2011年5月10日火曜日

もう一つの「こそば」-下呂に「仲佐」を訪ねる

 蕎麦評論家でもある片山虎之助氏が、昨年暮れの週刊朝日に、年越し蕎麦でも滅多に口にできないというか、収量が極端に少ない蕎麦の「こそば」を2つ紹介していた。一つは、妙高在来種の「こそば」で、日本広しと言えども、直に食べられるのは、妙高市美守(ひだのもり)にある「こそば亭」(1日20食)と、東京練馬中村にある「野中」(週3日、1日10食)のみで、これではとても簡単に口にすることが困難なことは想像に難くない。もう一つは、乗鞍高原の旧稲核(いねこき)村在来種の「こそば」で、これが供されるのは下呂市森(下呂温泉)にある「仲佐」のみ、ここの店主は自らも蕎麦の種蒔きから収穫までも携わり、しかも手刈り天日干しに徹し、それ以外の蕎麦は用いず、しかも手挽き手打ちの「そば」のみを提供し、開店しては売り切れ終いとかである。HPでは粗挽きの蕎麦掻きのみ1日10食とあるが、粗挽き蕎麦は何食とは一切書いてないが、漏れ聞くところでは1日60食程度は提供するようだ。
 「こそば」というものを「こそば亭」で初めて目にしたが、通常の蕎麦とは全く印象が異なっていて、形はむしろ米粒状、私の印象では古代米類似だった。そして小粒であることは、種の中に胚芽の占める割合が大きく、種子には甘味と旨みが凝縮されていて、しかも香りが強いという。でも「こそば亭」で食したオヤマボクチをつなぎに使った「そば」は、モチモチ感はあったものの、特にこそば特有の甘味旨みは感じられず、香りも特になく、また再び訪れて食べたいという気は起きなかった。もっとも新そばの時期ではどうなのだろうか、もう一度名誉挽回に挑戦するとすれば11月中頃しかない。
 さて、もう一つの「こそば」、これを提供しているのは「仲佐」、場所は高山市の南に位置する下呂市、出かけたのは4月29日の旧天長節、今は「昭和の日」とか、忙しいカミさんだが、偶然この日は時間がとれ、ではと、開店の11時30分に間に合うように、野々市の家を7時30分に出る。下呂まで200km弱、2時間半と踏んだ。金沢西ICで北陸自動車道に上がり、東海北陸自動車道を南下して飛騨清見ICで下り、高山市から国道41号線を南下して下呂市下呂温泉に至る。ざっと180km、2時間半、店の場所はナビで見つけた。金沢では桜の花はとうに散り葉桜になっていたが、飛騨路は今が丁度見頃、沿道の桜花を愛でながらのドライブ、桜祭りも開かれていた。下呂温泉というと何か遠いという印象だったが、新井市「こそば亭」の200kmよりは20kmも近かったのには驚いた。着いたときに、丁度l仲佐」のおかみさんが出ておいでて、直に予約できた。ここは予約できますとHPに出ていたが、予約しておいた方が賢明なようだ。開店まで1時間半、町をブラつき、飛騨川にかかる橋まで行く。流れの向こう岸には水明館の大きな建物、11時に戻ると、3組が待っていた。すべて県外ナンバー、もちろん私達もである。
 さて、「蕎麦料理 仲佐」に入る前に、店主の中林新一さんの「そば」に対する並々ならぬ思い入れを紹介したい。主な引用先は、雑誌danchuに宮下裕史氏が連載していた「そば職人列伝」である。それには20年前、千葉柏の「竹やぶ」の主人阿部孝雄氏をして、「そばを打つために生まれてきたような男」と言わしめたと、宮下氏は語っている。
 中林(旧姓佐藤)新一氏は昭和33年(1958)、栃木県足尾町(現・日光市)の生まれ、幼いときから祖母が打つそばが大好きという、一風変わった少年だったようだ。それもあってか将来はそば屋になると決めていたという。高校へは進学せず、少年の意志が固いことを知った先生は、とりあえずは広く料理のことを修業できるようにと、先生の伝で、東京白山にある精進料理店「梵」へ就職する。そして店の休みには東京のそば屋を食べ歩き、なおさら自分で自分が思うとおりの「そば」を生み出したいと思うようになったという。あるとき友達に勧められて、岐阜高山にある10代も続く精進料理屋「角正」へ出かける。ここでコースの最後を締めくくる「そば」を食べたとき、彼の求めているそばに近いものだったことに感激する。