2018年3月28日水曜日

探蕎会の存続を巡っての会の結論

 昨年 (2017) 12月に行われた世話人会 ( 会長、事務局長、世話人8人中7人出席)で、前田事務局長から、会員の高齢化で行事の遂行が難しくなったので、会を解散してはどうかとの提案があった。振り返って、会の行事としての大きな柱は、丸岡の海道さんの好意に甘えて、春と秋に丸岡蕎麦道場にお邪魔したことであった。春は山菜、秋は新そばを堪能させて頂いたが、やがて秋のみとなり、それも海道さんの体調のこともあり、一昨年からは中止になった。またもう一つの柱だった塚野世話人が主宰されてきた湯涌みどりの里での会員そば打ちも、諸般の事情で平成30年からは実施されないことになった。また年2回、春と秋に実施してきた県外への蕎麦探蕎行も、以前はマイクロバスをチャーターして会員の方が運転して出かけていたが、運転する方の高齢化とも相まって、自家用車で出かけるようになり、すると人数も制限され、また回数も1回のことが多くなった。また会員に OEK (オーケストラアンサンブル金沢 ) の第2ヴァイオリン首席奏者の江原さんがおいでたこともあり毎年新春コンサートを開催してきたし、その後に企画された会員の方々による講話も大きな目玉だった。でもこれらの催しも平成30年の総会では行わないこととし、総会では世話人会で了承を得た「会の解散」を主たる議題として、会員の皆さんのご理解を得るべく努力することになった。私もこれら諸般の事情と、事務局にはこれまで行事の企画・立案・交渉・会員への案内・事業の遂行のほか、会報「探蕎」の原稿募集・レイアウト・印刷・校正・発行・発送など、すべておんぶにだっこで、随分と過重な負担をおかけしてきたこともあり、前田さんからの提案に異を唱えることは憚れた。
 さて、平成30年の探蕎会総会は、3月25日の日曜日、午前 11 時〜午後2時に、ANA ホリデイ・イン・金沢スカイ 10 階の「白山」で開催された。冒頭寺田会長から、会の大きな柱だった丸岡蕎麦道場への訪問と湯涌みどりの里での会員そば打ちが廃止になったこと、会員の高齢化に伴い県外への探蕎行も低調になったこと等もあって、世話人会では会を解散してはどうかと提案があったこと、それで今後の探蕎会の存続について、会員の皆さんから忌憚のない意見を出して頂きたいと挨拶があった。また続いて行われた前田事務局長からの平成29年の行事報告と決算報告の際にも、重ねてこの会を解散したい旨の発言があった。しかしここですぐその賛否を問うことは憚られ、会食が始まった後で、先ずは出席の方全員から「探蕎会の存続について」のご意見を伺いましょうということになった。この日の出席者は21名、うち世話人は9人だった。
 それで松川さんと私とで、会食の合間に出席者全員からご意見をお伺いした。世話人の方は経緯をよくご存じなこともあって、解散もやむを得ないとのことだったが、それ以外の方々は、この会には愛着があること、行事がなくなっても1年に一度は同窓会的な雰囲気でよいから集まったらどうかとの意見が多く、とてもここで採決をとることは憚れた。一方で多くの会員の方々からは、行事の折に「探蕎」への原稿書きを指名で依頼されるのが苦痛でトラウマだったとの声も聞かれた。それもあって寺田会長の閉会の挨拶では、探蕎会の存続については、年に一度は皆さんとお会いし、お酒でも酌み交わし、旧交を温めましょうという集まりの会にしませんかということになった。
 また今回の総会のパンフレットの中開きに、寺田会長が纏められた「探蕎会の足取り」が掲載されていた。平成10年から29年までの会の行事を俯瞰することができる素晴らしい資料で、これは出席した会員の皆さんにはすこぶる好評だった。以前に参加したことのある行事が何時だったのかが一目で分かるという代物で、出席した行事に思いを馳せ、思い出しては話題に花が咲いた。
 振り返って、我が師の波田野先生 (初代探蕎会会長、故人) から「蕎麦の会をつくりたいがどうかね」と電話を受けた時、それは素晴らしいことですねと返事したことを思い出す。先生は金沢大学を辞されて福井県衛生研究所へ赴任されて「蕎麦」に目覚められ、職務上出張で行かれた全国各地で蕎麦を食され、「無責任番付」なるものを作成されていた。そして辞されて間もなく5人の発起人と相まって「探蕎会」を発足させた。その後先生から入会のお誘いがあり入会した。振り返ってこの20年、発起人でもあった前田さんと塚野さんには大変ご尽力頂いた。心から感謝したい。それで会の機関誌「探蕎」も64号で最後となるようだ。

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