2011年6月9日木曜日

丹但探蕎の初日は「ろあん松田」

 この探蕎行に運転をかってでられた和泉さん、ことのほか「ろあん松田」にご執心で、そのこともあって、昨年のこの時期に訪れる予定をしていたのだが、申し込みをしたところ予約の枠が取れず、結果として実現できなかった。今年は再度の挑戦、事務局の前田さんの計らいで、早めの予約で5月14日の土曜日に訪れることになった。「ろあん松田」には探蕎会では過去2回訪れていて、初回は平成13年(2001)に砂川さん運転のマイクロバスで21名が参加し、宿泊は城崎温泉の三木屋(探蕎13号に記載)、2回目は平成17年(2005)に和泉さん運転のマイクロバスで16名が参加し、宿泊は城崎温泉の小林屋(探蕎30号に記載)だった。ところで今年の参加者はわずかに6名、少人数での出動となった。案内は寺田会長が自ら人間ナビを宣言され、会長の案内なら万全と、一同大船に乗ったも同然、安心してお任せできた。会計は私がかってでたが、会長からは予め予算の概略を渡され、これは大変に重宝した。会長の痒いところにまで手が届く配慮には敬服した。当然のことながら、会長発信のコース概略も事務局から出席者全員に配信されたことは言うまでもない。
 一行は寺田会長、和泉夫妻、小山、石黒、木村の6名、車は和泉車、予定では午前5時25分に予防医学協会Pに集合、5時30分に出発、予定通りに出発できた。天気はよく、全くの探蕎日和である。会長の予定では、金沢西IC-北陸自動車道ー敦賀IC-8号線ー27号線ー小浜西IC-舞鶴若狭自動車道ー丹南篠山口IC-ろあん松田(11時着)となっている。この間尼御前SAで朝食未了の方の食事、それに敦賀ICと木之本IC間のボーナス往復ドライブ、それに篠山市へ入ってからの若干のうろうろを除けば、ほぼ順調な運行、そして偶然にも予定の午前11時きっかりに「ろあん松田」に到着した。これは見事というほかない。恐れ入谷の鬼子母神である。沿線は正に初夏の装い、特に緑がきれいだ。所々に藤の花の薄紫の点描、ナビゲーターと運転手の方には申し訳ないが、この佳き環境でさらに高揚すべく般若湯を飲用したのは当然の帰結か。
 開店は11時半とか、奥の池まで散策されたらということで、ブラリと歩き出す。道には100米先で行き止まりとの表示、車道が途切れると山道になり、右への急な径は近畿自然歩道・御嶽登山道とある。そのまま進むと黒岡川をせき止めてできた池(安永年間に治水の目的で作られた)があり、篠山市の水源の一つの丸山水源池である。池の水が迸って流れ落ちている。帰り際に気付いたことだが、下り道の左側の平坦地に、樹種は杉なのだろうか、大きな大きな切り株が間隔を置いて見られたが、此処には何かがあったのだろうか、また何故切られたのだろうか、興味がひかれたが問う機会を失した。でもミステリーである。
 それにしても「ろあん松田」のある場所は辺鄙なところである。黒岡川の最上流の部落丸山(現7戸、明治には11戸)のさらに200米もの奥、よくぞこんな場所にそば屋を開いたものだ。普通なら過疎でなくなりそうなのにである。そのあたりの経緯をdanchuの「そば名人」から抜粋してみよう。主人の松田文武さんは秋田生まれの大阪育ち、大学卒業後、伯母(父の姉)が経営するお好み焼きチェーン店を任されるが飽き足らず、田舎でペンション経営をもくろむ。しかしある不動産屋から夢見たいなことを考えるなと諭されたが、思いは残った。そんな折、長坂のあの「翁」でそばに接し、「田舎でペンション」は「田舎でそば」に変わる。彼にそばの師はいない。でも開店間もなかった奈良の「玄」の主人からはいろいろアドバイスを受け、兵庫県氷上町(現・丹波市)で田舎家を期限限定で借り、「ろあん」を開店する。平成4年(1992)のことである。ここでは極細打ちのそばを供したという。修業経験がないのにである。4年の期限がきて、その後ワンボックスカーを駆って出張そばを1年、震災で空き部屋となった神戸三宮のマンションの一室で1年そば屋をして過ごす。将来は独立した店を持ちたいと思い土地を探していたところ、今の土地を紹介された。しかし余りの田舎に呆然、彼はもう少し町に近い処をと三田市に代替地を見つけてきたが、これには奥さんの敬子さんが大反対し今の土地に執着した。夫婦最大の危機だったと述懐している。そしてともかく篠山の山奥に「ろあん松田」は開店する。平成10年(1998)のことである。今は決して意を曲げなかった奥さんの頑固さに心から感謝しているという。前田さんのブログの記述では、奥さんは前の雑木林が気に入ったとかだった。
 時間が来て中に招じ入れられる。我々は奥の6人掛けのテーブルに案内される。以前はいろいろ注文できたが、今は昼は「蕎麦ひとそろえ」という6,000円のコースと追加料理のみの提供となっている。提供される3種類の「そば」はすべて自家製粉で手打ち、ほかに「そばがき」もコースに入っている。以下にコースの内容というか、お品書きを披露しようと思う。ところが写真を見れば思い出すと思いメモしなかったところ、いざ眺めても思い出せない品が多く、窮余の一策で、2週後に出かける前田さんに頼んで、料理の説明があるのでメモをお願いした。じゃICレコーダーを持参して音声記録し、後日テープ起こしをしてメールで送りましょうとのこと、特に「焼き野菜」と「前菜盛り」については大いに参考になった。ただ5月14日と5月29日に出た素材がどうも同一ではないような印象を受けた。そこまでこだわることはないのかも知れないが、丹波篠山の山奥で出されたそばのコース料理が実にあの自然を描出していたことに感動し、記し置くことにした。出てくる料理の材料は圧倒的に地元産の品が多い。それも魅力だ。

