1.引っ越し
3月1日付けで、6月末日をもって退職する旨の願いを提出した。本来ならば年度末の3月末日での退職なのだが、丁度年度初めに実施される学童等健診の蟯虫卵検査の体制がまだ整っていないこともあって、その応援に3ヵ月を要することからの変則的な退職願の提出となった。鏡検枚数は春の方が秋より多く、小学校、幼稚園、保育園(所)の児童、園児を中心に、私が鏡検する枚数はざっと10万枚で、鏡検が集中するのは4月半ばから6月半ばにかけてである。
6月下旬になって鏡検も一段落し、引越しの準備にかかった。大部分は学術参考図書と学術雑誌と参考資料である。本の類いは重たいので、家でも整理に使っている、B5判が横に2列に入る外寸法が「39×28×22cm」のNo.3というダンボール箱を使った。ところで近年はA4判の雑誌や書籍も多くなり、これだと上記寸法が内寸法だと問題はないのだが、外寸法なので他の書籍との混載となった。こうして退職前日の29日までには36個のダンボール箱に荷物は納まった。残りはワープロと倒立顕微鏡で、これは業者の方にお願いすることにした。
委託する業者は家内に任せておいたが、取扱いが丁寧との評判でサカイに頼んだようだが、生憎30日の土曜は空きがなく、アート引越センターへの委託となった。費用の見積もりは31,500円とか、もっとかかるかと思ったが意外だった。箱には本がぎっしり入っていて重たいですと話すと、当日は屈強の者を寄越すのでご心配なくとのこと、お任せした。
ところで当日、現れたのは若い美女3人、男とばかり思い込んでいたので大丈夫かなと心配した。車は協会の計らいで裏口に引越トラックをつけることができ、スムースに積み込みができた。ところで驚いたことに、彼女らは本の入った重たい箱を2個ずつ抱えて運ぶではないか、とても私にはできない相談だ。トータル38個の荷物はまたたく間に車に積み込まれてしまった。この程度の引越しなど朝飯前という印象だった。その後私が先導して、通い慣れた通勤路を家へ、シンダチという旧館のおえの間に運び込んでもらう。当初の予定では引越しは10時から11時、ぴったり1時間で引越しは終了した。
2。送別会
辞める3日前から協会の幹部の方達へ退職の挨拶に回った。県の場合だと、退職前日に退職辞令が出るので、それを持って関係先へ回るのが通例であるが、協会ではそのような例はないようで、時間を見計らって回ったものの、特に外勤の方にはお目にかかれず終いになった方もあった。
6月30日の送別会の会場は近江町会館2階の「市の蔵」という大衆割烹、時間は7時半からとのこと、7時に着くように出かけた。この日はどういう方が出席されるのかは全く知らされてなく、挨拶回りで会に出席しますと言われて、有難うございますとお礼を言ったものの、当然会えなかった人の消息は分からない。30分前だとまだ数人しか来ていないようだったが、予防医学協会の方だったらどうぞと言われて中へ入る。入って初めて今日の出席者が私も含めて46名だということが分かった。理事長以下役員の方々、医局の先生方、各部門のマネージャー、サブマネージャー、リーダーの諸氏、そして私が所属する臨床検査部の方達、部屋は計ったように丁度一杯だった。
会は定時に始まった。冒頭、臨床検査部部門長の小松原MGから、私が溶血を指標とした腸管出血性/ベロ毒素産生性大腸菌の検出に関して、2000年1月の予防医学技術研究集会での研究発表に対して、予防医学事業中央会学術賞(児玉賞)が授与されたこと、また同年3月に日本臨床微生物学雑誌に登載された論文に対して、日本臨床微生物学会学術奨励賞が授与されたことが紹介された。あの頃は日本感染症学雑誌や国立感染症研究所のジャーナルにもよく投稿したものだ。次いで理事長からも過分なお褒めの言葉を頂戴した。
さて宴会が始まり、当初は出席した皆さん方にお酌をして回ろうと目論んでいたのだが、初めは個人がオーダーする仕組みのせいもあって回れず終い、その後ビールが大きなピッチャーに入ってきたが、これも持って回るには大きすぎて敬遠、したがって私と同じテーブルの人達にしか注ぐことは出来なかった。松崎理事長、中村先生、小山先生、田畑先生、鰺坂先生、金地事務局長、佐々木さん、前野さん、竹中さんなどである。宴もたけなわとなって、お酒の小さな徳利が出回るようになって、私も少々酩酊してきた。たまたま私の真ん前に座っていた佐々木さんが中座されると、別のテーブルの方が酌に来られ、場所は彼らに占拠され、彼女は席へ戻れなくなってしまった。こんな事態になることは想定していなくて、これは痛恨の極み、しかも注ぎに来られて受けないのは本意でないことから、つい過ごしてしまった。相手変われど主変わらずの集中砲火、カミさんには口酸っぱく言われていて、気を付けなければと思いつつも、ついつい過ごしてしまった。後は記憶が定かでなく、タクシーでの帰宅時でも、旧北國街道の東野々市バス停の真ん前に自宅があるのだが、ルートが違っていて、しかも辺りが暗いのと酩酊とで、自力帰宅は困難、この期に及んでまたもカミさんの手を煩わせてしまった。皆さんにちゃんと挨拶できたのかとカミさんに問われても返事できない始末、お目玉をくっても仕方がない。
翌朝、金地事務局長には早速お詫びの電話をしたが、かえって労いの言葉をかけて貰い恐縮した。彼と私とは協会へ入ったのが同期である。もっとも彼は大学出でフレッシュそのもの、旭日の勢いだったのに対し、私は県を辞しての再就職とあって、落日の様相、上りと下りの違いはあった。ところで、送別会で他のテーブルには何方がおいでたかも分からず、月曜に幹事をしてくれた小川リーダーから出席者のリストをFAXで頂き、後日、御礼の気持ちをしたためた下記の文章を皆さんにお送りした。
3.御礼文(縦書き・墨書)
私こと(下段記載) この度 平成二十四年六月末日をもちまして 十六年三ヶ月に及ぶ (財)石川県予防医学協会の職を辞することになりました 最終日にあたります 六月三十日には 私のために心のこもった送別会を開いていただき 厚く御礼申し上げます 本来ならば 皆様方お一人ずつに御礼を申し述べねばなりませぬところ それがかなわず失礼してしまいました 今後も健診等でお世話になると思いますが 何卒宜しくお願いいたします これからも 協会が益々ご繁栄されご発展されんことを また皆様のご健勝とご多幸を 心からお祈りしております
平成二十四年七月吉日
4.出席者リスト
頂いた座席表の番号と出席者名を記す。
・第1テーブル(1〜14)14名
1小松原 2浦島 3松崎理事長 4前野 5木村顧問 6田畑先生 7竹中 8百崎 9中村先生
10伊川 11小山先生 12佐々木 13鰺坂先生 14金地事務局長
・第2テーブル(15〜30)16名
15岡本 16西田 17南MG 18中西先生 19表本部長 20魚谷先生 21宮崎SMG 22坂野SMG 23松田 24谷井 25竹口 26三野 27廣川部長 28松原 29伊藤MG 30村本
・第3テーブル(31〜46)16名
31松崎幹事 32山川 33渡辺 34坂下 35坂蓋 36福田SMG 37高安 38東
39小川 40白江 41米田 42清水 43中山 44貝崎 45松永SMG 46金地
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