2012年3月22日木曜日

越前探蕎:「一福」と「森六」

平成24年の第1回の探蕎は、春分の日の3月20日に越前の「谷川」ということになっていた。ここには会では平成11年と平成15年の2回訪れている。店主は脱サラで始められたそうだが、中々こだわりの方で、自家製粉の十割そばを提供していた。それだけに久しぶりの訪問を楽しみにしていたのだが、直前になり団体さんお断りとのことで、行き先は急遽池田町の「一福」に変更になった。この日の参加者は10名、近場の探蕎なのに、参加者は少なめだった。

「一福」(福井県今立郡池田町稲荷)
 この日は上々の天気、白山市番匠町の「和泉」に集合し、車2台に分乗して9時に出発する。北陸高速道を福井ICで下り、旧美山町から足羽川を遡上して池田町に至る。ここは標高300mの高原、通称日本のチベットと言われている町、薪能でも有名な地である。またここは岐阜県との県境に聳える冠山(1257m)に登るにはどうしても通らねばならない町でもある。それはそうと、初めて新装なった「一福」へ寄ったときは、場所も分からずに随分町中をうろうろしたものだが、今回はあっけなくすんなり着いてしまった。この時期ここではまだ冬の名残の雪がそこここに、駐車場にもまだ沢山残っている。時に11時10分前、丁度二代の篤文・幸枝夫妻が駐車場においでて、どうぞ中へと招き入れられる。程なく暖簾も出された。中は明るくて広く、土間には厚くて大きな一枚板のテーブルが2脚、ゆっくり12人は座れる。小上がりには2人掛けと4人掛けの座机がそれぞれ3脚、都合30人は入られよう。旧店は10人も入られたろうか、ずいぶん狭かった。私たちが店へ入ると、先ほどの女将が「久保さんじゃないですか」と言われる。久保副会長は以前池田のお米を送ってもらっていたことがあるとか、これには驚いた。
 私たちは小上がりに上がる。予約席となっていた。席に着くと早速溶いた蕎麦湯が運ばれる。湯飲みは越前焼き、趣がある。これに蕎麦焼酎を割ると最高なのだが。蕎麦前は吟醸生原酒の「一福」、旧今立町の酒蔵の酒で、4合瓶のみ、皆さんで1本お願いする。瀟洒なグラスが運ばれ、運転手の前田・和泉のお二方には申し訳なかったが、寺田会長の発声で乾杯する。甘口で芳醇な感じのお酒、少々戴くには中々美味しい口当たりだ。つまみはメニューには「葉山葵」が載っていたが、聞くと品切れとかで、代わって片葉の薄味の煮しめが出てきた。
 ここの本命は何といっても「塩だし」、これは皆さんがご注文になる。もう一品は、前田さんのみ「醤油だし」、後の方は私も含めて、一度も食したことがない「生醤油」にする。「醤油だし」は越前そばでお馴染みの出汁だったこともあり、もの珍しさがあっての注文であって、皆さんもそんな意図があったようだ。始めに「塩だし」が届いた。そばは田舎そばの太打ち、先代の富治さんが打っておいでた頃は、九一で自然薯をつなぎとしたちょっと硬めのそばだったが、今出てきたのは喉越しもよいところをみると、二八なのかも知れない。越前焼きの中皿に載ったそばに塩だしが掛かっていて、その上に大根おろし、刻み葱、幅広の鰹の削り節が載っている。それにしてもこの塩味は中々奥行きが深い。先代が試行錯誤して工夫し、単なる塩味ではなくて、こくのある、でもさらっとした味わいに仕上げられたものだ。この味は一朝一夕に出来るものではない。天然山葵も一役かっているという。私の住む野々市市の「敬蔵」でも、店主が数年前から塩味に挑戦しているのだが、まだ発展途上、とても「一福」の塩だしの味には及ばない。
 次いで「生醤油」、皿に載った格好は一見前の「塩だし」に似ているが、大根おろしの上に下ろした天然山葵が一摘まみ乗っかっている。パンフでは、地元の甘口醤油をサッとかけて食べるとあったが、もうすでにかかっていた。そばは同じだが、味は生醤油味、比較するとやはり塩味の方が奥が深い。
 終わって、会長・副会長は 生原酒の「一福」を求められる。そこで女将を挟んでワンショット。そこで、先代がおいでのときに、3回ばかり寄せて頂きましたと話していて、てっきりもう亡くなられたのかと思っていたら、店には出ないけれどまだ健在とか、これは失礼しました。今じゃ三代目も修行中とかで、手伝っていた。玄関前での集合写真を女将にお願いした。お礼に握手をして、お暇した。