そして翌年には11年間勤めた「梵」を辞し、「角正」に移る。26歳だった。ここでは10代目当主の角竹邦雄氏に師事し、やがて氏をして「こんなそば好きは見たことはない」とも言わしめ、まもなく「角正」で供される「そば」を一任されることになる。当時「角正」の蕎麦は、主に野麦辺りから仕入れた玄蕎麦を電動石臼で製粉してもらって使用していた。彼は独自に生産者とコンタクトし、特に手刈り天日干しした在来種に興味を持ち、店でのそばとは別に、自身で手挽きの石臼を入手し、営業用とは別のそばを打っていた。この試作されたそばは地元の友人たちの胃の腑に治まっていたが、その噂が阿部氏の耳にも入り食されることになる。こうした彼の手挽き石臼自家製粉というやり方は、多くの先鋭的なそば打ちをする人達に少なからず影響を与えることになる。
 「角正」に勤めて10年、中林氏は下呂温泉の寿し割烹店「仲佐」の娘・恭子さんと見合いし、結婚することに。そして平成8年(1996)2月に、12年勤めた「角正」を辞め、恭子さんの実家の「仲佐」を継ぎ、そば屋を開く。彼は婚約中に出会った乗鞍高原の稲核の蕎麦、香りも甘味も本当に素晴らしいその小粒の蕎麦に魅せられ、この蕎麦畑を持つ農家と協力して、稲核在来種の収量を2年かけて「仲佐」で賄える量にまで上げた。彼自身も種蒔きから手刈り天日干しでの収穫まで栽培に協力し、もうかれこれ30年近く農家の方と力を合わせて栽培を続けているとか。そばの好きな方々が、ボランティアで手伝ってくれるのも大きな力となっているとも。そして今後とも栽培を続けてもらうために、農家から買い上げるときの価格は、一般的な相場の3倍の値段で買い入れているという。
 こうして得られた稲核在来種の蕎麦は小粒で味が濃厚な昔ながらの蕎麦、この小さな実には、普通の蕎麦の実では望めない甘味と旨みと香りが凝縮されている。「仲佐」では開店当初からこの蕎麦のみを用い、大きな石臼(大きさは尺一、直径33cm)で二回手挽きするが、二度目は物凄い力業だという。そして馬の尾の毛で編んだ篩にかける。この作業に毎朝2~3時間かける。また石臼にもこだわり、飛騨古川で寛政12年(1800)からの石屋の当主・砂原源吉氏と諮り、花崗岩より柔らかく、砂岩より硬い、少しざらつきのある溶岩を用い、目立てのチェックは、月に一回は自分で、半年に一回は砂原氏にしてもらうという。目の潰れた石臼で挽いた粉は破壊された粉であり、これでは風味のよいそばは打てないという。彼の持論では、蕎麦は粗く切って挽かないと香りが立たないと信じている。
 また彼は精進料理屋にいたこともあって、そばは端正につながっていなければならないとの持論がある。そばの粗い食感と麺としての程よい長さ、こし、喉越しのよさを兼ね備えたそば、蕎麦掻きに負けないそば、それにはつなぎを入れてつくる。粗挽きだからといって千切れたそばは「そば」ではないと。そこで彼はこうして挽いた粗挽きの粉に、3割の小麦粉を入れ、しっかりとつなげる。親友の伊那駒ヶ根「丸富」の店主・宮島秀幸氏は、彼がそばを打つのを見たときは度肝を抜かれたという。彼は加水率を極限にまで抑えた打ち方をし、粗挽き粉を打ち粉に用い(友粉)、打ち粉がそばに食い込むようにして打つ。「あの硬さはとても信じられない。あんな硬いのは誰もこねられないし、誰も延ばせられないし、誰も切れない」と。しかし彼は、つま先だって全体重をのせ、体を軋ませるようにひねってこねるという。その様子は、そばと命懸けの格闘をしているようだとも。でき上がったそばの茹で時間は70~80秒、芯まできちんと茹でて、完全に糊化させる。生茹でのそばは出さない。生茹では一枚でもうよいという感じ、何枚でも食べたくなるそばを目指すと。そしてできれば、ちょっとした料理を食べて、その後にそばを食べる。それが私の目指す店のスタイルだとも。
 きっかり11時30分に玄関の戸が開いた。真先に案内される。椅子席を希望すると、通路左側の4人掛けに。テーブルは大きく、6人でも可だ。壁仕切りで同じものがもう一つ、その先はカウンター、独りだと此処に案内される。通路右側は小上がりになっていて、4人が座れる座卓が2卓、間に仕切りがある。もう1組が来て、テーブルと座卓は埋まり、独り2組はカウンターへ。その後5人家族が、すると右手前の小部屋へ、6人は入れるようだ。さらに2家族、続きの部屋で6人6人が入れ、戸を閉めれば2部屋に。これで満杯になり、後の方は待つことに。相席はしないようだ。 
