(承前)
そして本命の「そば」、円いざるに盛られた手挽きの細打ちのそば、量は少なめ、汁は若干濃いめで辛口の印象を受けた。しかし今少し小腹を満たしたくなり「辛味大根おろしそば」を所望した。暫し待って、淡い空色の鉢に入ったそばには、辛味大根のおろしと巾広の削り鰹と刻み葱が載っている。汁は辛口、越前そばの流儀である。
最後にデザート、塗った木皿に白い磁器、中に小豆、ヨーグルト、桃、蜜柑、黒く塗られた木の匙で頂く。何とも贅沢な「そば遊膳」のコースだった。
終わって主人の田尻さんと暫し懇談した。田尻さんは宮城・仙台の出身、東京立川にある蕎麦懐石の名店「無庵」で20年研鑽を積まれた由、おカミさんが金沢出身とかで、ここ金沢東山で昨年夏に暖簾を揚げられたとか。この町家は十年ばかり空き家になっていたという。ここは茶屋街からは少し離れた静かな場所、ゆったりとした趣きある空間で、美しい器に盛られた品とあしらいに加え、江戸仕込みの蕎麦を手繰り、美味いお酒を堪能するのも一興だろう。
メモ: 住所 金沢市東山1丁目23−10 電話 (076)252−8008
営業時間/(昼)12:00〜14:00 (夜)17:30〜20:00(要予約)
休日/日曜と第1月曜
席数/10席 駐車場/なし
(閑話休題)
〔その1〕 卯蕎 金沢市子来町
前田藩は金沢城の鬼門の方位にあたる山 (卯辰山) の鬼門封じに宝泉寺を建てた。それはそうとして、この寺の裏手にある五本松からは金沢の市街が一望に見渡せ、かつて芥川龍之介が室生犀星の招きで金沢を訪れた折に此処に立ち寄り、金沢随一の絶景と称賛したそうである。ところで件の卯蕎なる蕎麦屋はこの並びにあり、部屋からは兼六園や金沢城を望むことができるという。ということで一度場所を確かめに出かけたいと思っていた。幸いなことに、蕎味櫂を出て北方向を見ると、「卯蕎まで5分」という案内が電柱に表示されていた。有志5人で出かける。矢印が示す道は大変急な坂道、息が切れる。すると程なく右手に宝泉寺、そして裏手へ回ると一軒家があり、それが件の蕎麦屋であった。でも暖簾は出ておらず、閉まっていた。どうも昼の営業のみらしい。前を通り五本松へ。すると南西に展望が開けて、金沢の市街を一望できる。私は初めてこの景を目にした。
〔その2〕 高野山真言宗 長谷山 観音院 金沢市東山1丁目
道路に出てこれから帰ろうかというときに、とある女性に会い、近くの観音院で秘仏の御開帳がされているので寄られたらとの声かけに応じて行くことに。坂を下って行くと程なく着いた。観音町もここに由来するのだろうか。御本尊は十一面観世音菩薩、一千二百年の歴史をほこるという。パンフレットを見ると、ここは北陸三十三観音霊場14番札所・金沢三十三観音霊場25番札所で、前田利常が境内伽藍を整備し、前田家の祈祷所となり、大和、鎌倉と並び、加賀の長谷観音として多くの信仰を集めたとある。しかし明治になって廃仏毀釈が行なわれ、本堂、三重之塔ほか数々の施設が壊され、そして現在の形になったとか。往時の境内は随分と広いものだったようだ。お参りし、御朱印を頂いた。
〔その3〕 浅野川右岸を歩く
観音院で解散し、私は叔父が住まいする田上新町まで歩くことに。すると西田さんが、私の住まいも田上新町なので一緒に歩こうと仰る。そして浅野川沿いに行こうとも。私は町中を通らねばと思っていたので、これは渡りに舟だった。先ずは山を下って天神橋へ。終戦直後、ここまで下肥を取りに来たことを思い出した。西田さんの案内で右岸沿いの道を上流に向かって歩く。聞けばこの道は田上まで連なっているという。進行方向は南東、上流には加賀富士と言われる大門山、それに続く犀川源流の見越山、高三郎山、奈良岳、それに大笠山がずっと見えている。素晴らしい散歩道を紹介して頂いた。常磐橋、鈴見橋、若松橋、旭橋、下田上橋を経て田上新町へ。喋りながらの楽しい散策、感謝々々だった。
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