「森六」(福井県越前市粟田部町)
 まだ陽は高く、もう一軒ということで、旧今立町の越前和紙会館へ寄り、その近くにある「あみだそば」へ寄ることにする。「あみだそば」には平成12年に会の行事で、故波田野会長が元所長であった福井県衛生研究所の職員の案内で、今立町を巡った折に、「あみだそば」と「森六」へ寄ったことがある。久保副会長の案内で和紙会館に着き入ろうとすると休館とある。祝日が休館とはと訝りながら、三椏の生垣が植わった和紙の里通りを歩きながら「あみだそば」へ向かうと、どうも様子が変である。訊くと、数年前に閉店したとか、いたし方がない。あの大きな丸いテーブルが印象的だったのに。
 それではと「森六」へ向かう。旧今立町にはそば屋は4軒あり、森六、勘助、大福の3軒は同じ粟田部町にある。久保さんの先導で向かうが、この前は地元の人の案内だったのでまかせっきりだったが、今回は森六のある通りの印象は残ってはいるものの、そこへ辿り着くのが容易ではない。車で通りを巡ると、勘助と大福はすぐ目についたが、本命の森六が見当たらない。ガソリンスタンドでも訊くが、知らない人が多いのに驚く。でも漸く場所が特定できた。駐車場に車を止め、私が先に店へ入るともう一杯、奥の丸テーブルの相席には4人位入れそう。10人と言うと、中ででも外ででももう少しお待ち下さいとのこと、取り合えず4人が奥の丸テーブルに座る。後の方たちは店には入って来なくて、外でお待ちなのだろうか。部屋には色紙が所狭しと飾ってある。その中には、平成3年に今上両陛下が福井へ行幸の折に、当店のおろしそばを差し上げたとの新聞記事も掲げてあった。初代の森田六三郎がこの地で「森六」を始めたのは明治4年(1871)とか、福井県でも有数の老舗である。
 現在のご主人は四代目とか、店には20人位しか入れず、混み合っている。メニューは「越前おろしそば」と「せいろ」の二種類である。「おろしそば」は二八でやや太打ちながら幾分平たく打ってある。色は一福より淡い。色柄の皿にそばが入り、大根おろし、刻み葱、削り鰹節が載っていて、それで醤油味という典型的な越前おろしそばである。たぐると喉越しは良く、程よい味付けである。おろしは、辛味大根の信州地大根かねずみ大根の搾り汁を、水分が豊富で甘味のある青首大根と辛味もあり身も美味しいという練馬大根の二種の大根にブレンドして、甘味、辛味、旨味を出しているとかで、特に「おろし」にはこだわりを持っておいでとか。しかも大根はこだわりの自家生産とかである。
 また「せいろ」は十割で細打ちだとか、どんな味がするのだろうか。それはまたの機会のお楽しみでもある。中でも「スペシャルせいろ」というのは山海の珍味が絡んでいるとか、ぜひ味わってみたいものだ。またこの時節、冬期の12月~3月には、「かけそば」と「鴨南ばん」が加わるとか、こちらも十割だそうである。
 奥の丸テーブルが空いたが、皆さんは入って来られず、今回の越前探蕎はこれにて打ち止めとなった。一般道を鯖江まで北上し、鯖江ICから北陸道へ、美川ICで下り、出発した白山市番匠へ戻った。着いたのは午後三時半少し前だった。

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