西本智美がロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(RPO)の日本ツアーの指揮者として来日するということで、今度こそはどうしても聴きたいと願っていた。というのも過去に2回、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)を振る予定だったのに、2回とも体調不調とかでドタキャンになった経緯があるからで、今度こそはと意気込んだわけである。この度の日本ツアーは東北から九州にかけての12公演、プログラムの目玉はマーラーの交響曲第5番、ベートーベンの交響曲第7番、それにフレディ・ケンプとのモーツアルトのピアノ協奏曲第20番の共演で、金沢では9月24日に石川県立音楽堂で催された。曲目は始めにモーツアルトの歌劇「後宮からの逃走」序曲、次いでピアノ協奏曲第20番、休憩を挟んでマーラーの交響曲第5番が演奏された。
ロイヤル・フィルはロンドンが誇る名門5大オーケストラの一つとはいっても、中では最も新しく、第二次世界大戦後の1946年の創設である。既に当時はロンドン交響楽団(1904年創設)を始めとして、BBC交響楽団(1930年創設)、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1932年創設)とロイヤル・フィル創設前年の1945年に結成されたフィルハーモニア管弦楽団があった。ロイヤル・フィルの創設者はトーマス・ビーチャム、彼はロンドン・フィルを自前で創設したが、その後自主運営団体に移行したために、再び自分の楽団としてロイヤル・フィルを立ち上げた。結成に際しては優秀な楽団員が集められ、4大オーケストラに匹敵する楽団が出来上がった。名称の「ロイヤル」については問題も提起されたが、英国女王から公式に使用が認められ、今日に至っている。
創設者ビーチャムの死後は自主運営団体となり、以後音楽監督には、ルドルフ・ケンペ、アンタル・ドラティ、アンドレ・プレヴィン、ウラディミール・アシュケナージなど錚々たる顔ぶれが着任し牽引されてきた。その後1996年にイタリアの若いダニエレ・ガッティが音楽監督に就任して、フレッシュな空気の吹込みが図られ、更なる向上が期待されたのに、2008年にはフランス国立管弦楽団の音楽監督に就任したためポストを離れたが、ロイヤル・フィルは彼に桂冠指揮者の称号を与えた。現在は芸術監督兼首席指揮者にはシャルル・デュトワが就任、首席客演指揮者にはピンカス・ズッカーマンが加わっている。そしてこの楽団の特徴として、共演する指揮者やアーティストがバラエティーに富んでいるということが挙げられるとされ、こうした方針が今度の日本ツアーに西本智美を抜擢して指揮者にしたのではという一面がある。またマーラーはロイヤル・フィルでは特によく取り上げている曲目であるという。一方、純粋なクラシックばかりでなく、ライトクラシックやミュージカル・ナンバーの演奏でも定評があるというから、既存の有名オーケストラとは一線を画しているという感がある。オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督だった岩城宏之氏がポピュラーを取り入れた構想も、案外ロイヤル・フィルの柔軟性や順応性にヒントを得て手を染めた可能性がある。また国内や海外の演奏旅行が多い点の類似もロイヤル・フィルに習ったのではないかと思ったりもする。
さて、西本智美についてだが、彼女は大阪音楽大学では作曲を専攻していて、指揮は留学したロシアのサンクトペテルブルグ音楽院で学んでいる。従って活躍の舞台は始めは主としてロシアであり、比較的小さな交響楽団や歌劇場の首席指揮者や客演指揮者を歴任している。当時その活躍ぶりが日本でも報道され、女性指揮者として驚きの目で見られたものだ。その後彼女はロシアから東欧、中欧、西欧と活動の拠点を移動しながら、今年はロンドンへ拠点を移そうとしていた矢先、ロイヤル・フィルとの出会いがあり、日本ツアーでの共演が実現したという。まさに僥倖というべきか。またロイヤル・フィルにとっては一つの賭けだったのではなかったかと思う。彼女の信条としては、活動は一か所に固執するのではなく、あちこちに拠点を置いて活動したいという希望があり、日本ツアー以降はバルト三国で、次いではアメリカに渡って活動し、再びヨーロッパに帰るのが目標という。これは彼女の言葉を借りるならば、拠点を移すのではなく、拠点を広げるということだそうで、活動範囲を広げるということになるのだそうだ。でも一面からすれば「渡り鳥」の感がないでもない。もっともまだお若いからそんな冒険もよいのかも知れないが、いつまでもというのには疑問を感じる。