●「揚げ蕎麦」と「黒豆茶」:揚げ蕎麦のそばは中太なので、もとのそばは「もり」なのだろうか。丸い編んだ竹篭に入っている。初めに出るお茶は通常なら「蕎麦茶」なのだろうけど、こんな扱いは珍しい。何となく心の昂ぶりを鎮めてくれる。
● 箸と箸置きが赤い板敷とともに運ばれ、それに「梅風味の玄米スープ」が小さな縦長の湯飲みに入ったのが供される。湯飲みの底がオレンジ色なのが、何か意味ありげである。
● 減圧加熱処理調理法による「焼き野菜盛り合わせ」:地元農家で無農薬栽培されている野菜が10種類以上、白い浅い丸皿に盛って出される。ところが改めて撮った写真を見ると、品が重ね合わさっていて、個別に一つ一つを判別できない。お願いした前田さんからのテープ起こしの助言では次のようになっていた。『山椒でつくった香草オイルで味付けした調理、生のようだが火が通っている。蕎麦板、蕎麦の実、紫からし水菜、パブリカ、菜の花、蓮根、インゲン、ミョウガ、野生のブルーベリー、ブロッコリー、ドライトマト、黒ダイコン』。以上12種あった。でも私が写真で確認できたのは、順に蕎麦板、蕎麦の実(丸ぬき)、紫からし水菜、黄色のパブリカ(薄い輪切り)、蓮根(薄い輪切り)、隠元⇒豌豆、茗荷(中心部の縦薄切り)、野生のブルーベリー(ドライフルーツ)、ブロッコリー、ドライトマトの10種類。重なっているので、見えないところに他の食材が入っていると思われる。
● お酒(一番手):ここでお酒を頂戴する。初めには「こく」のあるものをというと「王禄」が出た。島根の銘酒だが、素性は明かされていないが純米の吟醸酒か大吟醸酒だろう。よく冷えた酒は、手作りギヤマンの栓付き、格好は大型の香水瓶風の厚いガラス瓶に入っている。ぐい呑みも手製のガラスの台付きグラス、聞けば横山秀樹氏の作品とか。冷えた2合はあっという間に皆の胃腑に納まってしまったのは言うまでもない。
●「八寸様・季節の前菜盛り合わせ」:ここでも前田さんのメールを引用しよう。『鹿肉のローストとしぐれ煮、にしん煮、しいたけの粕漬け、ノビル、新タマネギの葉、山ずみ(?)山の木の実、竹の子の姫皮の酢漬け、イタドリの炒め煮、辛みダイコンの実、グリーンピース、鱧の焼通し、卵焼き』の13種類。これら前菜は、杉の柾目の丸い蓋のある曲げ物容器に笹の葉を敷いて載せられていて、その点在は篠山の自然を表現しているように見える。お酒にはもってこいの料理である。順に確認して見ると、鹿肉のロースト(ロースのタタキ)、鹿もも肉のしぐれ煮、身欠き鰊の梅煮と梅肉、とろろ芋とガマズミの赤い実、筍の姫皮の酢漬け、出汁巻き卵の8種は確認できた。ほかにあったのは、コシアブラのおひたし、独活の含め煮、カラスノエンドウ、焼味噌、長芋にカラスミをまぶしたもの、チョロギ、白い小さな花をつけたアブラナ科の草である。グリーンピースは小さな器に入っているが、この時は茶色の小さな固体が入っていた。確認はできないが、椎茸の粕漬けを刻んだものなのだろうか、不明である。じゅんさいが入ることもあるそうだ。
● お酒(二番手):淡麗なお酒ということで「松の司」を頂く。滋賀の酒で吟醸酒、青みがかった酒器に、グラスも変わる。料理を賞味しながらの酒は格別だ。至福の時である。
●「盛りそば」:ここでそばの一番手が出る。丸い二重になった竹笊に、端正な中太のそば、店主が最も気配りして打ったそばとか、生粉打ちである。蕎麦は四国祖谷産、丸抜きにして専用の電動石臼で挽き、80メッシュで篩い、残りをもう一度挽く。味わいと喉を通った後の余韻のような戻り香を期待したいという。そばつゆはやや甘め、出汁には本枯れ節を使用しているという。期待に違わない香りと味だ。
●「筍と蕨の炊き合わせ」:創作の中皿に持ってあり、山椒の小葉を散らしてある。旬の地元の山菜、初夏の香りを放つ。
