2012年7月27日金曜日

私の毎日の処し方 (1)平成24年6月まで

平成16年4月から平成24年6月までの8年3ヵ月の間、私は (財)石川県予防医学協会の (臨床)検査部顧問として勤務していた。この間、朝は7時頃には協会に着き、大概午後6時頃まで協会にいた。正規の勤務時間は午前8時30分から午後5時10分までである。もっとも部長から顧問になってからは、学童健診の蟯虫検査がある時以外は、特に課せられた義務的な実務はなく、蟯虫の鏡検以外は、言ってみれば気ままな私的なことをこなしていたに過ぎず、随分と優雅な勤務だったと言える。依頼された調査にしたって、ブログの記載にしたって、すべて協会の勤務時間中にこなしてきた。
 ここ1年のこれまでの1日を振り返ってみると、家にいるのは朝6時50分頃まで、帰宅は夕方の6時10分頃、行事があれば別だが、何もなければ、家に居るのは1日の半分強のみということになる。家に帰ってからは、その日の朝刊と夕刊を見て、家内は6時半から7時頃には帰って来るから、後はもう「飲み」だけという毎日だった。テレビを見ながら、駄弁りながら飲む。それで翌朝は午前3時起床なので、午後9時になると就寝と決めていた。家内は私の就寝以降は我が世の春、テレビは彼女の独占で、サスペンスものがあればそれに浸りっきり、私はキッタ・ハッタというのは性に会わないのに対し、彼女は最も得てとする分野なので、時として熱中すると翌日になることも。私が途中で起きて、彼女が眠っていると思いテレビを消すと、見ているという。正確には聴いているというべきか。とにかく彼女の場合、午後11時前の就寝というのは考えられない。夜人間と言うべきか。
 さて、午後9時就寝の私は6時間後の午前3時頃に目を覚ますことになる。これは1年を通じて、春夏秋冬変わらない。この時間に起きてからすることは、昨晩の食事の後片付け、大概は洗ってあるが、それを片づける。これに約10分位、洗いも入ると20分はかかる。それから、リビングには私の両親と私達の三男の遺影、別部屋には家内の両親の遺影が置いてあるので、新しい水を汲んで供え、私達一同のご加護とご教導をお願いし、十念を唱える。これに10分位要しようか。次いで神棚の宝珠に新鮮な水を汲み供え、5日に一度は榊の水を取り替える。神棚の神々に家内安全のお参りをし、なかんずく昨年からは大白山大明神大権現妙理大菩薩には白山全登山路踏破成就の願掛けをする。その後朝の体操をし、鰐のポーズのヨガをする。これにざっと15分を要する。
 次いで仏壇の華瓶(けびょう)の柾の水を新しいのに替え、新しくご飯を炊いたときは、仏飯器におぼくさんを供える。次いで平日ならば、仏壇の阿弥陀如来立像と両脇の半金色の善導大師と墨染めの法然上人、私の祖父母の量光院と壽光院、父母の真如院と清光院、私達の三男の西往院に一家の庇護を念じてお参りし、摩訶般若波羅蜜大明咒経を読経する。また同じお経を観世音菩薩にも読経して供える.これに10分強を要する。また木村家の過去帳には十一仏が載っているが、そのそれぞれの命日には浄土三部経の仏説無量寿経四誓偈、仏説観無量寿経第九真身観文、仏説阿弥陀経を読経して供養する。これには約25分かかる。すると、起きてからここまで約70分程度かかり、4時10分がここまでの目安となる。
 この時間、秋の彼岸から春の彼岸までは、まだ暗いので、歩きには光に照らされると発光する襷をかけての出発となる。今はコースは決まっていて、街灯がある道を選んでのコース取りである。このコースの詳細は以前にこのブログで記したが、大まかには県道の窪ー野々市線を窪二丁目の山側環状道路の交差点で折り返すコースで、距離にして約6km、時間にして約1時間である。夏場はこの時間帯には日の出は過ぎていて明るい。このウォーキングには、片足600gの底が丸いMBTというウォーキングシューズを履いて歩く。この靴は底が丸くて、じっと動かないで立つのは難しいという代物、Mはマサイ族、Bは裸足を、Tは覚えていないがトレーニングだろうか。好日山荘で勧められた代物である。歩くときはポールかステッキがあった方が安定する。400万歩歩くと摩耗するとかだった。このコースを歩いてくると1時間強かかるので、帰宅すると5時15分位、それから風呂で汗を流し、上がって前日の新聞をもう一度見て、切り抜きが必要な記事や写真を切り取ってスクラップする。すると6時近くになる。6時過ぎには食事をする。朝食の用意と弁当は家内がやってくれる。ニュースを見ながらの食事、その日1日の薬の配分もこの時行なう。後片付けを終えると6時半過ぎになる。それから出かける用意をして、6時50分頃には家を出る。
 ざっとこれが私の勤務していたときの、勤務日のタイムスケジュールである。

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