2009年11月10日火曜日

第3回金沢大学ホームカミングデイ

 平成19年(2007)11月3日に第1回の金沢大学ホームカミングデイが開催され、金沢大学の第1回から第10回の卒業生を対象に、新しく整備された角間キャンパスの披露も兼ねての招きがあった。あの時は薬学部の卒業生も20数名見えていたし、同期生も4人ばかり顔を見せた。ただ翌年春に金沢で同窓会を企画していたこともあって、新しい薬学系の教棟の紹介はその時にと計画していたものだから、遠くの人の参加はなかった。
 この年、金沢大学は大きく変貌しようとしていた。というのは、従来の8学部25学科から3学域16学類に変容することになったからである。私達が卒業した薬学部という学部は消滅し、名称も医薬保健学域の薬学類と創薬科学類になることに。当時の林勇二郎学長はこれからの金沢大学のあり方について熱っぽく語られ、ハード面での整備は目処がついたので、これからはソフト面の充実が急務であると話されたのが印象的だった。その後は新しい選出方法で就任された中村信一学長がこれからの舵取りをすることになり、組織も独立行政法人ということもあって、随分斬新なものになった。中村学長は医学部微生物学教室の出身、私も当初は席を置いていたこともあり、同門会ではよく顔を合わす間柄である。また理事(病院担当)副学長には医学部耳鼻咽喉科の古川刃教授が就任されたが、彼は私も師事していたがん研究所ウイルス部門の波田野教授のもとで一緒に研鑽を積んでいた間柄である。また学長特別補佐に就任した辻彰前薬学部長も薬学同窓会会長をしておいでて旧知である。ただ皆さんは私より6~7年はお若い。
 今年は第3回目で、10月31日(土)の開催、卒後50年、45年、40年、30年、20年、10年の方と75歳以上の方達が対象で、該当者は7千8百名強とのこと、事務処理だけでも大変である。7月始めに卒後50年ということで案内があり、参加することにしたが、第1回の時もそうだったが、旧城内キャンパスに比べ角間キャンパスは何と不便で遠いことかとの感想が多かった。今年は正午開会の前の1時間を軽食交流会として歓談できるようにし、しかも家族同伴での参加も歓迎ということでの案内で、参加者の増が図られた。確かに親が学んだ大学を見せ、将来は子供らにも学ばせようとする意図の卒業生もおいでた。そういう方に配慮したのか、セレモニーは2時間で切り上げ、バスで角間、小立野(旧工学部)、宝町(医学部、病院、がん研、旧薬学部)キャンパスを回り、旧城内キャンパスの金沢城公園を散策し、資料館で「よみがえる城内キャンパス」という写真展を見ていただく趣向になっていた。
 交流会で古川副学長にお聞きすると、参加者は案内した該当者の3%弱、そして半数は70歳以上、そして7割は北陸在住、残りは在関東、在中京、在関西の方で、その比は面白いことに4:2:1だったとのことだった。彼にもう一つ聞いたのは「金沢大学基金」のこと、薬学の同窓会でも協力の話は余り出てこないからだ。東大では基金設立後あっという間に20億円とか50億円という金が集まったとのこと、それに比べ金大は過去60年に7万5千人強の卒業生を輩出しているにもかかわらず、まだ1億円程度だと、大学では5年間で10億円をもくろんでいるようだが、もっと加速しなければ。寄付金控除対象になることも浸透していないようだ。
 開会に先立って大学歌(校歌)の斉唱があったが、石川県民の歌もそうだが、知らない人の何と多いことか。中村学長の歓迎の挨拶の後、同窓会連絡協議会会長の挨拶、在学生の学長表彰、金沢大学創基150年記念事業シンボルマークの発表と続き、次に「すべてはお客様のために」と題しての記念講演、講師は工学部昭和49年卒の塚本外茂久氏、地元の加賀電子株式会社(東証1部上場)の社長である。本業は電子部品の製造・販売なのだが、面倒見がよく、お客からのどんな相談にも乗るという手法は下の従業員にまで浸透しており、例えば本業外のゴルフのクラブヘッドの扱いでは業界一だとか、これもお客様からの相談に手を差し伸べたということがきっかけだとか。まさにお助け親父である。洒脱でひょうきんな話は共感を呼んだ。原稿なしなので、時間きっかり、これも好感が持てた。締めは古川副学長の閉会の挨拶、彼はこのホームカミングデイを全学挙げての会にしたいとのこと、そして将来は外国、彼はフィラデルフィアを引き合いに出していたが、大学も金沢市とタイアップして、市の行事となるようにしたいと抱負を述べた。また学部が消滅してしまうので、学部ごとの同窓会を全学一本にして行うようにしたいとも語った。個々の同期の会もこの機会に便乗してもらいたいとも。彼の言は1期6年の間に実現するだろうか。
 来年は11月6日(土)の開催である。、

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