2012年11月20日火曜日

白山麓の秘湯を巡る

 家内とは年に何回かは温泉へ出かける.親戚や子供たちと一緒のこともあるが、できれば夫婦でというのがベターである。一昨年11月14日に長野県の中の湯温泉旅館に立ち寄った折りに、宿の主人から、明日は上高地の閉山祭なので出かけませんかと誘われたほかに、温泉がお好きならこのスタンプ帳を上げますから利用して下さいと言われた。これは3年間のうちに「日本秘湯を守る会」の宿を10軒巡ると、そのうちの1軒に1泊招待されるというもので、勧進元は(株)朝日旅行である。押印を見ると、平成22年には2軒、23年には2軒、24年には6軒巡り、これで10軒クリアしたことになる。このうち近場の白山麓の秘湯では、今年の5月に中宮温泉、6月には白山温泉、10月には新岩間温泉へ寄った。

1.中宮温泉にしやま旅館(石川県白山市中宮温泉)
 もうかなり古くから湯治場として知られている。でも山奥にあるため、昔は歩くか駕篭でしか行けなかったが、今はスーパー林道も開通して、車で行くことができる。以前は旅館が4軒あったが、現在は2軒のみ、でも公営の施設が新たにできている。ここは標高 700m、白山中宮道の登山口でもあるが、主人の話では、ここから登るのは年に1組位とか。私も学生の頃に友達と二人でここから白山へ登ったことがあるが、随分難儀した。中宮温泉は古くから胃腸の名湯として親しまれてきたが、里からは遠く、私の大叔母がよく湯治に訪れたと聞いたことがあるが、どうして訪ねていたのだろうか。
 私たちが訪れたのは5月4日、冬季は閉じていて、営業の再開は4月27日、辺りは新緑が萌え始めた季節、まだ白山スーパー林道は開通していない。林道に入る手前の急な坂道を上がると、にしやま旅館の看板が見える。駐車場は狭く、着くと車のキーは宿の人に託す。玄関に日本秘湯を守る会と墨書した提灯が吊るされている。古い佇まいの宿で、山の湯治場という雰囲気である。入ると囲炉裏のあるロビー、熊とか羚羊などが置いてある。部屋へ案内される。昔ながらの湯宿という感じ、早速風呂へ。男湯は1階の御前の湯、女湯は2階の大汝の湯、男湯は古い木造りの湯槽、湯は飲用できる。夕食は部屋で、岩魚や山菜は地元だが、刺身は海のもの、もっとも金沢からは1時間半もあれば着くので、新鮮な海産物も手に入ろうというものだ。翌朝4階の露天風呂に入った.丸い総桧の湯槽、新緑の林を眺めて浸かっていると、心が洗われる。ここは立ち寄り入浴もできる。帰りにここの「胃腸の湯」を求めた。1年間は保存可能という。水割りに使おう。
● ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉、源泉65℃、35ℓ/分、加水加温なし、源泉かけ流し。
2.白山温泉永井旅館(石川県白山市白峰市ノ瀬)
 ずっと昔の白山温泉は湯の谷の方にあったが、あの百万貫の岩が流れてきた大洪水で温泉は埋没した。その後新しい源泉が見つかり、ここ標高830mの市ノ瀬に湯宿ができた。昭和10年のことである。別当出合までの林道が開通するまでは、市ノ瀬が正に白山登山の基地で、皆ここから歩き出したものだ。最近になって永井旅館に別館が造られ、湯槽も新しくなり、きれいになった。本館は襖で仕切られた部屋だったが、別館は個室になっている。私たちが寄ったのは6月23日、白山の開山祭は7月1日、電話した時には白山へ行くのですかと問われた。家からは車で約1時間、本館には何度か泊まったが、別館は初めてだった。湯へ入って寛ぐ。夕食は大広間で、5組ばかり、白山へ登る人も2組いた。岩魚や山菜のほかも山の物ばかりなのが嬉しい。翌朝は私たちが殿だった。
● ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉、源泉47℃、24ℓ/分、加温あり、源泉かけ流し。
3.新岩間温泉山崎旅館(石川県白山市尾添岩間温泉)
 この新岩間温泉(標高790m)や、6km下にある一里野温泉(標高550m)の源泉は、さらに3km奥の岩間温泉元湯(標高1000m)で、ここから引かれている。尾添の土建業者山崎組の組長の信一さんが、その元湯に温泉宿を造ったのは昭和30年代、二度ばかり白山からの下山時に泊まったことがある。しかしその後雪崩で倒壊し、今は往時の浴槽が残っているのみである。その後下流の現在地に新しく新岩間温泉を造った。しかし当時ここへ来るには、中宮温泉へ行く途中にある三又第一発電所の導水管に沿ってつけられた急な坂を200mばかり上らないと行けなかった。その後信一さんは私費を投じて林道を建設、大部分は一車線ながら、現在は車で行くことができる。私たちが訪れたのは10月28日、この日はもみじウォークがあって、私は一里野からここまで往復した。宿泊予約の電話をすると、寒いですから温かい格好で来て下さいとのこと、面食らった。私たちは本館ではなく、新しい別館に案内され、暖房なしと覚悟していたが、ガスストーブは置いてあった。午前中は小雨だったが、午後は本降り、ここの露天風呂は実に素晴らしいのに、雨で入れなかったのは残念だった.夕食は広間で、6組ばかり、家族連れも団体もいる。結構信奉者もいるのだなあと感心する。食事は山一色、孫の太一朗さんがよく世話をしてくれた。
● ナトリウムー塩化物泉、源泉93℃、60ℓ/分、加水・加温なし、源泉かけ流し。

