2009年11月7日土曜日

2009年秋の探蕎は山形・福島・新潟のそば処へ

 平成21年秋の探蕎は日にちと宿は決まったものの、立ち寄るそば処が何処なのかは全く知らされず、そば処通の久保副会長に一任ということで、言ってみれば全くのミステリアスな探蕎行ということになった。初日は山形の白鷹町と聞いたような気がするが、といって何という蕎麦屋へ入るのかは知らされていない。初日がそうだから、2日目も3日目も当然霧の中、でも久保さんのこと、一同は大船に乗ったような全部お任せのしかも興味津々の探蕎行となった。
 初日:「さんご」(山形県白鷹町浅立183−1)
 今回の秋の東北探蕎の一行は8名、久保車と和泉車に4名ずつ分乗し、当然久保車が先導することに。朝6時に北陸自動車道の不動寺PAで待ち合わせをしてから出発、天気は上々、北陸道から日本海東北自動車道へ、北上して終点で下り、小国街道を東へ、そして最上川の中流域を北上すると白鷹町に至る.何でもこの町にある簗場は常設では天下一とかで、この前に訪れた時は、尺はあろうかという落ち鮎を棒串に刺して焼いている様を見て、たまげたものだ。ときは丁度お昼時、久保さんが目指されたのは、白鷹町浅立にある酒・そば工房「さんご」というそば屋だった。屋敷の入口には関所にあるような門が、横から迂回するのかと思っていたら、車ごと堂々と門をくぐって屋敷内へ。「しらたかは隠れそば屋の里」という幟がはためいている。そば屋は二階建ての民家、中へ入る。玄関の上がり框には「そば工房 さんご」と彫られた衝立てが。
 縁を通り部屋へ。畳敷きの部屋に座テーブルが4脚、手前の2脚に8人が座る。皆さんの所望は期せずして「天そば」、ということは「もりそば」と「天ぷら」の組み合わせである。誰の采配か、運転の労をとられたお二方には「そば」と「天ぷら」一人前、その他の6人には「天ぷら」は二人で一皿ということに。ここのそばは石臼挽き自家製粉、生粉打ちとある。聞けばこの町一番の蕎麦打ち名人だった細野正五氏直伝の生粉打ちとか、楽しみである。蕎麦前は何にするかと相談していると、奥さんが4合瓶の冷酒を抱えて来られ、「これになされたら」と、早速に飛びついてしまった。見ると酒瓶のラベルには「笑酒招福」とあり、純米吟醸原酒生酒と記してある。このお酒は弁天酒造(後藤酒造)さんに依頼して造って頂いたマイタンクのオリジナル酒だと仰る。こんな小さな店で酒タンク1基とは、大冒険じゃなかろうかと心配になる。皆さんに注ぎ、香りと味を楽しんでもらう。馥郁とした芳しい香り、運転の方は香りだけ?に、そんなこともあって、半分くらいに減ったところで、残りは運転の方に飲んでもらうことにと、封をされてしまった。
 「もりそば」が出てきた。方形の竹の簾にそばはこんもりと盛られている。色は黒く、細打ち、量はやや多め、汁は4人分が縦長の陶器にまとめて、色は濃い。そばをよく見ると、小さいホシが見えている。手繰ると、なかなかコシが強い。でも細いので喉越しは良い。汁のほかに粗塩も付いている。天ぷらは海老、大葉、南瓜、獅子唐、鱚?など、天つゆは別に付いている。そばは実に美味しく、四方が追加された。
 主人の矢萩さんが顔を出される。「さんご」の由来について聞くと、珊瑚ではなく、先祖が三五郎なので頭二文字を仮名書きにしてつくったのだと仰る。私だったら「三五郎」にしたろうに。お酒のラベルのいわれを聞くと、この辺りは笑川原の荘という小字、それでその最初の一字をとったのだとか。現在白鷹町には5軒のそば屋があって、「しらたかの隠れそば屋」を名乗っているとのこと。また後で知ったのだが、この家は地元の富豪のゲストハウスだったとか、それでトイレは総漆塗りだとか、見参し損ねた。また竹の簾は屋敷内の薮の竹から手作りで作ったものだそうだ。敷地は2500坪もあるというが、表の方しか拝見しなかった。帰り際、玄関先に見慣れない小灌木が、聞くとミツマタとか、あの和紙の原料となるあれ、コウゾは見たことはあるが、これは知らなかった。久保さんのエスコートに感謝して、今宵の宿の新高湯温泉へと向かうことに。レシートを見ると、「おしょうしな」とあった。
 2日目:「ラ・ネージュ」(福島県猪苗代町城南140−1)
