2012年7月30日月曜日

子供たちによる私の退職慰労の会

私達の長男夫婦は現在横浜市に住んでいるが、正月と旧盆にはいわゆる里帰りで野々市と押水の実家に帰って来る。ところで今年の正月には帰ってきたが、旧盆には仕事の都合で帰られないと話していた。ところが都合がついて、7月の28日に来て、30日に帰るという伝言が家内からあった。ただ長男の娘たち二人は、それぞれ大学と高校の受験対応で来られなくて、本人のみの里帰りとのことだった。その後野々市に帰るのは27日と1日繰り上がったとのこと、私にとっては特段どうということはなく、聞き流していた。その後その理由というのが、私の退職慰労の会をするのを、次男夫婦が企画していて、それに参加するために長男が出て来ると聞いた。私としては全く念頭になかったこと、でも大変嬉しく、喜んで受けることにした。
 しかし何時、何処でするのか、誰が出席するのか、そんなことは一切知らされてなく、ミステリーだった。その後開催日は7月29日の日曜日ということ、長男の娘たち2人と母親は来られないけれど、二男夫婦と息子と娘、故三男の細君と二人の息子も一緒だと聞いた。ただ場所と時間は知らされず、その後、家まで送迎のバスが当日の午後6時頃に来るので、皆さん野々市の実家に集合して一緒に出かけることまで判明した。
 さて当日、日中は大変暑い日だった。テレビや新聞の報道では、日本はまだ金メダルは0個、当初の金確実の種目でも、日本は苦戦を強いられていると。そんな中、長男は娘たちのために、「片目あき達磨」を求めに福井まで遠征するとか、でも後での連絡では、金沢で求められたとかだった。ことがことだけに、あって良かった.また二男夫婦は、長男は少年野球、長女は内灘権現森海岸での地引き網漁、充実した1日だったらしい。それでその収穫を持参しての訪問となった。初めての地引き網漁が素晴らしかったことを話してくれた。そして収穫の小アジとキス十数尾、それに本人はワカメだという海草、取りあえず鱗をひき、鰓と腸をとって下拵えをした。6時近くで慌ただしかった。
 迎えのバスが来て乗り込む。迎えのマイクロバスの胴には菜香楼のネーム、今晩の会は中華料理だということが分かる。場所は西念というから駅西方面、次男の勤務先の守備範囲内なのだろう。程なく着いた。訊くと銀行ではよく利用しているようだ。
 入り口には招龍亭とある。なかなか瀟洒な建物、初めてである。雰囲気がよい。一行は大人6人、小人4人、13人入る大きな円形の卓がある間、これだと大きな盛りから取り分けることは不可能だ。どうするのだろう。飲み物は個々に、乾杯は生ビールなどを、子供らも個々に頼んでいるが、大人よりよく何でも知っている。というよりは、私がそんなことに疎いのだろう。知らない飲み物もある。
 次男が口上を述べ、初めに長男が挨拶する。私は神妙に聞く。私が石川県衛生研究所に就職したのが昭和35年(1960)、36年間在職して平成8年(1996)に退職、そして同年(財)石川県予防医学協会に再就職、16年勤務して平成24年(2012)6月末日に漸く退職した。この間52年3ヵ月、現在75歳、これまでの人生の3分の2を勤め上げたことになる。思えば長かった。飲み物が出てきて、次男の指名で故三男の長男がねぎらいの言葉をかけてくれて、乾杯の音頭をとってくれる。しばらくして音曲が聴こえてきた。子供たちが見に行く。すると誰でも聴けるとかで、私も興味があり中座して見に行く。でも丁度終わるところだった。訊くと揚子江の揚の字と琴と書く「揚琴」とか、初めて見る楽器、箱型で多数の琴線が張られていて、それを木琴やマリンバを叩くような、先に玉のついた棒で叩くと独特な音が出る。不思議な楽器だ。
 部屋へ戻る。紹興酒を1本貰い、ロックにして飲む。こんな飲み方は初めてだ。料理が順に出てくる。料理は大人3人に一皿、子供ら4人に一皿、それを取り分ける。子供らも上手に取り分けるのを見て驚く。飲みかつ話し、時間はあっという間に過ぎ、デザートも出て最終コーナー、私が指名され皆さんにお礼を述べ、私の来し方とこれからを話した。当面の予定なのは、8月3日から4日間の家内との九州と山陽の旅、そして旧盆過ぎの白山美濃禅定道の石徹白への下りで、これはぜひ成就したい。時間が来てお開きになった。これでお終いかと思ったら、UTSUROIという小さなアルバムを渡された。それには息子夫婦たちや孫たちからのメッセージが入ったいた。これは思い出に「子供たちからのメッセージ」として転載しよう。そして最後に大きな花束を贈呈された。感謝感激だった。楽しい思い出の一時をありがとう。

「子供たちからのメッセージ」
1.木村豊明(長男)の家族より 『お父さんへ  退職おめでとうございます  これからは いろいろな趣味にチャレンジしてください   豊明』 『長い間 お仕事お疲れ様でした  これからは趣味などで 楽しんでください  敏美』 『おじいちゃんへ  今までお疲れさまでした これからも ずっと 元気でいてね  汐里』 『おじいちゃんへ  お仕事お疲れ様でした これからは のんびりと過ごしてください  香奈』
2.木村朋伸(次男)の家族より 『お父さんへ  本当に長い間 お疲れ様でした これからは体に気をつけて お母さんと2人で楽しく過ごして下さいね 私もお酒を飲んだり 山へ登ったりすることを 心から楽しみにしています  朋伸』 『おとうさん  長い間 本当にお疲れ様でした 先日 おかあさんに お弁当に対する感謝の意を表されたことに とても感動しました 私たちもおとうさんたちのように 素晴らしい夫婦になれるよう 頑張ります  倫子』 『お仕事お疲れ様でした ぼくもこれから勉強と野球をがんばるので おじいちゃんも元気でいてください  太一』 『おじいちゃんへ  おしごとおつかれさま 今日からゆっくり休んでください  優希』
3.木村誠孝(三男)の家族より 『お父さんへ  長い間 お仕事おつかれ様でした これからは 楽しい時間をいっぱい過ごして いつまでも元気でいて下さい  千晶』 『じいちゃんへ  長い間 お仕事おつかれさまでした 健康に気をつけて 長生きしてください  将太より』 『じいちゃんへ  長い間 お仕事おつかれ様でした これからもしっかりと休んで 健康に気をつけて 長生きして下さい  勇貴』
  




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