標記の講演会が深田久弥山の文化館の主催で、7月25日(日)に加賀市大聖寺京町にある大聖寺地区会館で午後1時半から3時まで開催された。講師は言わずと知れた早川康浩氏である。私がこの講演会があるのを知ったのは、氏のHPのブログの「山と医療の本音トーク」の副題がある「YASUHIROの独り言」を見てである。二度案内があり、二度目は講演3日前の7月22日にあった。主催者の言では、6年ぶり二度目ということで、二度目は早川氏が初めてとのことであった。深田久弥山の文化館では、毎月1回、月末の日曜日に講師を招いてレクチャーを行っていて、40人ばかりの人が集まるとのことだが、今回招いた早川さんの場合、とても山の文化館では収容しきれないと判断して、近くにある大聖寺地区会館での開催となったとのことであった。
氏は昭和34年(1959)生まれの50歳、群馬大学医学部を卒業後、金沢大学医学部第1内科に入局し、厚生連高岡病院、富山県立中央病院勤務を経て、1995年には済生会金沢病院に就職、その後2000年4月には、内科・胃腸科・肛門科を標榜する「はやかわクリニック」を金沢市寺中町に開業、特に消化器内視鏡学会指導医として、年間6,000件を超える内視鏡検査を実施しており、中でも大腸カメラは年間2,700件と北陸でもトップクラスである。
氏と山とのかかわりは、富山の病院へ行ってからで、特に剱岳に惚れて、剱岳を中心に単独速攻の登山を行ってきた。山に登り出したのは32歳だったという。以後開業するまでの8年間の間に、深田久弥日本百名山も踏破した。また山スキーは、富山にいた頃、立山にあった文部省の登山研修所に医師としてかかわった折に、勧められて始めた由、35歳のときだったという。現在は開業しているので、休診日の日曜・祭日と水曜日を中心に、山へは日帰りの速攻登山、特に11月から5月にかけては、北アルプスや白山を中心に、スキーを駆使してのワンディ山行を行っている。まだ明るいうちに帰着することを大原則としていることもあって、出発は真夜中の0時であることも多く、とても常人ではおよびがつかない。
氏は冒頭に、深田久弥は青年よアドベンチャラスであれと言っているが、私にとって山スキーは人生をかけたパフォーマンスであり、オリジナリティを追求しながら、これからも楽しみたいと言う。油断できない趣味であるが、この素晴らしい世界を多くの人達に伝えることができたら、それは本望だと。この日は、氏のHPを見て、遠く埼玉からも、また中京の愛知、岐阜、三重、それに地元の石川、富山、福井から、約150人が集まった。氏のHPは恐らく全国で見られていて、1999年1月23日に開設されて以来、既に320万回ものアクセスがなされている。
講演会の表題は「厳冬期白山ワンディ山行」となっているが、いくつかの山スキー行についての紹介があった。パソコンを使っての映写具一式を持参されての講演であった。用意された枚数は135枚とのことであった。
1.厳冬期ワンディ白山(単独)(2010.2.24)
白峰ゲート(緑の村)を0:11に出発、ここから別当出合までが核心部分で、特に急な崖の中腹に付けられた径は、デブリがあると片斜面になっていて、この部分の通過にはアイゼンが必携で、特に夜間では非常に緊張したと。このような箇所は何箇所もあり、気を抜けなかったが、5時間かかって出合に着けた。ここから砂防新道にルートをとるが、難関は吊り橋で、冬期は幅10cmの一本橋、凍結していて非常に緊張したという。渡った後は夏道をカットして一面の雪原をシールを付けて登る。甚之助小屋は雪で埋まっていて場所は不明、ここからは真っ直ぐに直登して弥陀ヶ原に至る。真っ白い台地、風が強く、室堂から山頂へはアイゼンを付けて登る。御前峰(2702m)には10:44に着いた。10時間半を要した。下りは山頂からスキーで、黒ボコ岩から観光新道寄りの白い大斜面を別当出合まで滑り込む。後は白山公園線を白峰まで、下りは山頂から4時間半を要して、15:29に着いた。白峰からは往復50kmである。
このルートのスナップでは、2007.1.21に深沢名人と二人で行った時のものも公開された。この時は白峰ゲートを0:01に出発、同じルートで山頂には11:10に着き、下りも同ルートで4時間かけ、白峰に15:28に着いている。この日は天気も良く、スナップも多い。
2.厳冬期大笠山ワンディ登山(3人パーティ)(2010.2.7)