 初日の宿、新高湯温泉「吾妻屋旅館」を朝9時に発つ。白布温泉まで下り、ここから吾妻山越えをして山形から福島へ。途中最上川源流の地の碑が、辺りは紅黄葉の真っ盛り。さらに高度を上げて峠へ、今日はやや霞んでいるが、磐梯山も檜原湖も見えている。前に訪れたときには全く見えなかったのに、今日はハレオヤジやハレオナゴがいるからなのだろう。西吾妻スカイバレーを下って檜原湖の湖畔へ、ここでも紅黄葉が真っ盛り。でもこれから何処へ行くのだろうか。久保車はさらに南下して猪苗代町へ、そして行き着いたのが、町役場がすぐ近くのくいものや「ラ・ネージュ」。着いたのは11時少し前、建物は白いペンション風のレストラン、店で聞くと、開店は11時30分とか。駐車場はガラ空き、待つ客は我々のみ。誰かが近くに資料館があるから時間つぶしにというので車に乗って出かけることに。一通りざっと見て戻ったのは開店10分前くらいだったろうか。ところが驚く勿れ、長蛇の列ができているではないか。正に不覚の至りだ。数えると20人は下らない。さて我々8人の運命や如何に、全員が入れるには、席数が20人として28席、22人として30席はないと入れない勘定、ヤキモキする。ドアが開いて、呼び込みが始まった。ところが定員は35名とか、どうやらスンナリ入ることができた。それに僥倖だったのは、右手に8人掛けのテーブルが丸々空いていたこと、全員が一つテーブルに座ることができた。皆さん個々にお好きなものを注文することに。冷かけおろしたぬきそば3人、野菜天ざるそば3人、ざるそば・ミニヒレカツ丼セット1人、私は当店お勧めの地酒の冷酒に合わせて山菜きのこそばにした。地酒の銘柄は忘れてしまったが、口当たりはまずまず、諸氏は如何だったろうか。ここの蕎麦は地元産、地粉100%の完全手打ちと銘打ってある。くいものやとあるだけに、うどんはもとより、スパゲッティやピラフもある。そばの提供は11:30−14:15と17:30ー21:00のみで、中間の14:15−17:30はレストランとしての営業をするということだった。(因みにネージュは仏語で雪)。
 猪苗代町の蕎麦屋は全部で22店、うち手打ちそば処の15店が「猪苗代そば暖簾の会」に加盟しているという。「ラ・ネージュ」もその一員、後で聞いたのだが、この店は加盟店の中でも知る人ぞ知る店とのことであった。私が食べたのは「かけそば」だったが、コシもしっかりした細打ちで、温かい汁でも延びることもなく戴けた。行列ができるわけがよく理解できる。よくぞ選んで貰えた一店ではある。この日の宿は南会津の檜枝岐温泉、猪苗代湖畔からは4時間はかかろうかという地である。
 3日目:「わたや」平沢店(新潟県小千谷市平沢1丁目8−5)
 2日目の宿、檜枝岐温泉「旅館ひのえまた」を朝8時に発つ。今日の目的地は新潟県小千谷市、檜枝岐村からは一旦南下して山越えして奥只見湖(銀山湖)を経由して新潟県魚沼市へ出る方が距離的には近いが、道幅も狭くヘアピンも多いとかで、距離は長いが、一旦北上して只見町へ迂回し、田子倉湖から六十里越を越えて魚沼市に出ることに、この方が時間的には短いという。お任せである。途中車窓から越後駒ヶ岳(百名山)と八海山(二百名山)を見る。
 この日の昼は「へぎそば」、過去に一度食したことがあるが、なんとも変わった食感だったという記憶がある。目指すは「わたや」、それも本店ではなく平沢店だと仰る。平沢店の方が新しくて広いとのこと、本店は知らないが、確かに此処は駐車場も店舗もゆったりしている。案内されて席に着く。へぎそばのつなぎには、小千谷縮みに使われている海藻の「ふのり(布海苔)」が用いられていて、それがあの独特のツルツルシコシコした食感を醸し出しているとのこと。また「へぎ」とは「へぎおしき(折敷)」のことで、木を剥いで作った「へぎ板」を四方に折りまわして縁をつけた角盆のことで、この地では蕎麦折敷のことを指す。本来は白木なのだが、出てきたへぎは塗りが施された大変立派なものだった。我々には一口大に丸められたそばが1列に7個、4人前とて4列に、一つずつの形は独特で、なんでも湯から上げたそばを一口サイズに摘まみ、水の中で振りながら形を整えるそうで、「手振りそば」の別名もあるとか。一人前7個というのは標準で、5個を控えめ盛り、10個を大盛りと称するそうである。我々のテーブルには4人前が2枚、それに山海天ぷら盛り合わせが2個運ばれた。蕎麦前には蕎麦の酒「蕎」を戴いたが、特にこれが蕎麦酒といった印象はなかった。小千谷では10店が「小千谷そばの会」をつくっているが、汁や薬味は各店の秘伝らしいが、そばについては言及されていない。ということは、「へぎそば」はどの店でも同じなのではないかと思ったりする。
 〔付〕檜枝岐の「裁ちそば」:これは伸したそばを重ねて切る(裁つ)もので、小麦粉がつなぎに使われるようになってからも、山里では高価で使えず、折り畳むと折れて切れてしまうので、重ねて切る(裁つ)のだと何かで読んだ記憶がある。「旅館ひのえまた」では、料理の一品として出てきたので、十分吟味して味わうことが出来なかった。



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