2012年11月12日月曜日

第8回白山・手取川もみじウォーク(平成24年)

 私はこの行事に第1回から参加してきた。ただ昨年の第7回はコースが大日川上流の大日湖を巡るコースが主であったので、参加しなかった。ところで今年は文字通りの紅葉の時期を狙ってのウォークとあって、10月28日は標高800m辺りを、11月11日は標高600m辺りを歩く計画が立てられた。これまでは2日続けての実施だったが、今年は2週も離れていることから、県外からの参加者は激減した。この運営の仕方がベターなのかどうかは意見の分かれるところだが、2日にわたってハードな歩きをするのはかなりきつく、私にとっては時期をずらしての開催はベターだと思う。

1.10月28日(日)Bコース(新岩間温泉コース)12km
 この日は午前9時までに一里野ふれあい交流センターに集合とのこと、出発が同じのCコースの手取渓谷(20km)と同じ時刻であった。大会本部の発表では、Bコース450人、Cコース400人の参加とか。偶然に私が在職していた石川県予防医学協会でよく市民マラソン等に参加するM嬢と出会った。女友達3人での参加だった。出発には最前列に来て、私と一緒に出発した。一里野から白山峠までは国道360号線、かなり勾配のあるある舗装路、彼女らも頑張って歩いている。峠からは林道に入る。この頃から小雨が降り出してきた。でも雨具をつける程でもなく、何とか午前中は持つらしいとのことで、そのまま歩き続ける。しばらく歩くと対岸の下方に中宮温泉への国道360号線が見え、山毛欅尾山(1365m)はきれいに紅黄葉している。私の前には2人歩いていたが、中程の小谷を過ぎる頃、M嬢は連れの2人は遅いので置いてきましたと私を抜き去っていった。必死に追うが差は増すばかり、そのうち男性4人にも越された。丸石谷を大きく迂回する時点では3分弱の差、さすが市民マラソン常連だけのことはある。彼女は中間点の新岩間温泉で待っていた。彼女は相棒を待つという。それで私は先に折り返した。私の前には5人、M嬢の相棒とは折り返して1kmの地点で会った。丸石谷の上流も綺麗に紅黄葉していた。この谷の奥には百四丈ノ滝がある。折り返して30分も歩いた頃、最後尾の役員の方に出会った。その後には歩く人はなく、何人かはシートを広げて景色を愛でながら食事をしていた。途中2人に追い越されて一里野へ戻った。所要時間は2時間10分。昼食は道の駅「瀬女」にある蕎麦屋「山猫」にする。久しぶりに山猫のそばを食べた。「白山天おろし」は実に美味かった。店を出る頃、雨は本降りになってきた。

