2011年10月25日火曜日

信州探蕎 「かじか亭」と「職人館」 (1)

 探蕎会の平成23年後期の探蕎第二弾は既に信州方面と決まっていて、宿も奥山田温泉の満山荘なのだが、肝心の探蕎の方は、副会長で信州には造詣の深い久保さんに一任ということになっていた。ところで何処になるかは興味深々だったが、出発当日、久保さんから、初日は富倉の「かじか亭」、二日目は望月の「職人館」と発表があった。私にとっては、いずれの蕎麦店も初めてだと思っていたら、職人館は一度伺っていた。記録を見ると、探蕎会が設立された平成11年(1999)の10月23~24日に、戸隠・別所温泉の旅として、戸隠の「大久保西茶屋」、更埴市の「つる忠」、それに望月町の「職人館」へ行ったという記録があり、そういえば別所温泉の柏屋別荘も戸隠も更埴も思い出したものの、望月へ行ったという記憶がどうも定かではない。何故かは不明である。それはともかく、今年の信州探蕎は10月10日(月曜で体育の日で休日)と翌11日の火曜日、総勢7名での出発となった。

● 初日の探蕎は富倉の「かじか亭」 (飯山市富倉1769) 電話0269-67―2500
 午前7時50分に予防医学協会の駐車場を予定を20分遅れて出発する。車は2台、久保車に4名、松川車に3名、近くの金沢西ICから北陸道に上がり、上越ICで下りて、国道18号線(北國街道)を南下し、新井市で左折して国道292号線(飯山街道)に入る。新潟と長野の県境の富倉峠を越え、飯山市富倉に至り、富倉中谷(ナカヤ)にある富倉ふるさとセンターの「かじか亭」に着いた。かじか亭は街道に面していて、前には広い駐車場がある。訊けば此処は小学校の跡地で、地元住民の共同出資でこのセンターをオープンしたとか、どうりで広いわけだ。車なら100台は停められよう。
 ここの開店は10時と早く、着いた時にはもう先客がいた。三和土(タタキ)にはテーブルが、小上がりには座机が、50人は入れよう。宿泊も可能とかである。小上がりに上がり、富倉名物のオヤマボクチをつなぎに使った地粉100%の富倉そばとこれも富倉名物の笹寿しがセットになっている「手打ちそば定食」を注文する。このセットは、この富倉出身で中野市で開業している「郷土(ゴウド)食堂」でも味わうことができる。この店の主人は、幻の富倉そばをこの富倉の地で30年前に始めて営業レベルにまで発展させ、その後平成2年(1990)に中野へ移っている。現在富倉の地には他に3軒が富倉そばを提供している。またオヤマボクチをつなぎにしたそばは、木曽福島のあの「時香忘(ジコボウ)」ほか数軒でも出している。
 蕎麦前にお酒を所望する。銘柄は不明だが地酒だろう。燗酒で小徳利で320円とか、何とも安い。ややあって注文のそば定食が届く。ざるそばは平打ちの十割、やや細切りで、コシは強いが喉越しは良い。おそらくこれはオヤマボクチのなせる業なのだろう。そして名物の笹寿しが2枚、鮮やかな緑色の笹の葉に酢めしが、その上に錦糸玉子、紅生姜、ゼンマイ、茸、クルミ、大根の味噌漬けが載っている。その昔、川中島の合戦に向かう上杉謙信勢に富倉の人達が提供した野戦食と伝えられていて、別名「謙信寿し」とも言われている。
 [蕎麦屋情報]営業:10~18時.11~3月は10~17時.席:50.定休日:火曜.

