2012年3月7日水曜日

漸く石川県予防医学協会を退職できることに

もう随分以前から退職をお願いしてあったのだが、今年の2月11日の誕生日には75歳になることでもあり、これを機にぜひ退職をとお願いしてあったところ、2月上旬になって専務理事から、今年度末で退職ということでお許しが出た。ただその時点ではまだ他言しないでとのことで、このことは家内にのみ話した。その後事務的には誕生日を境に社会保険証を返上し、以降は後期高齢者の保険証に切り替わった。その後協会の人事担当から、毎年4月から6月にかけて集中して実施される石川県の春季学童健診に、これまで私が協力してきたぎょう虫検査に今年も協力していただきたいので、退職を6月末にしてもらえないか、これは理事長にも専務理事にも了解を得ているとのこと、この事業は協会創立以来の根幹事業でもあり、また後の体制を整備するには時間を要するとのことで、それじゃこれを最後のご奉公にしようと思い了承した。この事業、少子化で年々数は減っているとはいうものの、昨年同期には主に県下の小学生・幼稚園児・保育園児8万3千人を対象に、12万枚もの鏡検が行なわれ、そのうち私は10万枚強を鏡検した。
 それで退職願は退職1ヵ月前に提出することになっているが、今年度末の退職ということで、3月1日付けで退職願を提出、ただ退職日は6月末とした。
 当初、専務理事からは今年度末で退職ということで、私は幾つかの会合や私的な旅行をスケジュールに入れていたが、これは一旦は白紙にせざるを得なかった。この時節は年金の支給が65歳からということもあって、60歳を過ぎても沢山の方が働いておいでるが、自営業の方ならいざ知らず、小中学校・高校・大学の同窓生で、70歳を超えて常勤で勤務されている人はごく少数である。大部分の人はサンデー毎日であるが、でもそれぞれに有意義な人生を謳歌されておいでる。これは羨ましい。
 ある中堅の特殊染色メーカーの常務だった方、特殊な仕事でもあり、会社でも重宝され、定年後もかなり長く勤務されていた。この方はお酒は大好き、女の子も大好き、両手に花でないとご機嫌が悪いという大変な御仁だった。ところで念願がかなって退職されたので、その折小宅へお招きして小宴を催したことがある。その日もお酒は召し上がられたが、以前のような豪快さはなく、一見して随分お疲れという印象を受けた。本人はその異変に既にお気付きだったのかも知れない。そしてその方は私に、「木村さん、請われて定年後も勤務を続けられるのもよいけれど、元気なうちに辞めて、心も体も労わってやって下さい」と。「私はもう疲れてしまって、以前のように飲んだり楽しんだりする元気が失せてしまいました」とも。「体を壊してから辞めたのでは、もう遅いんです」とも言われた。その方の疲れというのはずいぶんと曲者であったらしい。その後その方は入院されたが、医者では対症療法でしか治療できないという難病だということで、好きだったお酒も飲めなくなり、1年余の療養で亡くなられてしまった。私にはいつもあの方が親身になって話された言葉が頭を過ぎる。
 今は家内と二人の生活、二人とも勤めに出ている。私はこの6月で悠々自適のサンデー毎日になる予定だが、500坪もの敷地の管理、100坪の居宅の管理、書画骨董蔵書ガラクタの整理等、私が生きている間にしておかねばならないことは山積している。長男はまだ46歳、60歳定年としてまだ14年、私がもし生きていたとすると89歳、多分定年以前には帰ってこないだろうから、それまでには何としても整理をしておかねばならないと思う。
 今年はスキーに行ったのは1回きり、昨年よりももっと脚力の衰えを感ずる。緩斜面ならいざ知らず、もうそろそろ出る幕ではないような気がする。ただ念願の白山禅定道の石徹白道の踏破だけはどうしても今年中にやりたいと思っているのだが、果たして実現できるだろうか。また家内とも旅行をしたいと思ってはいるが、これも家内が退職しないとままならないようだ。また共に楽しむには共に元気であることが必須な最低要件でもある。

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