2.11月11日(日)Eコース(獅子吼・犀鶴コース)17km
 第2日目の受付・ゴールは白山市鶴来支所、鶴来駅前なので電車で行くことに、この電車に乗るのは何十年振りだろう。以前は加賀一の宮まで行っていたが、現在は鶴来駅が終点である。出発は9時30分ということなので、1時間前に会場に着いた。私が参加するEコースは定員500人とか、これは獅子吼高原までゴンドラで上がるための制約だとか。他の2コースは当日受付もしていた。9時に主催者の挨拶があり、北國新聞社の事業部長が平生歩いていない私がEコースの2kmの山道に挑戦したところ、50分もかかりましたとの言、どうも本当の山道らしい。挨拶の後、25kmのGコース、8kmのFコース、そして17kmのEコースの順に出発する。出発の間隔は2分程度、各コースは先頭と殿がコースの目印の旗を持ってはいるが、信号待ちなどがあり、各コース入り混じって混乱する。FとEは白山比め神社の表参道を上がる。その後神社から一旦下り、パーク獅子吼へ向かう。ここまで3km、もう列はかなり長くなっている。ゴンドラに乗らねばならないので、私はトップ集団に、折よく2台目に乗れた。1台に4人乗車、1時間で500人運べるとかだった。凡そ600m上昇しスカイ獅子吼に着く。ここから南沢斜面を下り、山道へ入る。道には紅葉が散り積もっている。急な下りには神経を使う。月惜小屋は中間点、時々手取川を見下ろすスポットがある。山道に30分ばかり要したろうか、突然舗装された犀鶴林道に飛び出た。内川を挟んで犀奥の山々が見える。近くの山は今が紅黄葉の真っ盛り、曇ってはいるが満喫できる。ここから林道を標高差で600m下ることに。途中年寄りの爺さんがいて、あなたで8人目だと言われる。舗装された林道を淡々と下りる。中程と思われる頃から雨がパラついてきた。雨具はつけずに歩く。終点の白山町まで下りてきた頃には、雨足は本格的に、でもそのままゴールした。所要時間は3時間10分、熱いナメコ汁が美味かった。今日はこのコースに580人が参加したとか、このコース、ゴンドラ乗りが隘路だった。

2012年11月10日土曜日

中の湯温泉と上高地(その2)

