1.4月17日 (日) 再度「やまぎし」へ
風が吹いているものの天気は良く、なんとなく3週間前に開店した「やまぎし」へ行こうかと家内と話し合ったものの、「やまぎし」の開店案内には、原則前日までの予約制とあったのに気付き、それでほぼ同じ位の距離にある瀬戸の「山猫」へ出かけることにした。ほぼ同じ位の距離と思ったのは、旧鳥越村左礫と旧尾口村瀬戸は、南北に連なる鷲走ヶ岳 (1096m) の主稜線の西と東に対峙しているからである。10時少し前に家を出た。途中風が大変強くて、時々車が風に煽られることもあったが、国道 157 号線を南下し、40分ばかりで「山猫」に着いた。この店は休日にはかなりの人が押し寄せ、昼は時間待ちにさせられることが往々にあったことから、とにかく11時前に着こうと思っていた。とにかく昼時には順番待ちになるのだが、この日はまだそんな気配はないようだった。時間前だったが中へ入ると、奥さんが居られ、11時からですが予約を取っておきますと言われ、窓側の座机をお願いし、隣にある道の駅・瀬女で買い物をして時間を過ごした。
店に戻るともう既に3組が来ていた。取りあえずお酒、萬歳楽の冷酒を頂く。久しぶりに来たのに覚えて頂いてて、お酒は片口から溢れる位に、恐縮した。山猫の主人の田口さんと敬蔵の志鷹さんとは宮川で修業した兄弟分で、田口さんとは敬蔵でも会ったことがあるし、以前は行き来があって、互いの名刺が置いてあったりしたが、今は置いてない。また以前は山やスキーの帰り、でなくてもよく寄ったものだ。開店当初、箸を京都で竹で作らせたのだが、当初は持ち帰られて苦労し、持ち帰らないようにお願いしてからは、洗った後に組み合わせるのが大変で相談を受けたことがあるが、持ち手側に番号を付けたらと話し、この日の私の箸は十九と記されていた。家内は天ぷらそばを、私は鴨せいろを頂いた。そばは丁寧な二八そば、おいしく頂いた。昼時とて客が次から次へと訪れる。
時は丁度正午、時間も早いので何となく「やまぎし」へ寄ろうということになった。国道を北上し、下吉野から釜清水、別宮を経て大日川沿いに県道を南下し左礫に至る。瀬戸からここまで20分ばかり、でも家内は満腹なので入らず車で待つという。仕方なくこの前に見ておいた少し上流の道路が広くなっている場所に車を停める。辺りにはキケマンやジロボウエンゴサク、タチツボスミレが咲き乱れている。私は一人で「やまぎし」へ向かう。入ると2組いた。今食べてきたのでと言うと、とにかく奥さん共々上がってほしいと、この前の開店の祝儀のお礼の品も上げたいのでとのこと、車へ戻り家内とお邪魔する。家内は今日はそばは食べられないとかでお茶を、私は天ぷらと財宝 (芋焼酎) を2杯頂戴した。私が山岸さんに、水曜と木曜の連休は大額の方に戻られるのですかと訊くと、私は此処の地で当面は十年を目標に村おこしに尽力したいので、通いはありませんと仰った。素晴らしい覚悟なのに感服してしまった。
〔閑話休題〕
翌日の新聞を見ると、この日は暴風警報が出ていたという。風は強かったが、まさか最大瞬間風速が 37.5m もあったとは、本当に驚いた。そして翌日庭を見回ると、10cm 以上はあろうかという欅や楢柏の枯れ枝が落ちていたし、北側に植わっている6本の杉のうちの1本が、幹の中途から折れて隣の空き地に倒れ込んでいた。その処理に半日を要してしまった。
2.4月26日 (火) 再々度「やまぎし」へ
探蕎会の前田さんから連絡があり、火曜日に「やまぎし」へ出かけませんかという。ほかには寺田会長と松井さん、前田さんの車で10時に迎えに来て頂く。車はホンダのハイブリッド車、すごく燃費が良いという。ナビに従って順調に左礫に達する。時間は40分、駐車場に車を停め、開店時間前だったが中へ入る。今日は奥さんがお出でていた。奥さんにどうしてここまでと訊いたら、車でと仰る。車を運転されないと勝手に思い込んでいたものだから、これには以外だった。まだ他に客はなく、7人掛けのテーブルに4人が座る。それぞれに欲しい品を券売機で求める。私は天ぷら、田舎粗挽きと焼酎2杯、他のお三方は天ぷらと白 (殻抜き) 、加えて松井さんは焼酎1杯、前田さんは田舎 (殻付き) をもう1枚。蕎麦は幌加内産玄蕎麦の石臼挽きの十割、特に田舎粗挽きは蕎麦殻も入った太い蕎麦、粗塩を付け、それを肴に焼酎を飲むのが私の定番。天ぷらには畑の野菜 (茄子、南瓜) に加えて、山の幸 (コシアブラ、タラの芽、こごみ) が出た。この日は山岸さんの奥さんと妹さんが出番、妹さんは腰が少々曲がっておいでるが、金沢の田上から車での出勤とか、本当に恐れ入った。
天気は上々、そこで「やまぎし」を出た後、一旦下流にある相滝まで下がり、右の谷の堂川沿いの県道を、古くは大字だったという五十谷へ向かう。以前ここには「才次郎」という一風変わった蕎麦屋があったが、今はやっていないようだ。それで隣にある八幡神社の境内にある、石川県天然記念物の五十谷の大杉を訪ねる。樹齢千二百年、枝が四方に延びて異様な樹相を呈している。由緒書きには、弘法大師がこの地に杉の枝を刺したのが起源とあった。その後谷を下り、相滝で以前寄った蕎麦屋に寄ってみたが、この日は生憎の定休日、でも当初の探蕎の目的は達成できたというものだ。
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