年(1645)に竣工。その後焼失し、現存の門は文政3年(1820)に竣工。二重門。 仏殿:国宝。万治2年(1659)の建立。総欅造りの入母屋造。屋根は鉛瓦葺きで、この例は金沢城石川門に見られるのみ。 法堂:国宝。明暦元年(1655)の建立。総檜造りの入母屋造。銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷き。利長の位牌安置。 禅堂:重要文化財。延享3年(1746)に焼失したが直後に再建。 大庫裏:重要文化財。北回廊の一部。禅道と相対する位置にある。 大茶堂:重要文化財。土蔵造りの防火建築物。 回廊:重要文化財。 この他、北回廊に鐘楼があり、南西回廊の奥に、前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟がある。石廟は富山県指定史跡である。また創建当時は「七間浄頭(東司=便所)と浴室が左右にあり、七堂伽藍が揃っていた。

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