女の指揮者としては、ピアニストでもあるウラディミール・アシュケナージを一番に思い出すが、彼女はある時期ロイヤル・フィルでも音楽監督兼首席指揮者として席を置いていた。また今でもピアノ奏者としても活躍している。またオーケストラ・アンサンブル金沢の初代指揮者として登場した天沼裕子も今は東欧の歌劇場で活躍しているが、岩城さんがヨーロッパのどこかの指揮者コンクールで優勝した彼女を迎えたものの、彼女の思想は楽団員には受け入れられず、結局彼女は去ることになった。またブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した松尾葉子は今どこで振っているのだろうか。このコンクールは若手指揮者の登竜門としてはつとに有名で広く知られていて、過去には小沢征爾を始めとして、佐渡裕、下野竜也らが優勝しているが、その活躍ぶりは周知のとおりであり、下野竜也は過去2回来沢しているが、指揮者からはオーラが発しているのが感じられ、聴衆が圧倒されるような凄さだったことを思い出す。女性の指揮者にはほかにもおいでるのだろうけど、思い出せない。
さて、演奏会の当日は、いつものオーケストラ・アンサンブル金沢の定期公演とは違った雰囲気を感じた。この日は北國新聞社の主催であったせいなのかも知れない。音楽堂の主催でないこともあって、音楽堂のチケット売り場での座席の割り当ては少なく、私の席は2階の正面の5列目であった。演奏会当日の入りは8割程度、何故か2階側面では空席が目立った。ロイヤル・フィルは4管編成、室内楽団のオーケストラ・アンサンブル金沢のざっと倍の規模、でもこれは有名交響楽団の普通の編成である。曲目の前半はモーツアルトの「後宮からの逃走」序曲とピアノ協奏曲第20番、パンフレットでは、指揮者は第1曲からは「復讐せず許す」というテーマを読み取れ、第2曲については「こみ上げてくるパッション=情熱/受難の音楽」と受け止められると述べている。しかし凡庸な小生にはそんな大それた奥深さに至るまでもなく、楽しく大編成のオーケストラの音楽を聴かせてもらった。でも、モーツアルトの音楽ならば、大編成よりはむしろ2管編成の方がじっくりと味わえるのではと思った次第である。ピアノ独奏者のフレディ・ケンプにしても、特に素晴らしかったという印象は少なく、8歳から共演しているというから身内のようなもの、今一感動は少なかった。
後半はテーマのマーラーの交響曲第5番、ロイヤル・フィルが最も得意とするレパートリーの一つでもあることから大いに期待した。しかし指揮者のむしろ単調に思える指揮ぶりを見ていると、指揮者の崇高な想いが楽団員に本当に伝わっているのだろうかという疑問が起きた。ということは、どちらかと言えば、あのロイヤル・フィルがあってこその指揮者西本智美だったのではなかったろうかと。マーラーの音楽は内に秘めたいろいろな想いが表現されていて、聴く人にも自問させるような感慨を与えるものだが、その点では実に素晴らしかったと思う。第1楽章の葬送行進曲を聴いただけで身震いを感じ、フォルティッシモからピアニッシモまでの荘重で優美な旋律の演奏が繰り広げられ、人間の感情のあらゆる表情を醸し出した演奏だった。もしこれがすべて指揮者西本智美の意図したものだとすると、曲もさることながら、彼女の意図が十分伝わっての演奏ということになるが、この曲はロイヤル・フィルの十八番なだけに、あの指揮ぶりからは、むしろ助けられたのではないかと穿った見方をしている。ともあれ、素晴らしかったことには変わりはなく、第5楽章までの70分は長くは感じられなかった。颯爽?と久しぶりに登場した憧れの西本智美にではなく、むしろ渾身の演奏でマーラーを聴かせてくれたロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の面々に感謝して拍手した次第である。
2009年9月29日火曜日
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