● 初日の宿は奥山田温泉の「満山荘」 (上高井郡高山村奥山田温泉) 電話026-242―2527
 富倉から飯山へ下り、中野を経由して小布施へ。この日は観光客でごった返す町を素通りして、松川渓谷沿いの道を上流へ、この渓谷には山田温泉、五色温泉、七味温泉があり、お湯が川に自噴しているとかで、魚は棲めないそうだ。七味温泉の分岐から山へ上る。奥山田温泉は山田牧場の一画、標高は1,500mを超え、更に進めば志賀高原に通じている。時に午後2時、一旦山田牧場まで行き、Uターンして満山荘へ、うっかり狭い砂利道へ誘導して松川さんに苦労をかけた。しかし牧場から来るとここが入り口のように見えて、後続の久保車も入り込んだとか、ほかにも数名、何か表示がほしいものだ。
 案内を乞うと、どうぞと言われロビーへ、寛いで主人が入れてくれた蕎麦茶を頂く。部屋は観山(ミヤマ)館2階の続きの3室、「鹿島槍」「五竜」「唐松」、いずれも後立山の山々の名前だ。既に布団が敷かれていて、私達3人は「唐松」に入る。この部屋は囲炉裏付きの和室である。
 お天気がよくて空気が澄んでいれば、窓から西に西穂高岳から小蓮華岳まで南北80kmに及ぶ北アルプスが一望できるはずなのだが、あいにくモヤっていて何も見えない。ただ近景の樹海は色づき始めていて、紅葉・黄葉が緑の針葉樹に混ざって彩を添えている。お神酒を入れて寛ぎ、解禁の午後3時になって風呂へ下りる。この時間帯、男性が入れるのは、宿の初代館主が作った岩風呂と露天風呂、内湯は熱いが外湯はまずまずの熱さ、これで展望がきけば最高なのだが。源泉の泉質は単純硫黄泉、源泉温度は96℃、全量かけ流しである。 このお湯は五色温泉と七味温泉の中間地点に300mボーリングして、それをここまで1650m押し上げているとか、窓の外には大きな茶色のタンクが見えている。パイプは厚さ30mmのビニール製とか、話すのは初代館主の堀江文四郎さん(84)である。これだけの高さを一気にポンプアップしているのは世界でも例を見ないと自慢されていた。温泉につぎ込んだ費用は延べ7億5千万円とも。談話室には自身で撮影された北アルプスの大パノラマ写真、実に見事である。氏は旧海軍士官だったとか、エピソードも多く、また話もバラエティーに富んでいる。数日前には転んで肋骨が折れているというのに、自分で車を運転して長野市にある日赤病院に通院しているとか。とかく話題の多い人だ。
 夕食は午後6時から Food 風土という食事処で、地元の山菜や野菜、所謂旬の食材をふんだんに使った創作料理が10種以上も提供される。何とも楽しい。この食事もリピーターになる一因とか、さもあろう。アルコールは秘湯ビールと地酒を3銘柄、大町の白馬錦、須坂のやまと、飯山の水尾一味を頂いた。至福の時を過ごした。食後はそれぞれに寛ぐ。私はテレビで「日本人イヌイット北極圏に生きる」という番組があり、釘付けになった。彼らは狩をするが、それが食の糧であり、そして毛皮は彼らに経済的価値を生み出してきた。猟の期間や捕獲頭数はともかく、以前は年間通じて氷原だった北極圏の海が、近年は温暖化で夏季には氷が解けて海になり、アザラシ猟も夏には舟でという始末。また自然保護団体の圧力もあって、毛皮の売買もままならなくなり、経済的にも大きな岐路に立たされている。日本人家族がいるアッパリアスの部落も、彼が移住してきた頃には94人いたのに今は51人とか、でも彼は猟の技術を息子にも覚えさせるのに懸命で、今でも永住を決意している。独り神の河を飲みながら、このドキュメント番組を観た。
 翌朝の朝食は午前8時、昨夜午後10時から朝食時までは入湯場所が男女逆になる。夜に風呂に入った人の言では、十五夜の月が煌々と輝いていて実に素晴らしかったとか。朝4時には起きていたのに、これはうっかりしていた。6時近くに昨日は女性用となっていた風呂に入る。一昨年4千万円をかけて改修したという風呂は実に素晴らしい。脱衣場も洗い場も贅が尽くされているという感じ、内湯は檜風呂、ゆったりとして大きい。また露天風呂は切り石で囲った長方形、湯温が適温で、これならいくらでも浸かっていられる。そして周りには回廊、石畳にはチェアも置いてあって、申し分のない風呂環境、正に秘湯である。これで遠望がきいて、パノラマ写真のような北アルプスを望見できれば、正に桃源郷だ。
 朝食は昨晩の食事処の同じ席で、食事はバイキング方式、でも個々の品がこの宿に相応しい品々、こうなるとあれもこれもと、どうしても余計に取ってしまう。久保さんからは職人館へは11時半に入りたいので、宿を午前9時に出立するということに。
 [温泉情報] 色:淡乳白色.泉質:単純硫黄泉.源泉温度:96℃.湧出量:40ℓ/分.pH7.8.

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