2015年7月25日土曜日

同窓会 あ・れ・こ・れ(その1)

 今年・平成 27 年 (2015) は、5月 18 日から6月8日までの3週間ばかリの間に、なんと大学、高校、小・中学校の同窓会が集中して開催された。なんとも慌ただしかった3週間を振り返ってみた。同窓生のうち、大学では現役で入学した人以外にも、年齢では7歳年長の方も同期だったこともあって、年齢にはかなりのバラツキが見られたが、高校や小・中学校の場合は、ほぼ昭和 11 年4月2日〜昭和 12 年4月1日に生まれた人がほとんどを占めていた。そうして年齢で言えば、数え年では 79 歳と 80 歳、満年齢では 78 歳と 79 歳、今年もしくは来年には傘寿を迎える年齢の集団になる。

1.金沢大学薬学部第7期同窓会(ゼレン会)
 私たちが大学を卒業したのは昭和 34 年 (1959) 3月、会の名称は卒業年に因み、元素番号 34 の元素セレンのドイツ語読みのゼレンを会名とした経緯がある。当時私たちが在学していた頃は、医学や薬学ではまだ英語よりはドイツ語が幅を利かせていたからによる。もう卒業して 56 年ばかり、私たちのこの同窓会は 卒業して20 年ばかりは開かれなかったものの、以降は5年おき、更に時を経ては2年おきとなり、ここ 20 年ばかりは毎年開催している。入学したのは昭和 30 年 (1955) で、記憶が定かではないが、定員 40 名のところ 41 名入学したように思う。教養課程から専門課程へ進学する際に、基礎科目の物理学で7名が不合格となり、全員留年となるところ、交渉で1回のみビーダーコンメン=ビーコン (再試験) が認められた。しかし、クリアしジッヘルできたのは1名のみで6名が留年する羽目に、また1名が病気で留年した。そして専門課程に入ると、前年留年した2名が加わってクラスは全部で 36 名になったが、在学中に1名が病死し、最終的には 35 名 (男25名、女10名) が卒業した。今年の同窓会当日までにクラスで物故したのは、男6名女1名の計7名、現在の会員数は 28 名である。
 さて今年の同窓会は5月 18 日 (月) と 19 日 (火) の両日金沢市で開催した。会の申し合わせで、1年おきに金沢で、そうでない年は金沢以外の場所で開催することになっている。ここ数年のスケジュールでは、金沢・仙台・金沢・福井・金沢という運びだったが、仙台開催の折に東北大震災が起き中止、でも希望で翌年に振り替えて仙台で行なった。同窓会は原則1泊2日、ただそれに付随してゴルフコンペがあり、ゴルフに出席の人はもう1泊、前泊か後泊するスタイルを採っている。そしてこれまでの経過を見ると、宿泊当日に早めに着くようにして半日観光、さらに翌日にも希望で半日観光のスケジュールが組まれることが多く、どちらも自由参加ではあるものの、大概大部分の人が参加するのが常だった。でもこれらオプショナルツアーは主催する側にとってはかなりの負担になる。ところで仙台での秋の同窓会では、2日目午前の観光を終わって散会しようとしたところ、強烈な台風の襲来で新幹線のほか在来線も運休してしまって、もう1泊仙台で逗留した人も出た。そして翌年の福井での同窓会もやはり秋の開催、ところが前年と同じく台風の襲来の予想があり、1週間前になり急遽主催者側の判断で同窓会は中止ということになった。宿やオプショナルツアーの手配と中止、またそれに伴う会員への案内等々、開催のみと比較して2倍も3倍もの労苦があったろうと思う。でも当初の計画だった全員の近況報告の作成などは実行して頂けた。それで今年もう一度開催をどうですかと打診したが、これは引き受けては貰えなかった。
 それで今年は順で地元金沢での開催、一昨年、昨年と、2回もの台風との出会いでの中止もあって、今回は春にしようということになった。地元の会員は男性3人のみ、昨年 10 月には今年春の開催日を決めようということになり、私が金沢市のコンベンションホールへ出向いて、平成 27 年4〜6月に金沢で開催される学会・集会・催しの予定と集客数を把握し、その合間を縫って、同窓会は5月 18・19 日に開催することにした。そしてこれまで金沢での宿はもっぱら湯涌温泉を利用してきたが、金沢市商工会議所の担当の方から犀川温泉でもと勧められたこともあり、そこを利用することにした。でもここは湯涌温泉と異なり、近くまではバスの便は多いものの、宿へはバス停から徒歩 10 分とあり、金沢駅でバスに乗る前に宿に案内をくれれば最寄りのバス停まで宿の車を迎えに出しますというが、これは言うは易く行なうは難しの類いだった。
 ところで宿の方は別の方が担当し、昨年秋に JTB を通じて1泊1万7千円としたが、翌年3月 14 日の北陸新幹線の開業が近づくと2万円にするとのこと、担当は約束が違うと頑張ったこともあって料金は据え置かれたものの、宿泊当日のサービスの低下は歴然だった。開催までお互いのメールのやり取りは 20 回ばかり、会合も5回ばかり、もっとすっきり単純にできないものかと案じたものである。また観光はもう一人の方が担当してくれた。私なりに観光と昼食は腹案もあったが、総枠2万3千円のくくりとしたこともあって、昼食は KKR 、観光は金沢城公園のみという寂しい企画に落ち着いた。それでも今回の参加者は 17 名だった。会員もやがて 80 歳台、もう少しゆとりのあるゆったりとした会になればと思う。ところで来年の会の開催先を募ったけれども挙手はなく、それで世話する方は宿の世話のみ、観光は各自でということで募ったところ、来年は関西在住の A 君の世話で神戸市での開催となった。
 これまでの会を振り返ってみると、配偶者同伴も数組あったりして、25 名もの参加があったこともある。ところで今年の顔ぶれをみると、体調不良や配偶者や親の世話で出席できない人はともかく、元気でありながら常に欠席、中には一度も参加したことがない御仁も数名いるのはどうも解せない。現会員は 28 名、会はいつまで存続できるだろうか。

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