 「蕎文」を出て向かいの「坊ちゃんとうふ」に寄り、豆乳を頂き、湯葉は冷蔵保存でないと無理とのことで、おからの焼き菓子を求めて高岡を後にする。時間は午後1時、小杉ICへの道を教わり、北陸道を富山ICで下りる。国道41号線をひたすら南下、八尾町への分岐まで来ると、漸く車の流れがよくなる。神岡から平湯へ、安房トンネルを抜け、安房峠へ上る道の7号カーブを曲がると中の湯温泉だ。雨は止んだが空には雲が去来していて、穂高は見えない。ここは標高1500m、木々の黄葉は盛りを過ぎ、散りつつある。山毛欅はもう葉が散って白い梢ばかり、地には雪がある。急な階段を上って宿へ入る。玄関には日本秘湯を守る会と墨書された提灯が掛かっている。着いたのは午後3時10分過ぎだった。
 この日は団体さんも入っていて、ほぼ満室のようだ。収容人員は120名とか。ロビーからは小鳥の餌台が間近に見え、入れ替わり立ち替わりカラ類(コガラ、ヒガラ、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラなど)の小鳥が出入りしているのが見える。またロビーの北側の一枚ガラスの向こうには真っ白な奥穂高岳から前穂高岳の山並みと明神岳が見え隠れしている。宿の主人では、夏だと雲が夕方には下がるのだが、寒くなると中々下がらないとか、でも時々垣間見ることができた。
 部屋へ入り、早速風呂へ。ここの湯は単純硫黄泉で掛け流し、下の川原の源泉から300mばかりポンプアップしている。穂高の峰々が眺められる露天風呂に入る.目の前に小鳥の餌台があり、小鳥は恐れずに順に次々とヒマワリの種子をついばみに来る。程よい湯温、30分も居たろうか。部屋へ戻り、持参した神の河で喉を潤す。夕食は午後6時からという。
 夕食は広い食堂で、びっしり。どうしてこんなに人気があるのか不思議である。霜月三日の献立を記そう。〔先付〕なめ茸白酢和え。〔焚き合せ〕南瓜葛寄せ、海老酒蒸し、いんげん、里芋、胡麻スープ。〔温物〕飛騨牛しゃぶしゃぶ鍋。〔刺身〕信州サーモン、大根サラダ。〔焼き物〕岩魚塩焼き、なつめ、茗荷。〔しのぎ〕ぶっかけ蕎麦。〔香の物〕野沢菜、赤蕪、胡瓜。〔汁物〕しじみ汁。〔蒸し物〕湯葉かに豆乳蒸し。〔八寸〕鯖押し寿司、茄子しぎ焼き、とろ鮭絹多巻き、小岩魚南蛮、岩魚筋子。〔水物〕ゼリーチーズ、キュウイ。この中では霜降り肉のシャブシャブは質も量も圧巻だった。全部を平らげて満腹、実に大満足だった。後でこの献立は特別感謝プランだと知った。隣の女性チームは羨ましそうだった。
 翌朝早く、男女チェンジした露天風呂に入った.空は冴え渡っていて、穂高がシルエットになって見えている。そして空には星が瞬き、月齢20日の月が中天にかかっている。今日は快晴だ。朝食は7時、ロビーで穂高の朝焼けを愛でる。皆さんカメラの砲列、昨晩は今日のこの天気を全く予想できなかった。宿へ着いた折、朝8時半に宿の車で上高地まで送って頂けるというので、予約しておいたが、これは正解だった。今日は実に素晴らしい一日になりそうだ。散り落ちる葉が陽を受けて輝き、幻想的なシーンを醸し出している。
 バスは満席、大方の人は大正池で下りた。上高地まで約1時間の散策とか、私たちは上高地のバスターミナルで下りた。帰りは12時20分に出て、松本駅まで客を送るとか、中の湯までお願いすることにする。空は抜けるような青、これ以上の天気はない。河童橋まで5分、梓川沿いの道を歩く。水は清冽、河童橋の向こうには岳沢を挟んで、左から雪を頂いた西穂高岳、間ノ岳、天狗ノ頭、天狗ノコル、畳岩ノ頭、ジャンダルム、ロバの耳、そして奥穂高岳、さらに右へ吊尾根を経て前穂高岳の峰々が、そして手前には明神岳、くっきりと見えている。雲一つない正真正銘の快晴である。飛行機が通ると、後に飛行機雲が尾を引く。もう黄葉は過ぎているが、まだ黄色の細い葉をつけた落葉松が残っている。河童橋は人でごった返していた。
 明神池まで梓川左岸を歩くことにする。ざっと50分ばかり。ここまで来るとさっきの雑踏は嘘のように静かだ。山歩きの格好をしている人もいるが、何処まで行くのだろうか。徳沢や横尾までならハイキングの装いで十分なのに、涸沢まで行くのだろうか。道は落葉松の林の中を辿る。途中開けた場所からは明神岳の鋭峰を仰ぎ見ることができる。正に圧巻である。明神館で小憩して明神池へ、ここは穂高神社奥宮の境内、拝観料を払って池へ。一之池、二之池と巡る。池に投影された明神岳が実に鮮やかだ。嘉門次小屋で岩魚の塩焼きを食べる。此処へ来るとこれが定番。帰りは右岸の道を辿る。木道には凍った雪が残っていて歩きづらい。右岸を上流へ向かう人もかなり、外国人もいる。猿にもよく出くわした。
 中の湯温泉旅館まで送ってもらい、往路を引き返す。家内から飲酒を勧められ、道の駅「上宝」で細麺の奥飛騨ラーメンと岩魚の刺身と生ビール、岩魚の生の筋子は生まれて初めてだった。帰路の神通の峡谷を囲む山々は紅黄葉で燃えていた。素晴らしい一日だった。

2012年11月7日水曜日

中の湯温泉と上高地(その1)

