2015年7月26日日曜日

同窓会 あ・れ・こ・れ(その2)

(承前)
2.金沢泉丘高等学校第7期同窓会(泉丘七期同窓会)
 この同窓会はかなり以前からずっと2年おきに開催されてきた。七期同窓会の開催が決まってからずっと主宰してくれていたのは K 君で、このような会は熱心な世話人がいないとなかなか会を盛り上げるのは難しい。さて、これとは別に、毎年決まって 10 月 15 日に、(今年は 16 日から 18 日まで全国規模の学会が金沢市内の主なホテルを会場に開かれる予定なので、前日の 15 日はその準備で市内のホテルの使用ができないため、今年のみ例外的に 10 月 11 日に変更になった)前身の母体でもある旧制の金沢第一中学校と新制の金沢泉丘高等学校との合同の同窓会 (一泉同窓会) が開かれることになっており、毎年 1000 人を超える同窓生が参集してくる。因みに昨年 (2014) は創立 120 周年記念とあって、1200 人を超える同窓生が参集した。ところでこれまでの卒業生はというと、金沢一中で 58 期、金沢泉丘で 67 期、金沢泉丘通信制で 57 期の同窓生が巣立っているが、この同窓会は毎年卒業後 33 年目の同窓生が会の運営に当たることになっている。それで昨年は昭和 56 年卒業の泉丘 33 期の同窓生が当番で運営に当たった。それで同窓会では当然当番期の同窓生の人数が最も多いわけだが、当番期を除けば何故かいつも第 7 期同窓生の出席者数が最も多く、これは K 君の熱心な勧誘が功を奏しているということに帰する。今年の当番は泉丘 34 期なのだが、はたして今年はどうなるのだろうか。
 さて今年の第 7 期の同窓会は傘寿記念と銘打って 6 月 7 日 (日) に粟津温泉「のとや」で開催された。昭和 30 年卒業の同窓生の総数は 448 名、そしてこの日までに 108 名が鬼籍に入っていて、残りは 340 名、4人の内1人が他界している勘定になる。これまで会の運営は K 君をトップに、在学当時 11 あったクラスからそれぞれ2〜3人が世話人となり、3百名余の人達への同窓会への案内や出欠の確認、会費の徴収、一泉同窓会機関誌の送付等々の世話をしてきた。それで同窓会の会場は何故かいつも粟津温泉の「のとや」、会費は例年 23,000 円と決まっていた。ところで長年 K 君が一人で主宰していること、会場が「のとや」オンリーなこと、また同窓生の A 君が支配人をしている山代温泉の老舗温泉旅館の会場設定が一度もないことに何故なのだという声も出て、K 君ではこの傘寿記念の同窓会を最後に七期同窓会を散会することにしたという連絡を受けた。それで今回は最後となるのでぜひ多くの方々の参加をと呼びかけてきた。会費はこれまでの余金も若干あるということもあって清算するとのことで、今年の会費はお土産付きの 17,000 円になった。そして今回は最後の同窓会という触れ込みもあり、平生は参加がなく卒業後初めてという方々の参加もあり、総勢で 70 名が出席した。でも出席者の顔ぶれを見ると,新顔がいる反面、いつも顔を見せている常連が何人も欠席だったのは何とも寂しかった。この同窓会は当夜の宴会のみで、翌日の朝食後は流れ解散という形式をとってきた。今後については、彼からの案内では有志による同窓会の継続を図るとのことだが、まだその案内は来ていない。ただ地域の一泉同窓会が全国のあちこちにあり、関東や関西の一泉同窓会には毎年相当数の人数が参集しているようである。因みに私の住む野々市市でも野々市一泉同窓会があり、2年に一度開催している。
(付)約 10 年前、同窓の M 君が台湾から 30 年ぶりに帰って来るのを機に、同窓の 13 名ばかりが集まって、後日「耳順会」なる名称の会を創った。3ヵ月に一度会うことにし、年末には温泉で1泊の会をもってきた。この会はお酒も入っての会、幹事は持ち回りで続けてきた。ところでその後 M 君の提案で、従来の耳順会はそのまま継続することとし、ほかに毎月第3土曜日に昼食を兼ねて、お酒なしで会わないかとの提案、そのとき私は肺炎で入院していたので詳しい経緯は知らないが、主宰する M 君では、従来の耳順会は3月,6月、9月は金沢市内の割烹 G で、年末は山代温泉の同期生 A 君が支配人をしている温泉旅館で、それで新規の毎月の会は「湧泉会」という名称で集まることにし、金沢 NG ホテルで第3土曜日に昼食を兼ねて3時間ばかり駄弁る会とし、今日に至っている。男性の井戸端会議ともいうべき楽しく面白い会である。

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