● お酒(三番手):これまでの酒とは別のお酒を所望して出てきたのが「山形正宗」。聞くのも初めて、飲むのも初めてという酒だ。酒は本醸造酒だろう。樽酒よろしく杉の香がしている。また酒器が変わる。
●「手巻きそば」:通常蕎麦料理に出てくるそば寿司は巻き寿司だが、ここでは手巻きにしてみたという。斬新な考え方だ。かなり大きく、一口にというわけにはいかない。中太のそばに鶏肉のそぼろ、卵の細切り、湯がいた草の葉を入れて手巻きにし、青い角皿に載って出た。海苔がパリッとしていて気持ちがいい。海苔の香と蕎麦の味が一体となった感じがする。
●「そばがき」:白味噌仕立てとかで、放射模様の小皿の真ん中に、滑らかな絹肌の真丸のつるんとしたそばがきがちょこんと載っている。お供は生醤油と生山葵のおろし、口の中でとろける。茨城の旧水府村産の蕎麦粉を使用しているという。
●「粗挽きそば」:中皿に竹のすのこを敷き、やや太打ちのホシが点々とする粗挽きが、やや少なく鎮座している。蕎麦は福井丸岡の産、粗挽きはすべて玄そばからの手挽き、機械では微妙な調整が困難だという。1日量は800グラムとか、24メッシュで篩い、残りをもう一度挽く。つなぎを2割入れて打つ。玄そばならではの上品なそばらしいエグッぽさ、味わい、甘みを期待しているとのこと。これには、藻塩、そばつゆ(出汁には焼き節を使用)、一口鴨汁(つくねと鴨肉が入っている)が付いてくる。初めはそのまま、次いで塩、そしてそばつゆ、最後に鴨汁で頂いた。
●「冷製の蒸し野菜」:深鉢の底に、味付けしたブロッコリー、人参の厚い輪切り、筍が入っている。煮物と違ったあっさり感が味わえた。
●「おろしそば」:黒い釉をかけた皿に盛られて出された。蕎麦は出雲産、玄そばを専用の電動石臼で製粉し、80メッシュで篩い、残りをもう一度挽く。いわゆる田舎そばで、つなぎ1割の細打ちで供される。おろしは辛味大根、暮坪蕪、山芋から選べるらしいが、この日は辛味大根だった。そばつゆは粗挽きそばのを準用、田舎そばの細打ちの香と喉越しを楽しむ。
●「山菜の天ぷら」:天ぷらは蕎麦粉を使って揚げられる。出された山菜は木の折敷に紙を敷いて盛られている。モミジガサ、カキの芽、ホンナ:ヨブスマソウ、ユキノシタ、タラの芽、カタクリ、コシアブラの8種、小皿に岩塩が入っていた。今が旬の山菜だ。
● そば湯:終りに近く、そば湯が出る。調整したものではなく、そばを茹でている釜の湯。私はこちらの方があっさりしていて好きだ。残った二種類のそばつゆに割って、別々に味を楽しむ。
●「香のもの」:中皿に、いぶりがっこ(たくあんを燻したもの)、梅干し、かぶ、甘酢生姜、そば味噌が載っている。
●「お菓子」:このコースの最後には、季節替わりの甘味が付くとあるのだが、なぜか記憶にない。後日寺田会長に聞くと、中に餡が入った「蕎麦餅」が付いたとのことだった。当然天敵は口にしていない。

 以上が、「蕎麦ひとそろえ」という昼の6千円コースとお酒(1合、1,300円より)の内容で、昼の営業は午前11時30分からと午後2時からの2回の入替え制である。夜の営業は午後5時から、9千円のコースとなる。松田家には姉と弟がいて、姉の鮎美さんは母親似、弟の慎之介君は父親似、前田さんに確かめてもらったところ、鮎美さんは大阪の店「ろあん鮎美」を2年で畳んで、現在は「ろあん松田」にいる。丹波篠山の自然を、そばと料理で、一家で演出している。
 私達は入替えの午後2時まで居た。控えの囲炉裏の周りには沢山のお客、少しばかり寺田会長と精算に当たった私と松田夫妻とで話し合えた。店主は55歳で働きざかり、ちょっとお腹がせり出してきた。辞して、「ろあん松田」の入り口で記念の集合写真、そして一路、今夕の宿、城崎温泉の「つばきの旅館」へ向かう。運転は和泉夫人、ナビは引き続き会長が。
         (探蕎51号原稿)

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