 テーブルの添え書きには、『下呂でおいしい蕎麦を食べてもらいたいと願い、蕎麦の実は奥飛騨産、長野産の、手刈り、天日干しのみを使用し、手回しの石臼と篩を用いて、自家製粉した手づくりの蕎麦です。一日にできる量に限りがあります。おいしい蕎麦の味と香りを心ゆくまでご賞味下さい。店主敬白』とある。
 注文は、粗挽き蕎麦掻き(1日10食限定)1つ、蕎麦三昧1つ、天ざる1つ、お酒はお品書にはなくセーブしようと思っていたところ、家内が飲んだらと言うので聞くと、お品書きの裏に書いてありますとのこと、お酒は二種のみ、ではと花盛蔵元直送という大吟醸生酒の「しずく」をお願いする。程なくして、ガラスの徳利に入った冷酒と青みがかったガラスのぐい飲み、お酒の付出しは山葵菜(センナ)の醤油浸し。淡麗で馥郁とした美味しいお酒、センナがまたお酒に合う。次いで粗挽きの蕎麦掻き、白釉の磁器に、ホシが散らばり、あったかく掻きこんである。程よい練り、量はかなり多い。この香りと味は正に蕎麦そのもの、絶品である。箆で掬い取り、薄く醤油を付けて食べる。次いで蕎麦三昧の先兵の蕎麦豆腐、おろした生山葵が中央に添えてある。まったりとした上品な味。次いで賽の目に切った筍を山椒風味の萌草色の白味噌で和えた一品、これが時節にマッチしていて実に爽やかで旨く、お酒がすすむ。そして家内には天ぷらが届く。大きな皿に大きな車えびが2尾、太いグリーンアスパラ2本を半分に切って衣をつけて揚げたもの、それに何か分からないので聞いたのが蓬の若芽、かなりの量だ。ややあって待望の粗挽きそばが2枚届く。ざるは二段になった低い鼓型のしぶい濃い茶色の竹の編み笊、それに濃いホシのある透明感のある細打ちのそば、こんなそばはお目にかかったことがない。そばの香りが実によい。手繰ると個性ある食感、旨い、こんなそばは初めてだ。長さも食べる人を慮った程よさ、つゆは辛めなので少し漬けて食べる。これが稲核の蕎麦か。蕎麦湯はナチュラル。そばにはうるさい家内も満足している。連れ出した甲斐があったというもの。般若湯をもう一杯と言ったら、お客さんが大勢待っておいでるからと窘められた。車は店の前の駐車場に5台のスペースがあるものの、もう10台はいよう。皆さん路上駐車である。
 礼を言って店を出る。運転は家内、あの長い長い飛騨トンネルは嫌だというから、益田街道(国道41号線)を北上して富山市へ出ることに。実は帰りに白尾の亀屋で「桜切り」を食べようと「仲佐」に着いたときに電話しておいたら、2時から5時は休みとのこと、それではとゆっくり飛騨路の桜を愛でながら、お酒は先ずは道の駅「なぎさ」で深山菊原酒を、次いで「飛騨古川」では久寿玉純米を求め、「細入」では鮎と天魚の塩焼きを食べ、亀屋へ。「さくらきり」は4~5月のかわりそば、花ばかりでなく葉も少し入っているとか、道理で香りも味も匂いも正に「さくら」、それに出汁巻き卵と板わさと立山、そしと締めに細打ちの「おろしそば」、充実の1日だった。

「蕎麦料理 仲佐」
[住所] 〒509-2202 岐阜県下呂市森 918-47  TEL & FAX 0576-25-2261
[営業] 午前11時半より売り切れ仕舞い. 定休日は毎週水曜日. 不定休有り.
[品々] 単位 円
・飲み物:しずく大吟醸生 1500, 天恩古酒 680, ビール中 660, 小 500, 烏龍茶 300.
・一品料理:ゆべし 500, 胡麻豆腐 600, 焼味噌 600, 出汁巻卵 700, 天麩羅盛合せ 1500.
・品書き:蕎麦三昧 2000, 粗挽きざる 1050, 追加 850, かけそば 1100, 天ざる 1500.
蕎麦掻き 1200(限定10食), 蕎麦饅頭 230, 蕎麦料理(要予約:2名以上) 4000.

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