2016年5月23日月曜日

平成28年5月のあれこれ(その1)

 私のブログの「晋亮の呟き」に5月は一度の書き込みもなく、それで何か書かねばという思いに急かされ、思いつくまま日記風に記すことにした。

1.長男の帰郷と周遊と帰浜
 長男は仕事の関係で横浜に住んでいるが、旧盆と正月、それに5月の連休には野々市の実家に帰ってくる。今年は自分で車を運転し、4月29日の昭和の日に長男のみが帰郷した。昼は旧友とのゴルフ、夜は友人との飲みで日程は詰まっているが、でも希望で次男や三男一家を呼んでの会を帰郷した翌日の4月30日に、また帰浜する前日の5月3日にもお別れ会を家で催した。また長男は帰郷した折には、決まって私たちと何処かへ出かけることにしていて、今年は5月1日にどこか富山方面へ行きたいと希望していた。でも特に行きたい場所の指定はないとのことで、昨年は氷見へ出かけたことでもあり、今回は能登島の水族館へ出向くことにした。
 のと里山海道を徳田大津 JCT まで行き、能越自動車道の和倉 IC から能登島大橋を渡り、のとじま水族館へ行った。天気は良く、日曜でもあり、かなりの人出だった。この水族館の目玉は近海で捕獲された2頭のジンベエザメ、前に居たのは余りにも大きくなり過ぎ、海へ放したとのことだったが、それでも今いる大きい方は体長4mもあり圧巻である。この鮫はおとなしくて、餌は訓練で呼び寄せて口の中に入れてやるそうで、そうしないと他の魚に餌を取られてしまうとか、鮫にも人にも並々ならぬ苦労があるというものだ。それにしても大水槽での悠揚とした泳ぎはやはり圧巻で目玉だ。またこの日は丁度フンボルトペンギンの行進も間近で見られ楽しかった。そして人気のイルカショウ、久しぶりに長男も童心にかえって満足そうだった。ここの水族館はクラゲの蒐集でも知られている。
 帰りには一旦七尾の能登食祭市場に立ち寄り、生で岩牡蠣と牡丹海老を食し、名物の海産物を買って宅配便で送り、その後能越自動車道と北陸自動車道を経由して野々市へ帰った。それにしても長男の車運転は上手だがかなりスピードを出すので、家族が乗車を敬遠するのも何となく分かるような気がした。長男は5月4日の午前9時過ぎに家を出て、余り渋滞にも遭遇しなかったのか、午後4時半には横浜の自宅に着いたと連絡があった。

2.ラ・フォル・ジュルネ金沢には欠席
 今年のテーマは「ナチュール 自然と音楽」で4月29日にオープン、5月3〜5日には3会場でメインの公演、例年ならば6公演前後予約をするのに、今年は気乗りせず予約しなかった。何故か。少しマンネリ化してしまって、何となく魅力が薄れてしまったと感じたことと、それでも OEK のミュージック・パートナーになっているヤマカズこと山田和樹が来て振ってくれれば別だったが、彼は本業が忙しかったのか来日はなく、なおさら足が遠のいてしまった。来年以降はどうなるのだろうか。

3.久吉叔父訪問
 叔父は今は連れ添いを亡くしてからは、一人暮らしである。実子は東フィルのホルン奏者で、年に一度戻れれば良い方だし、亡妻の子も貿易関係で海外に出ることも多くて、やはり年に一度帰沢できれば上出来らしい。それで私たちは月に二度ばかり叔父のところに顔を出すことにしている。5月5日には午後2時頃にお邪魔し、5時くらいまでいろんな話題で話をした。叔父は大正12年生まれ、金沢一中47期、四高、東大出で、専門は生薬学・薬用植物学である。
 それでいつも必ず話題になるのが、北は礼文・利尻から、南は八重山諸島の石垣や西表で採集されたさく葉(押し葉)標本十万点を、薬学部が小立野から角間へ移転した際に、白山で採集された標本以外は全て破棄されたことで、1ヵ月ばかり悔しくて寝られなかったという。門外漢にとっては全く不要の
ゴミ、どこかへ移管されれば良かったのにとも思うが、事件は叔父が辞めた後の出来事、ライフワークだっただけに無念だったろうと思う。台紙に貼ったものは備品となるので破棄は免れたようだが、でも完成品はごく一部でしかなかった。一方白山で採集されたさく葉は、現在石川県立自然史資料館で少しずつ標品化されているとか。でも作業は遅々としていて、膨大な資料が整理される目処は立っていないと聞いている。
 叔父の日常は、週2回デイケアセンターでの入浴があり、これはすごく有難いと言っている。食事は自前が多いようで、冷蔵庫には溢れる程食料が入っている。車での行き来に買い物をしたり、時には歩いて買い物に出かけたりしているようだ。賞味期限のチェックをセンターの担当職員にもお願いしている。食事以外の大部分の時間は、朝日と北陸中日新聞の切り抜きと整理、それに薬学、動植物学等の夥しい数の書籍に囲まれての生活、退屈はしないという。いつまでも元気でいてほしいものだ。

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