「やまぎし」は1月と2月は冬季休業しますと年賀状にあったが、予定どおり3月には2日 (金) から再開していた。電話でやっていますと聞いて伺ったのが9日の金曜日、この日は主人の山岸さんとも談笑でき、美味しいそばを頂き満足した。ところでその一週後に出かけた家内の従姉妹からは、当分休業という張り紙が玄関に出してあったと言うではないか。それでその2日後に私も訪れそれを確認した。そこには当分の間とあった。
4月3日、私の車のハイラックスサーフの定期点検でトヨタ野々市店を訪れた。勤務していた頃は最低1日12㌔は走っていたものだが、辞めてからは乗る頻度は少なくなり、それで前回の点検ではバッテリーを交換する羽目になり、担当の方からは、少なくとも1日8㌔は走って下さいと言われたが、なかなか実行できていない。今回も一応良好ですが、走っていないので容量が下がっていますので、これは走らないとカバーできませんから、ぜひ走って下さいと言われた。頃は丁度お花見時、今夕は見頃の兼六園へ花見にでもと家内と話していたが、車を少し走らせなさいと言われた手前、これも見頃の鶴来の樹木公園にでも行ってみようかと家内に話したところ、じゃ「やまぎし」のある左礫までドライブしようかと提案され行くことに。野々市からは片道30㌔、往復60㌔だ。
出かけたのは10時過ぎ、はじめに古い御札を納めに白山さんへ寄る。ここまでの沿線にある桜は今が盛りの満開、山の中腹にも桜が、でもあれは自生の山桜ではなく、植栽されたソメイヨシノなのだろう。お参りした後、樹木公園の桜を左手に見ながら、鳥越大橋を渡って上流へ。谷間に広がる田圃では粗起こしも始まっている。旧鳥越村の役場があった別宮を過ぎて山間に入ると、道端や田圃にはまだ残雪が、この辺りではまだ早春の装いだ。そして左礫の「やまぎし」に着いた。すると車が3台、てっきりまだ休業中だとばかり思っていたのに、玄関の戸が開いているではないか。これには驚いてしまった。駐車場に車を停め、中へ入ると、元気な様子の山岸さんと奥さん、中には末の妹さんも、いつものフルメンバーだ。山岸さんはいつもの飄々とした感じ、奥さんもお元気な様子、あの当分の休業は何だったのだろうと訝った。ただ玄関の張り紙には、これまでは午前11時から午後3時までだったのに、営業時間は都合で午後2時までにしますとあった。
問わず語りに話されたのは、あの想像を絶する大雪に孤軍奮闘され、その過労からきた心不全で私が入院する羽目になりましたと話された。私達平地でもあの大雪にはしっぺこいて往生したのに、あの山奥では想像に絶するものだったろう。それも山岸さん独りで、始めは除雪機が有効だったが、雪の量が多くなり、終いには人力のみ、これには本当に参ったと話されていた。私達が再開後にお寄りしたのは3月9日、あの日お会いした様子では何時もと変わらず飄々としておいでた感じだったが、でもその2日後には体重がいつもは59㌔なのに65㌔にまでになり、その上浮腫と不眠もあり、これは入院しなければと思い、当分の間休業しますという張り紙を出し、その後夜道を自分で運転されて白山市の松任石川中央病院へ行かれたという。誰しも救急車対応と考えられるのに、あの時間、あの山奥まで来て貰うには遠慮があったという。全く常人の仕業ではない。そして3週間入院され、3月末日に退院されたという。それで早速4月1日の日曜日から再開されたが、当分の間は体調のことも考え、営業時間を1
時間短縮したとのことだった。でも退院後初日の4月1日には40人を超す客があり、追い打ちをしなければならなかったと話されていたが、今後とも身体には十分気を配ってほしいと思わずにはいられなかった。
山岸さんは、「木村さんが見えた2日後に入院し、退院して2日後に店に見えたのは、何か因縁めいていますね」と話された。無理なさらずに、健康に留意され、これからも美味しい蕎麦を提供していただきたいと心から願わずにはいられなかった。午後1時近くになって「やまぎし」を辞したが、店を出て間もなく、昼食は午後1時にこの「やまぎし」でと語っておいでる、当世マタギの H さんの車とすれ違った。
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