2014年2月26日水曜日

探蕎会での講演を横山さんに依頼(その1)

 探蕎会の総会は初回と第2回は年末に、次いで第3回と第4回は1月に、そして第5回以降は2月に開かれている。一時は参加者が80人を超えたこともあったが、このところはせいぜい30人止まりのことが多い。総会次第はおおよそ毎年同じで、始めに会長の挨拶があり、続いて前年の行事報告と決算報告が事務局から、それにその年前半の行事の予定の概略が副会長から話され、議事は淡々と進められる。ただ今年は会報の発行部数が減って、繰越金が多いこともあって、会費が5千円から3千円に減額されることが議決された。
 以前の会報を見ると、第1回の末野倉での設立総会、第2回の金沢ニューグランドホテルでの総会では特にアトラクションはなかったが、第3回には会員になられたオーケストラ・アンサンブル金沢 (OEK) の指揮者の榊原栄さんのお世話で、OEK の第2バイオリンの首席奏者だった江原千絵さんのバイオリン演奏が、若杉由香さんのピアノ伴奏で「たんきょう新春コンサート」と銘打って開催された。これはこのホテルの総支配人が探蕎会に入会されていたこともあっての便宜だったようだ。とにかくこの新春コンサートはなかなか好評で、以後7年にわたって継続されることになる。以下に列記してみよう。
 第3回 (2001)  江原千絵 (バイオリン)  若杉由香 (ピアノ)  金沢ニューグランドホテル
 第4回 (2002)  中川ゆみ (シャンソン)                  同 上
 第5回 (2003)  細川 文 (チェロ)    赤尾明紀 (フルート)     同 上
 第6回 (2004)  江原千絵 (バイオリン)  福野桂子 (チェロ)      同 上
 第7回 (2005)  江原千絵 (バイオリン) 上島淳子 (バイオリン)  ホテルイン金沢
 第8回 (2006)  藤井ひろみ (フルート) 福野桂子 (チェロ)      同 上
 第9回 (2007)  江原千絵 (バイオリン) 福野桂子 (チェロ)              KKR ホテル金沢

 その後ある転機が訪れた。当時私は石川県予防医学協会に勤務していたが、ある時に小山先生が内科医として所属されることになった。小山先生は在学時には金沢大学医学部山岳部に所属されていた山男で、当時の山岳部長だった永坂先生の推薦で昭和56年に第23次南極越冬隊に医師として参加され、帰国後病院勤務されていたが、後に協会においでたのだった。協会では先生の講演が前後二度にわたって2回行われた。その後先生が探蕎会にも興味を持たれ入会されたので、この南極での体験をぜひ会の皆さんにも共有してもらいたく、この年はコンサートは止めて、講演を聴くということになった。スライド作成には事務局の前田さんが随分と骨を折られた。この講演は大変好評で、次回からはコンサートに代えて、会員のしかるべき人が講演することになって、これが数年続くことになる。以降にその状況を記す。
 第10回 (2008) 小山文誉:「南極に何を求めて」             テルメ金沢
 第11回 (2009) 大滝由季生:「出会いと感謝と心」            ホテル日航金沢
 第12回 (2010) 寺田喜久雄:「みず・・・三題」            エクセルホテル東急
 第13回 (2011) 岩 喬:「不整脈について」                 同 上
 第14回 (2012) 永坂鉄夫:「趣味と健康〜趣味は心身の痛みの緩和剤」   金沢スカイホテル
 第15回 (2013) 早川純一郎:「幕末金沢のそば屋を梅田日記に探る」      同 上

 さて次回の第16回であるが、会報55号によると、「来年の総会での講演は木村さんにお願いすることになった」とある。確かに寺田会長からは来年はあなたの番だとは聞いたものの、公の発言とは思わずにいた。ところが会報にまで載っているとは不覚にも知らず、今回の総会でも、何人もから今回の講演は貴方ではなかったのというお小言をいただいた。とすると、ここでどうしても一言釈明をしておかねばなるまい。一時はやってやれないことはないかなあとも思ったこともある。人と微生物の関わり、インフルエンザウイルスやノロウイルスのこと、腸管出血性大腸菌のことなど、私が長年携わってきたテーマであるが、これらを皆さんに平易に話そうとすると、新たに説明の資料となる図を書かねばならないというノルマが生ずる。その負担から逃れたく、会員の皆さんに喜んでいただけるような方に、私からしかるべくお願いするとすれば、私の責務を全うすることができるのではと考えた。そのときに真っ先に私の脳裏に浮かんだのは彼女、横山方子 (まさこ) さんだったのである。私が彼女と最初に出会ったのは、探蕎会の創設者でもある波田野先生が主宰されていた金沢大学がん研究所ウイルス部であった。

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