 日本秘湯を守る会というのがあって、1都1道29県の194軒がこの会に加盟している。加盟にどんな制約があるのかは知らないが、一昨年の11月に長野県の中の湯温泉旅館へ行ったとき、帰りにこの会のスタンプ帳を頂いた。これまでも秘湯と呼ばれる湯宿に何軒か投宿しているが、そんな恩典があるとの話は全く聞いたことがなかった。それによると、3年間の間に、会員の宿10軒に泊まってその証明を貰えば、朝日旅行の斡旋により、泊まった宿の中の希望する1軒に宿泊招待されるという仕組みである。ところで今年は中の湯温泉旅館から感謝サービスと称する割引案内が舞い込み、それではと勇んで家内と出かけることにした。11月3日と4日の連休にお願いしたところ、折よく空いていて、メンバーは家内が勤務する病院の薬剤師のH嬢との3人連れである。11月3日は旧明治節、今は文化の日、晴れの確率がかなり高いというのが例年の予想である。
 当日は朝9時に家を発つ。天候は曇り、予報では曇時々晴の予想、若干外れている。H嬢を小立野で乗せ、先ずは森本ICから北陸道へ。中の湯へは高速道を富山ICで下り、国道41号線を南下し、神岡で国道471号線(旧県道神岡上宝線)へ入り、平湯温泉で国道158号線に出て左折し、安房トンネルを抜け、すぐ左折して安房峠へ向かうと中の湯温泉に達する。このルートで、金沢からは3時間位だろうか。時間は十分あるので、私の発案で、高岡市にある瑞龍寺に参拝し、蕎文でそばを食べてから中の湯へ向かうことにする。彼女らもこの提案に興味を示した。ただ寺の方は以前に寄ったことがあるとのことだったが。という私も9月の探蕎会例会で来たばかりだが、あの気を落ち着かせる素晴らしい雰囲気は、何度でも味わいたくなる魔力を秘めている。

「高岡山瑞龍寺」
 高岡の町並みは高速道とは離れていて不便だ。勝手が分からないのでナビに頼ることにする。するとナビは能越自動車道へ入れという。指示に従い高岡北ICで下りる。後はナビの指示に従い、一カ所通行できない箇所に遭遇したものの、無事寺の駐車場に着けた。小雨が降ってきた。総門(重文)を通ると正面に二層の山門(国宝)、歩みと両側にある回廊との間の空間には白い玉砂利が敷き詰められていて、茫洋とした海原を彷彿とさせる、心に穏やかさをもたらす時空である。静けさが辺りを支配する。山門を潜ると、正面に仏殿(国宝)が見え、この内陣の平面は芝の緑で覆い尽くされている。雨に濡れた芝生は安らぎをもたらしてくれる。仏殿には、釈迦・文殊・普賢の三尊が御本尊として祀られている。仏殿を抜けると、回廊を擁する法堂(はっと)(国宝)、境内では最も大きな建物とか、中央奥の内陣には、前田利長公の特大の御位牌が安置されている。法堂から北回廊へ回る。この前来た時は南回廊を通った。大茶堂(重文)、鐘楼の脇を通り、大庫裏(重文)へ、調理配膳する場所、結露に配慮して、天井を漆喰で曲線にしてある。山門へ戻り、総門で辞する。
 少々時間があったので、利長公の墓所へ向かうことに。墓所へは寺から真東に八丁道を14分とある。1km強なのだろう。今は新しい道路が出来て、八丁道は所々で分断されているが、昔は寺から墓所まで一本道だったのだろう。墓所前には鳥居があり、辺りは小さな杜をなしていて、鳥が啼いている。そして高さ12mもの墓が奥に聳えている。歴代のどの武将よりも大きな墓だとか。ここへは車でも来られることが分かった。
「蕎 文」
 11時半近くになったので、佐野にある蕎文へ、方向音痴とあってナビの世話になる。とは言っても、入力した電話番号は大正13年創業の「坊ちゃんとうふ」、蕎文はその向かいだからだ。車がおとぎの国公園の横を通るに及び、もう間近だと実感する。蕎文の駐車場にはもう数台の車が、次々と車が入って来る。看板は全く出ていないのに、口コミなのだろうか。中へ入るとそれほど混んでなく、取材があったようだった。小上がりの唯一明かりを取り入れている座卓に陣取る。彼女らは「もり」とエビスビール、私は「辛味大根ぶっかけ」を所望する。そばは「もり」と「田舎」があり、この前の時は両方食べられる「あいもり」を頂いたが、お品書きにはこの相盛りは載っていない。結構蕎麦にはうるさい家内も、このそばには満足したようだった。私の辛味大根ぶっかけも上品で辛く、洗練された辛味が印象的だった。蕎麦湯は釜の湯、私にはこの方が向いている。入り口右手の展示即売している空間は小ギャラリーでアートワークススタディオ・アンといい、これがこの建物の名称ともなっている。案内文には「黒っぽい建物です」と紹介されていたが、「そば」もやっていますとは書いてなかった。まことに不思議な店だ。