この時は深沢名人と、メールでぜひ参加したいという福井の方と3人でクルーを組んだ。夏道ルートとは全く別の、早川氏が地図を見ながら独自に考えたルートの大笠山主稜線東尾根を辿るもので、境川ダムの堰堤を渡って対岸の尾根に取り付く。この日の天候は雪、国道156号線の広場に車を止め、3:00に出発、境川ダムまで4.5kmをラッセル、この日は雪が多いので、スキーとシールと靴とで10kgにもなるスーパーファットのポンツーンを使用した。主稜線東尾根は雪で視界不良であったが、専らGPSを使用して氏がリードして尾根を辿った。核心部分は1470mのピークで、右は崖、左は谷で、緊張したという。稜線を忠実に辿ったためアップダウンがあり、その点ではかなり時間と体力をロスした。しかし大笠山(1821m)には8時間かけて11:09に着いた。しかし帰路につく頃には天候が回復し、快適な4時間弱のダウンで、15:30に帰着した。このルートからの登行も冬期ワンディ登山も初記録だと思われる。スナップは晴れた帰路に写されたものである。
3.近年の山スキー道具
山スキーではどれだけ軽量化できるかが、安全な滑りをするための重要なポイントとなる。値段が高くても良い品を使うことが大事である。山スキーは命がけ、万が一の時の費用の方がはるかに高くつく。お金で少しでも安全性が買えるのであれば、これほど安いものはないと考える。特に半永久的に使えるものは、高くても良いものを買うことが肝要です。命は一つしかありません。
厳冬期、雪が深い時には、スキーの幅が160mmと広いスーパーファットのポンツーンが有用です。これは先端が反っていて、深雪でも先端が沈まない利点がある。またビンディングも軽くて丈夫なTLTがベストで、今これに匹敵するものはない。難点はこれに付くクトーがなかったが、現在はあり、無敵です。靴はガルモントメガライトが秀逸で、よりライトなタイプもある。ストックはブラックダイヤモンドの2段式で、ワンタッチレバー、回転式は凍結すると使用不能になる。またストックのうち1本もしくは両方をピック付きのウィペットセルファレストにしておくと、ピッケルの携行が不要になる。私は片方のみですが、名人は両方です。
4.今シーズンの山スキー行から:馬場島から大窓周回(深沢名人と)(2010.5.3)
馬場島を2:00に発ち、立山川を遡行し、室堂乗越(6:25)から剱御前(8:00)へ、剣沢を下り、近藤岩(8:55)から北俣をつめて池ノ平(10:31)へ、ここから小黒部谷を大窓出合まで500m下り、大窓まで700m上り返す(12:48)。大窓には巨大な雪庇が張り出していて、崩壊しないことを祈った。大窓からは白萩川へ下ったが、タカノスワリのゴルジュは雪で埋まっていて、高巻きは免れた。馬場島には13時間弱後の14:48に着いた。
5.昨シーズンの山スキー行から:新穂高から水晶岳ワンディ(深沢名人と)(2009.4.29)
新穂高を0:00に発つ。大ノマ乗越(4:23)から双六岳(6:59)を経て、三俣山荘(7:57)へ。山荘から岩苔乗越まで下り(9:04)、水晶小屋へ登り上げる(10:27)。ここからは稜線をアイゼン着用で水晶岳(2986m)に至る(11:31)。距離は11.5km、所要時間は11時間30分だった。頂上には30分滞在して、帰りは頂上から直接岩苔乗越まで滑り込み(12:59)、三俣山荘へ登り返し(13:40)、三俣蓮華岳(15:00)を経由し、大ノマ乗越(17:19)から新穂高に帰着した(18:54)。下りには7時間を要した。
6.その他の山スキー行のスナップ
・天狗原山(2197m)(長野) 小谷温泉から往復
・四ツ岳(2774m)(岐阜) 平湯温泉から往復
・大門山(1572m)(石川/富山) 五箇山西赤尾から往復
・御前岳(1826m)(岐阜) 月ヶ瀬下小鳥ダムから往復
・横前倉岳(1907m)(長野) 北小谷来馬温泉から往復
大窓周回以外の山スキー行では、氏のグループ以外には全く人影がなく、白い処女地にシュプールを描く醍醐味は麻薬的な魅力がある。主催した人からは、これを見て憧れて雪山へスキーに出かけることは避けて下さいと言っていたが、それは確かで、卓越した技術と強靭な体力と冷静な判断力を持った人のみが味わえる世界である。ここではスキーの機動性が遺憾なく発揮されている。、
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